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『衝撃の天皇暗殺事件』崇峻天皇を殺した蘇我馬子はなぜ許されたのか?

草の実堂

画像:蘇我馬子 アイキャッチ

蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇

画像:崇峻天皇 public domain

歴代天皇のうち、明らかに暗殺されたと伝えられる天皇は二人いる。

一人は第20代・安康天皇、そしてもう一人が第32代・崇峻(すしゅん)天皇である。

崇峻天皇については、その事績が『古事記』にはまったく記されておらず、『日本書紀』にはその最期について

(蘇我)馬子宿禰、東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)をして、天皇を弑せまつらしむ

と、短い一文で触れられているにすぎない。

画像:崇峻天皇倉梯岡陵(奈良県桜井市)public domain

また、御陵について『古事記』には「御陵は倉梯(くらはし)の岡の上に在り」とあり、『日本書紀』には「是の日に、天皇を倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)に葬りまつる」と記されている。

この御陵については別稿で述べることとし、ここからは蘇我馬子による天皇弑逆(しぎゃく)の経緯について見ていきたい。

蘇我氏の後ろ盾で天皇位に就く

画像:欽明天皇 public domain

崇峻天皇は、553年(欽明天皇14年)に第29代・欽明天皇の第12皇子として誕生した。

母は、蘇我稲目の娘で蘇我馬子の妹にあたる小姉君(おあねのきみ)である。

したがって崇峻天皇は、第30代・敏達天皇、第31代・用明天皇、第33代・推古天皇の異母弟にあたる。

画像 : 天皇家系図 26代~37代 nnh CC BY 2.5

欽明天皇の皇后は、宣化天皇の皇女・石姫皇女(いしひめのひめみこ)であるが、その皇子のうち欽明の後を継いだのは敏達天皇のみであった。

崇峻天皇の母・小姉君、および用明天皇と推古天皇の母・堅塩媛(きたしひめ)は、いずれも稲目の娘である。

つまり、崇峻以降の天皇たちは、蘇我氏の血を引く女性を母とする「蘇我系ロイヤルファミリー」によって構成されていたといえる。

画像:穴穂部皇子の墓ともいわれる藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)public domain

用明天皇の崩御後、崇峻天皇が即位できたのは、稲目の後を継ぎ朝廷内で最も強大な権力を有していた蘇我馬子の推挙によるものであった。

当時、馬子と対立していた物部守屋(もののべ の もりや)は、欽明天皇の皇子で用明天皇の異母弟にあたる穴穂部皇子(あなほべのみこ)を擁立しようとした。

天皇になりたい穴穂部皇子と、蘇我氏を排除したい物部氏の思惑が一致しての動きであった。

しかし、馬子は先手を打って穴穂部皇子を誅殺し、その後、物部守屋も滅ぼした。

画像 : 物部守屋 public domain

このような経緯を踏まえると、崇峻天皇と蘇我馬子は、当初は盟友関係にあったと考えるのが自然である。

なぜなら、崇峻天皇の即位は、穴穂部皇子と物部守屋の死によって初めて可能となったからである。

したがって、もし崇峻天皇と馬子の関係が良好なままであったなら、「崇峻暗殺」という歴史上の大事件は起こらなかったであろう。

馬子の意に反して大伴氏と結ぶ

画像:蘇我馬子 public domain

馬子が崇峻天皇を擁立したのは、「崇峻の方が自らの意のままに動かしやすい」と考えたからかもしれない。

しかし、のちに同じく馬子が推した推古天皇の例に見られるように、天皇はいずれも蘇我氏の完全な傀儡ではなかった。

所領をめぐる馬子の要求を退けるなどの事例から見ても、飛鳥時代初期の天皇には一定の実権が備わっていたと考えられる。

日本史では、しばしば蘇我氏を悪役として描く傾向があるが、当時の天皇と豪族の関係は、互いに依存し合う「持ちつ持たれつ」のものであったのが実情であろう。

ただし、即位後の崇峻天皇の行動は、馬子の思惑をはるかに超えていた。

馬子が蘇我氏と対立する最大勢力・物部守屋を葬ったにもかかわらず、崇峻天皇は物部氏と並ぶ名門、大伴氏の大伴糠手子(おおともの ぬかてこ)との関係を深めていった。

画像:大伴金村(おおともの かなむら)『前賢故実』 public domain

糠手子は、かつて朝鮮半島経営の失敗によって失脚した大連・大伴金村の子である。

彼も父と同じく、朝鮮半島南部の任那(みなま)復興派であり、百済とも太いパイプを有していた。

崇峻天皇は糠手子と謀り、東山道・東海道・北陸道の国境を固めて畿内の安定を図ったうえで、九州に2万の兵を集め、任那の復興を目指した。

しかし、朝鮮半島への出兵は大きな負担を伴うものであり、この政策をめぐって崇峻天皇と馬子の対立は激化していった。

さらに、崇峻天皇は糠手子の娘・小手子(こてこ)との間に、蜂子皇子(はちのこのみこ)をもうけた。

これは、馬子にとって大きな脅威となったに違いない。

もし蜂子皇子が皇位を継承すれば、蘇我氏は稲目以来築いてきた「天皇家の外戚」としての地位を失い、天皇家の嫡流が崇峻&大伴系へと移る可能性があったからである。

画像:崇峻天皇の倉梯柴垣宮伝承地(奈良県桜井市)public domain

やがて両者の確執は頂点に達する。

592年10月、崇峻天皇は猪の献上を受けると、笄刀(こうがい)を抜いてその猪の目を刺し、「いつかこの猪の首を斬るように、憎いと思う者の首を斬ってみたいものだ」

と漏らしたという。

この発言を耳にした馬子は警戒心を露わにし、「天皇は自分を憎んでいる」と判断した。

そしてこの直後、命を受けた渡来人の東漢駒(やまとのあやの こま)が、「東国の調を進める」との偽りの儀式に臨席させられた崇峻天皇を暗殺したのである。

画像:東漢氏の本拠地檜前に鎮座する於美阿志神社(奈良県明日香村) public domain

暗殺に成功した東漢駒は、その後、崇峻天皇の妃であり、蘇我馬子の娘である川上娘(かわかみのいらつめ)を奪って穢したとされる。

この駒の行動につけ込んだ馬子は兵を差し向け、彼を殺害したが、言うまでもなくそれは口封じであったと考えられる。

馬子による崇峻天皇の殺害は、明らかに反逆である。

しかし、隋が中国の統一を果たした後、あえて朝鮮半島への出兵という重い負担を避けたいと考えていた皇族・群臣・豪族たちは、馬子の行動に同調した。

こうして、ほとんどすべての者が、彼の「天皇殺し」を黙認したのである。

※参考文献
野田嶺志著 『古代の天皇と豪族』 六一書房刊
文:高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

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