輝かしい伝統「釜石高陸上競技部」 OB・OG会が現役部員と交流 後輩支援で沿岸の雄再び
釜石高校陸上競技部OB・OG会(藤元隆一会長、382人)は2月28日、釜石市甲子町の市球技場クラブハウスで、現役部員との交流会を開いた。2011年の会発足以来、母校の部を物心両面から支援している同会。交流会は16年から年度末に開き、卒業する3年生の送別、1、2年生の激励の場としている。会からは部に支援金も贈られた。
交流会はコロナ禍による3年間の中止を経て昨年から再開された。今回は藤元会長(75、1968年卒)ら県内在住のOB3人、本年度部員の1、3年生14人と顧問の三上昌幸教諭が出席した。藤元会長が三上教諭に支援金10万円を贈呈。部員らは競技種目とともに自己紹介し、3年生は卒業後の進路、1年生は来年度の目標などをOBに伝えた。その後、昼食を取りながら懇談した。
同部には本年度、1年生9人、3年生8人が在籍した。高総体県大会では3年生が男子400メートルハードルで2位と5位、同110メートル同で3位、男子やり投げで2位、4×400メートルリレーで7位、新人戦県大会では1年生が女子やり投げで優勝した。6位以上が進む東北大会では男子やり投げで7位など健闘した。
400メートルハードル2位の奥村晄矢さん(3年)は「3年間の集大成として良い結果を残せた」と充実の表情。リレー2種目でも活躍した。大会では「OBの方々が陣地に差し入れもしてくださり、すごく力になった」と感謝。卒業後は山梨県の大学に進む。「陸上は続ける。激戦区の関東地区で入賞できるよう頑張りたい」と志を立てた。部長を務めた東方飛龍さん(3年)は「後半はけがをした部員もいて大変だったが、(リレーなど)みんなで協力してできる限りの力を出せたと思う。部員が少ない時期もあり、OBの先輩方の応援がとても励みになった」と話す。県内の大学に進学後も競技を続ける予定で、「走り高跳びで2メートルの跳躍に成功できれば」と目標を掲げた。
「素晴らしい先輩方に刺激を受け頑張れた」と話すのは大瀬和依さん(1年)。小中は野球、バドミントンで鍛え、高校からやり投げを始めた。大会で好成績を収めた中庭庚さん(3年)から競技を教えてもらい、1年生ながら新人戦で初優勝。「野球の経験を生かせればと始めた。3年の高総体でインターハイ出場を果たしたい」と夢を描く。
釜石高陸上競技部は1946(昭和21)年創部。人口増に伴い釜石南、釜石北の2校に分離(1963年~2008年)後、80年代にかけ、県高総体や同新人戦で男子総合優勝を競い合った。両校合わせ、県高総体では4回、新人戦では5回の優勝を成し遂げ、高校陸上“沿岸の雄”として名をはせた。71年には釜石北が東北大会で初の総合優勝を飾った。
OB・OG会は同部躍進の礎を築いた故金野誠さん(1952年卒、本県陸上競技界への貢献で「秩父宮章」受章)の呼び掛けで、2011年2月に発足した。会設立の1カ月後に東日本大震災が発生。被災した現役部員のために会員らが寄せた義援金約75万円を同部に寄付した。その後も会費などを原資に支援金の贈呈を続けていて、支援総額は約160万円(24年3月時点)に及ぶ。この他、Tシャツ、タオル、テント、横断幕も支援。2年に1回、総会を開き、毎年春に会報も発行している。
同部は長年、学校隣の釜石製鉄所グラウンド(ラグビー場兼陸上競技場、現市球技場)を拠点に活動してきた。震災後の改修で陸上用トラックがなくなり、同部は複数の部が利用する校庭の一角で練習。週末に設備の整った宮古市や遠野市の競技場に出向き、実践練習を重ねる。同会からの支援金はそうした遠征費にも活用されている。
三上教諭は「練習環境が十分でない中でも部員たちは工夫して練習し、各種大会で上位に食い込む力をつけてきた。これもOB・OG会の多大な支援のおかげ。非常にありがたい」と感謝。卒業する3年生には「釜石を離れるが、ここでの経験を糧にそれぞれの目標に向け頑張ってほしい」とはなむけの言葉を送った。
同部OB、OGは全国各地に散らばり、マスターズ陸上で活躍する選手も。第2代会長の阿部征次さん(1963年卒)は大学卒業後、複数の大学で後進の育成に尽力。東京女子体育大の学長を務め、現在は釜石応援ふるさと大使としても活動する。4代目の藤元会長は「釜石市の人口はピーク時の3分の1。高校生徒数も減少しているが、部活で得た仲間は一生の宝。OB・OG会員は全国に300人以上いるので、何かの時には相談に応じられる」と先輩、後輩の絆をアピールした。