出世作は「DAISUKI!」中山秀征は群雄割拠の芸能界をなぜサバイブできたのか?
故ナンシー関に“生ぬるバラエティの申し子”と書かれた中山秀征
皆さんは、芸人小説の先駆けといわれる『芸人失格』(1998年、幻冬舎発行)を読んだことがあるだろうか。作者は、元ABブラザーズの松野大介。登場人物の名称こそ変更しているものの、ABブラザーズ時代のことを赤裸々に描いた私小説として、当時話題になった。
人を笑わせるのが好きだが芸能界にはなじめない主人公に対し、如才のなさでテレビの人気者となっていく相方。その相方こそ、テレビタレントの中山秀征である。故ナンシー関に “生ぬるバラエティの申し子” なんて書かれながらも、芸能界にしぶとく生き残るヒデちゃん。今年なんと芸能生活40周年を迎えるのだそう。今や大御所、渡辺プロ(現:ワタナベエンターテインメント)のトップと言っても過言ではない。
2024年には『いばらない生き方―テレビタレントの仕事術―』(新潮社)という著書を上梓した中山。数々の大物タレントの思い出話と共に、なぜ自分が芸能界をサバイブできているのかを明かしている。
逆ドリカム体制でMC。ヒデちゃんの原点は土曜深夜バラエティ「DAISUKI!」
著書の中で、テレビタレント中山秀征の原点として挙げられているのが『DAISUKI!』。1991年から2000年まで、日本テレビ系で土曜深夜に放送されていたバラエティ番組だ。中山、松本明子、飯島直子のMC3人がさまざまな場所に出向く、いわゆる “街ブラロケ” のハシリだった。
『DAISUKI!』といえば、番組テーマ曲だったシュガー・ベイブ「SHOW」をバックにタイトルコールをする若い女性と、仲良く腕を組んで街中を歩く3人の姿を思い出す。当時、女性2人男性1人という組み合わせから、逆ドリカムなんて言われていた。
はっきり言って、格別おもしろいと思ったことはない。“ゆるいなぁ、お金かかってなさそうだなぁ” なんてことを思いながら、ぼーっと観ていたクチだ。とはいえ、土曜深夜バラエティといえば男性向けのお色気系ばかりだった頃、女性視聴者にも楽しく観られていた番組だったのは確かだろう。唯一の男性MC中山が、下ネタやセクハラめいた発言をすることなく、元祖バラドルの天然ボケぶりと癒し系女優の庶民的な親しみやすさを上手く引き出していた。ちなみにABブラザーズが自然消滅したのが1992年。この年に『DAISUKI!』MCとなったことが、中山秀征の生き残りの糧になったといえるだろう。
名司会者、中山秀征のプロの仕事とは?
10年位前にこんなことがあった。『国民アンケートクイズ リアル日本人!』というNHKのバラエティ番組で、司会をしていた中山。番組の中で、当時よく使われていた “リア充” という言葉が出てきたのだが、中山がその言葉を知らず、解説者的な番組出演者に意味を聞いていた。
ヒデちゃん、こんなことも知らないのか… と思った私がそのことをTwitter(現:X)でツイートしたところ、なんと解説していた番組出演者からこんなリプライがあった。
私もそこから解説なの!? となりましたが、さすがNHK的な配慮だと思いました。本当に名司会者。あそこは私がゼロから解説したほうがスムーズだったんだな、とすごく勉強になりました。あれがプロの仕事。
ふーん、そんなものかと10年前は思ったが、今ではわかる。あれはヒデちゃんの計算。『いばらない生き方』の中で中山はこう書いている。
「情報を全く知らない」はMC失格ですが、「私は知っています。知っている上で、皆さんのために聞いているんですよ」と “上から目線” のアピールは絶対にしたくない。「利口ぶらない」ことを常に心掛けています。
ちなみに、『DAISUKI!』番組スタート時のMCは、松本、飯島、そして吉村明宏。吉村はいったいなぜ降板したのか。吉村がその後芸能界から消えてしまったことから、なんとなく想像はつく。後に、テレビ朝日系『しくじり先生 俺みたいになるな!!』で “和田アキ子の隣にいただけで、自分までエライと勘違いしていばってしまった” と語った吉村。“いばる生き方” では、芸能界は生き残れないのだ。
中山秀征のような人、あなたの会社にもいないだろうか。すごーく仕事ができるわけではないが、愛想や人当たりがよく、上層部からの覚えがよく、宴会を盛り上げるのが上手く、気がつくと同期トップクラスで出世している。“如才ない” という言葉には “人や物事に対して手抜かりがなく、気がきく” という意味もあれば、“抜け目がなく、調子がいい” という意味もあるという。まさに中山秀征である。いい意味でね。