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「架空の生き物」が詠まれた短歌──想像力の源流(歌人・大森静佳)【NHK短歌】

NHK出版デジタルマガジン

「架空の生き物」が詠まれた短歌──想像力の源流(歌人・大森静佳)【NHK短歌】

「NHK短歌」テキストより、短歌の魅力についての解説をご紹介

2024年度『NHK短歌』の講座「“ものがたり”の深みへ」では、大森静佳(おおもり・しずか)さんが講師を務めています。

心に残っている場面や記憶、そこにはかけがえのない自分だけの物語があるはずです。わかりやすいストーリーだけではなくて、そのとき道ばたに白い花が咲いていたとか、たまたま相手の唇にごはんつぶがついていたとか、そんなどうでもよさそうなことさえ、物語の大切なかけらだと思います。絵画や映画などさまざまなジャンルの「ものがたり」を味わいながら、「短歌とは何なのか」「創作とは何なのか」ということをじっくり考えていきます。

今回は「架空の生き物」について、詠まれた短歌をご紹介します。

 以前、『遠野物語』(柳田國男著)で知られる遠野(とおの)を訪れたとき、河童の正体は飢饉(ききん)のために間引かれた子どもの水死体だという説があることを知りました。古今東西の人間の想像力が生みだしてきた妖怪や霊獣たち。架空の、というと軽く響きがちですが、根っこをたどってゆけばじつは欲望、恐怖、夢など私たちの真実の思いや現実社会と深いところで絡みあっているのだと思います。今月はさまざまな「架空の生き物」が詠まれた短歌を鑑賞していきましょう。

天上に竜ゆるりると老ゆる冬われらに白き鱗(いろくづ)は降る

川野芽生(かわの・めぐみ)『Lilith』

 「鱗」は魚などのうろこのこと。空高くから降りそそぐ雪を、あれは実は天上に棲む白い竜の「鱗」なのだと幻想的に捉えています。年老いた竜の皮膚からはらはらと剥がれ落ちる鱗。そう思って冬空を仰ぐと、人間の時間とはちがう天上の時間の不思議さを感じられそうです。「ゆるりる」は初めて耳にするオノマトペですが、厳かでゆったりとした竜の動きを想像させます。
 

男って妖怪便座アゲッパナシだよね真冬の朝へようこそ

雪舟えま(ゆきふね) 『たんぽるぽる』

 トイレで用を足したあとに便座を元通りに下ろさない家族または恋人に対して、やれやれと思う気持ちが新種の妖怪を生み出したユニークな短歌です。カタカナの「アゲッパナシ」がまさに妖怪の名前っぽいですよね。「男って〜だよね」はやれやれまたかという口調ですが、続けて「真冬の朝へようこそ」とあるので、二人でまっさらに澄んだ季節へ踏みだすことを寿(ことほ)ぐような幸福感や相手へのおおらかな愛情を感じとることができるのではないでしょうか。

鹿たちも若草の上(へ)にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅

永井陽子(ながい・ようこ) 『てまり唄』

 「阿修羅」はもともとインド神話の悪神、「迦楼羅(かるら)」は口から火を吹く金色の大鳥ですが、それぞれ仏教の守護神でもあり奈良興福寺の八部衆立像が有名です。夕暮れどき、鹿たちはこれから若草の上で眠るのだから、阿修羅も迦楼羅もそんな恐い顔はやめて静かにおやすみ、と呼びかけているのです。下の句は「おやすみ」のくりかえしに加え、「阿修羅」「迦楼羅」の最後の「ら」音が柔らかく響き、まるで世界中の魂を眠らせる子守唄のような一首です。

雪女消えひとつぶの星のこる村とはふるき火を隠す場所

鈴木加成太(すずき・かなた) 『うすがみの銀河』

 村を去った雪女は何か悲痛な思いを抱いたまま、空に浮かぶ一粒の星に姿を変えたのでしょうか。下の句は「ふるき火を隠す」がとても魅力的な表現で、村という閉ざされた空間で育つ民話や伝承に思いを巡らせます。そういった古い物語のなかに、雪女が抱えていた「火」のように熱い思いが渦巻いているのかもしれません。

わが肩によぢのぼつては踊りゐたミツキイ猿を沼に投げ込む

石川信雄(いしかわ・のぶお) 『シネマ』

 昭和十一年刊行の歌集で詠まれた「ミツキイ猿」は、その数年前に日本で初めて劇場公開されたミッキーマウスのことでしょう。作者には「猿」に見えたのか、それとも突然渡来してきた陽気なキャラクターに対する苦々しい皮肉でしょうか。スクリーンから飛び出したミッキーマウスを力まかせに沼に投げこんだ。アニメ的なシュールな面白さとともに、とげとげしく暗鬱な「われ」の内面が伺えます。

ねえむうみんこつちむいてスコップのただしいつかひかたをしへます

平井 弘 (ひらい・ひろし) 『遣らず』

 日本アニメ版「ムーミン」の主題歌から着想を得た歌ですが、一首全体のひらがな表記にただならぬ雰囲気が漂います。こっちを向いてくれたムーミンに教えたいスコップの使い方とは一体どんなものでしょう。ふつうは土いじりなどに使うスコップ。何も説明されないところに寓話的な恐ろしさがあり、死体を埋めるのかなとか誰かを殴るのかなとか、およそムーミンの世界観とは似つかわしくない妄想が膨らんでしまいます。

しゃぼん玉なんども食べようとしてるゾンビになってもきみはきみだな

野村日魚子(のむら・かなこ) 『百年後 嵐のように 恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た』

 生きた肉体や理性を失ってなお残る「きみ」の本能は、魂の名残りのように思えます。「きみ」は人間なのか犬なのか。いずれにしても「きみ」がしゃぼん玉を真剣に追いかける光景、そして「ゾンビになってもきみはきみ」と信じたがる心に、痛ましいほどの美しさを感じる一首です。

なめろうはゆうれいの肉少しずつ月夜すずしき舌にのせゆく

大森静佳『ヘクタール』

大森静佳(おおもり・しずか)

1989年岡山県生まれ。歌人。「塔」編集委員。2010年、第56回角川短歌賞受賞。歌集に『てのひらを燃やす』『カミーユ』『ヘクタール』(第4回塚本邦雄賞)、歌書に『この世の息 歌人・河野裕子論』。笹井宏之賞選考委員。

◆『NHK短歌』2024年11月号「“ものがたり”の深みへ」より一部抜粋
◆文 大森静佳
◆トップ写真 ©Shutterstock(テキストには掲載していません)

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