コラム【本州湾岸を反時計に一周】032 あいの風とやま鉄道④ 2024年8月27日
※2024年8月27日撮影
トップ画像、呉羽の駅名標識があります。上の高架は北陸新幹線。
呉羽駅です。
※2024年8月27日撮影
富山駅から4.8km。上りは木造駅舎のある単式ホームに入ります。下りは島式ホーム。右側に2024年3月に開設された北口があります。
※2024年8月27日撮影
下り列車が接近してきたので撮影しました。JR西日本からあいの風とやま鉄道に譲渡された編成です。
※2024年8月27日撮影
下り列車に気をとられていたら電車が動き出してしまいました。慌てて駅名標を撮影、明らかにタイミング的に遅かったので、失敗です。
※2024年8月27日撮影
呉羽駅も明治年間に開業しています。この駅を通る度に「クレラップの呉羽化学の創業地なんだ」と考えてしまいます。子供の頃から母親が口癖の様に「クレラップと呉羽化学と呉羽という地名」のコトを言っていたのです。祖父母の出身地に近く、高岡に親戚がいて彼女も若い頃から高岡に何度も来ていたからでしょうか。
イキナリ雨が降りだしました。前面展望が撮影できなくなりました。コレばかりは如何ともし難いです。
※2024年8月27日撮影
5分ほどで小杉駅に着きましたが、サイドウィンドーも雨滴で撮影できません。
※2024年8月27日撮影
凹んでいたら、越中大門駅の手前で雨が止みました。心底ホッとしました。「怪我の功名」と言うのでしょうか、雨でフロント・ウィンドウの汚れがかなりクリアになりました。
※2024年8月27日撮影
木造駅舎のある単式ホームでは無く島式ホームに入線します。
※2024年8月27日撮影
単式ホームの木造駅舎。車窓の雨滴にピントが合っています。しかしマニュアルで撮影するのは動く電車に乗っているので時間的に無理なのです。
※2024年8月27日撮影
反対側には、かつての貨物駅だった側線があります。空模様はあまり楽観できません。
※2024年8月27日撮影
駅名標。なかなか窓の雨滴が乾いてくれません。
※2024年8月27日撮影
越中大門駅は大正年間に開業しました。開業当時の木造駅舎が使われていますが内装外装ともにキレイに修復されています。
ヘンな天気です。高岡駅が見えてきました。
※2024年8月27日撮影
北陸新幹線は新高岡駅なので高岡駅から城端線で1駅離れています。ここにも複雑なポイント群があります。
※2024年8月27日撮影
貨物列車とすれ違います。
30回にも登場した元JR東日本で寝台特急「北斗星」を牽引していた交直両用電気機関車EF510です。こちらはEF510-508。EF510の500番台は製造された15両が全てJR貨物富山機関区に配置されている様です。左奥に城端線(非電化)のキハ40系気動車が見えます。
※2024年8月27日撮影
越中大門駅から3.7kmで高岡駅。4番ホームに入ります。
※2024年8月27日撮影
大好きなキハ40系が見えました。城端線の車両です。
※2024年8月27日撮影
・・・電車が動き出してしまいました。駅名標の撮影に、また失敗。トホホ。
※2024年8月27日撮影
高岡駅も明治時代に開業した古い駅です。JR城端線と氷見線が分岐しています。
余談ですが、筆者の祖父母の出身地が氷見線の伏木なので、筆者は何度か氷見線に乗りに来たことがあります。富山湾越に立山連峰が見えて眺望抜群でした。伏木駅近くの小矢部川に伏木万葉大橋が完成する前、如意の渡しにも乗りました。義経・弁慶の「如意の渡し」の銅像は、伏木駅前に移された様です。
また、筆者は5歳の時、高岡大仏近くの親戚の家に一夏預けられたコトがあって、高岡の町は筆者にとって懐かしい曾遊の地なのです。
金沢行は、大きく左にカーブしながら高岡やぶなみ駅に向かいます。
※2024年8月27日撮影
直線になって大きな跨線橋が見えてきました。
※2024年8月27日撮影
高岡駅から2.6kmで高岡やぶなみ駅です。北陸本線があいの風とやま鉄道に承継されてから開業したあいの風とやま鉄道の新しい駅です。
※2024年8月27日撮影
駅名標。
※2024年8月27日撮影
流石に筆者も、まだ降りたことのない駅です。
金沢行の旅は、続きます。
(文・写真) 住田至朗
※あいの風とやま鉄道の許可をいただいて撮影しています。
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)他を参照しています。