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ロックギターの基礎を作ったビートルズ【ビートルズのことを考えない日は一日もなかった特別対談 VOL.13 野口広之】

Dig-it[ディグ・イット]

リットーミュージックから刊行されている老舗雑誌『ギターマガジン』。多くのギタリストから支持を得ている同誌では以前から折に触れビートルズ・サウンド及び楽器や奏法についての特集が掲載されており、そこで展開される緻密な研究や考証に注目しているファンも多い。それを編集長として企画進行していた野口広之さんが今回の対談相手。旧知の仲ではあったものの、面と向かってビートルズの話をしたことがなく、ぜひ一度ビートルズの話をしたいと思い、今回登場いただきました。現在は『ギター・マガジン・レイドバック』編集長を務める野口さんのビートルズ愛、ビートルズ歴、そしてギターバンドとしてのビートルズの魅力を聞きました。

編集長になってからビートルズの特集は確実に増えた

『ビートルズ・アンソロジー』

竹部:ぼくが野口さんに会ったのは「ジョン・レノン・スーパーライブ」の際に行われたアマチュア・バンドコンテストの審査員で一緒になったのが最初でした。2000年か2001年くらいだったでしょうか。確か初台のライブハウス、ドアーズだったと思います。

野口:そうでしたね。

竹部:そのときは名刺交換くらいだったんですが、しばらく時間が経ってからてりとりぃ会で再会して、付き合いが始まった。リットーミュージックから出た濱口英樹さんの著作『作詞家・阿久悠の軌跡』の編集をぼくがやったので、そのときに一緒に仕事もしました。

野口:阿久悠さんの本ではお世話になりました。

竹部:最初にお会いした『ジョン・レノン・スーパーライブ』ときの野口さんの役職っていうのは、リットーミュージックの『ギター・マガジン』の……。

野口:編集長ですね。

竹部:すでに野口さんはビートルズ・ファンとして知られていて審査委員に声がかかったということでしょうか。ぼくはオリコンのときに勝手にビートルズ担当を名乗っていたので……。

野口:ビートルズ・クラブから声をかけてもらったんです。代表の斉藤さんとは何度か仕事を通して交流があったんです。『ギター・マガジン』でビートルズ特集をやるときは、相談をすることもありましたし、写真を借りに事務所に行ったこともありますから、その流れで声がかかったんじゃないかなと思います。

竹部:『ギター・マガジン』編集長何年目ぐらいだったんですか。

野口:編集長になったのが98年でしたから、2~3年目でした。

竹部:野口さんが編集長になってからビートルズの特集が増えたっていうことですか。

野口:その前からやっていましたけど、ぼくが編集長になってから確実に増えたと思いますよ。まず95年に『アンソロジー』が出たじゃないですか。あのときに出た翻訳版はリットーからだったんです。あの本にはぼくは関わってないんですが、あのあたりから『ギター・マガジン』でビートルズを扱うことが増えました。

竹部:あの分厚い本、予約して買いましたよ。

野口:結構売れたんですよ。10万以上は売れたんじゃないかな。

竹部:それはすごい。あの本、高価でしたし、判型も大きかったし豪華仕様だったし。

野口:タワレコの渋谷で叶姉妹に来てもらってイベントやったりしました。

竹部:あのときの『アンソロジー』はCD、テレビ、本と続きましたよね。それぞれがお祭りでした。

野口:『アンソロジー』でビートルズ人気が再燃しましたよね。「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」という新曲も出て。その余韻もあって『ギター・マガジン』でビートルズの記事を作りました。その前からビートルズの楽器についてのエキスパートで、withというお店をやっている大金直樹さんと知り合いだったことも大きいですね。大金さんとは95年ぐらいにリッケンバッカーの本を作ったんですよ。『RICKENBACKER』っていう1冊まるごとリッケンバッカーの本を。大金さんってご存じですか。

竹部:面識はないんですが、テレビで見たこともあります。でもその『RICKENBACKER』っていう本は知りませんでした。

野口:『RICKENBACKER』は社内で頓挫しそうだったのを自分が担当して、「大金さんの監修で作らせてくれ」と言って形にしたんですよ。大金さんはリッケンバッカーのメンテに関しては第一人者というか、大金さんしかいないと言っていいくらいの人なので。結局、最初から全部作り直しました。アメリカのサンタアナにあるリッケンバッカー本社に行って、工場の取材や社長、職人にもインタビューして、そこにあった貴重な楽器を片っ端から撮影しましたね。1週間ぐらいいったのかな。

竹部:大がかりな本だったんですね。そこでは大金さんの私物も紹介したり?

野口:個人で所有しているのもいくつかありましたけど、withのお客さん筋はそういう人たちばかりで。日本各地にいるんですが、皆さんすごいコレクターなんですよ。50年代の貴重なものを持っていたり。そういうネットワークを使って撮影をさせてもらいに行ったんです。日本全国っていうほどでもないですけど、覚えているのは、伊豆下田に住んでる人がいて。かなりのコレクターで、何本撮ったかな。

竹部:それは気になる。『RICKENBACKER』探してみます。

『RICKENBACKER』

野口:それも当然ビートルズが発端なんですけどね。そんなのこともあって、大金さんと親しくなったので、『ギター・マガジン』でビートルズの特集を大金さんとやるようになったんです。あとは要所要所でリリースなり事件もあったので、特集をやるきっかけがありましたしね。『ビートルズ・ギア』が出たことも大きいです。

竹部:ありました。画期的な一冊。

野口:それも最初はリットーからだったんですよ。

竹部:そうでした。そのあとDU BOOKSから出ましたよね。

野口:そうです。あれは2002年だったかな。それもあって、『ギター・マガジン』でビートルズの記事が増えていったんです。

竹部:なるほど。でも、それまではビートルズの楽器や演奏に関する研究した書籍って、あまりなかったですよね。ぼくの記憶では『ビートルズ・サウンド』やチャック近藤さんの『ビートルズサウンド大研究』くらい。あとは楽譜やタブ譜。

野口:こう言ったら失礼なんですけど、昔出ていたものは間違いが多かった。

竹部:コードが合ってないことは珍しくありませんでした。

野口:そういう状況もあったから、譜面を取り上げる以上は、きちんとやらなければいけないし、正確性を重視しなければならないと思って、大金さんに監修してもらったんです。大金さんは楽器はもちろん、奏法にも詳しくて、ここのコードはこれだとか、指はこういう押さえ方をしているとか、なんでも知っているんですよ。たとえば、ポールのアコギはツーフィンガーで弾いているんだよとか。

竹部:いまでは普通に知られていることですが、その頃はあまり知られていなかったです。

野口:大金さんはビートルズのコピーバンドもやっているんで、メンバーの奏法を知っているわけですよ。この曲はこの楽器で弾かなきゃダメだし、この弦を使って、こういう奏法で弾かなければビートルズにはならないということが全部頭に叩き込まれてるいわけです。それを聞いて、なるほどと思って。

竹部:弦まで。それは強力ですね。

野口:たとえば「アイ・フィール・ファイン」では、実際にギブソンのJ-160Eを出してきて、アンプ通して弾くと本当にレコードのような音になるんです。そういう例をいろんな曲で見せてくれるんですね。勉強になりました。それを採譜と分析の安東滋さんっていうライターさんに伝えて、ビートルズの音に近づけることを念頭に置いてやっていました。

竹部:記憶をたどると、表紙、中面の写真にもこだわられていて、珍しい写真を使っていたと思うんですけど。

野口:大金さんとよく二人で通信社に行って探しましたね。珍しい写真を。当時はまだネットで検索できなかったので、通信社まで足を運んで中古レコード屋でレコードを漁るように大量のポジから貴重な写真を探していました(笑)。

竹部:だからなんですね。表紙のインパクトがありました。評判もよかったのではないですか。読者の反応も細かそうですが。

野口:当時はハガキでしたけど、読者からたくさんの反応が来ました。初めて知ったとか、ビートルズがこんなギターを使っていたとは知らなかったとか。

竹部:当然数字もよかったと。

野口:ビートルズ特集は例外なく売れました。売れなかった特集はなかったと思います。力入れて作ったし、数字も良かったので、楽しかったなっていう思い出ですね。

竹部:それまでそういう切り口が、なかったんですよね。『ギター・マガジン』ではどのくらいビートルズ特集をやったんですが。

野口:数えたことないけど、十数回じゃないかな。よく覚えてるのは、大金さんと初めてやった大きな特集で、アルバムごとにどの曲で何の楽器を使っているか、細かく解説したんです。そこに譜面をつけて、こういうふうに弾いているみたいなことをレクチャーしたり。

竹部:読んだ記憶あります。

野口:その後、雑誌でやったビートルズの特集を全部まとめて『Guitar magazine Archives』というタイトルで本を出していますね。

『THE BEATLES Guitar magazine Archives』

幼少期にリアルタイムでビートルズを聴いていた

竹部:ちょっと遡りますが、野口さんがリットーミュージックに入られたのはいつですか。

野口:86年入社で、『ギター・マガジン』編集部に配属されたのが88年。それから93年までいて、94年から96年まで出版課で単行本を作って、97年にまた戻ったんですよ。

竹部:それで98年から編集長と。入社時点からビートルズ・ファンだっていうことは社内では知られていたのでしょうか。

野口:そこまで大袈裟じゃないですけど、社内でビートルズ・バンド的なものはやっていました。まわりにビートルズ好きも多かったですし。ちょうど初めてCDが出た頃でした。

竹部:87年ですね。

野口:でもまだぼくはCDプレイヤーを持っていなくて、ついに買おうみたいな、そういう時期でした。

竹部:ビートルズは他のバンドに比べると、CD化が遅かったんですね。だから待望の、という感じでした。これも祭りでしたよね。

野口:シングルでしか聴けなかった曲が入っていた『パスト・マスターズ』は感動しました。

竹部:確かに。リットーミュージックに入る動機というのはやはりビートルズというか音楽の仕事に就きたいという気持ちがあったからなのでしょうか。

『トイレット博士』/とりいかずよし

野口:子どもの頃から編集者になりたいと思っていました。小学校の頃に流行っていた『トイレット博士』という漫画が大好きで、その中にスナミ先生っていうキャラクターが出てくるんです。その人は作者のとりいかずよし先生の担当編集者がモデルなんですけど、コマの外から実際の編集者の角南(スナミ)が漫画にツッコミを入れるシーンが作中に出てくるんです。

竹部:『トイレット博士』大好きでしたよ。

野口:そこに担当編集者と漫画家との関係とか、こうやって漫画が出来上がるということが描かれていたんです。それを読んで、世の中には編集者っていう仕事があることを知って、自分も将来こういう仕事がしたいなって思った。

竹部:それはかなり早い時期から編集者志望だったんですね。

野口:自分は漫画が好きだけど、漫画家にはなれない。でも編集者ならなれるかもしれないという思いはずっと頭の中にあった。そのうち音楽が好きになって、中1でビートルズを聴くようになるんです。正確に言うと、3歳くらいの頃に叔母にビートルズを聴かされていたようなんです。僕は1963年生まれなんですが、僕が3〜4歳頃に高校生だった叔母がグループサウンズやビートルズが大好きで、僕にも聴かせていたらしく。

竹部:リアルタイムで聴いていたと。

野口:どうやら「抱きしめたい」とかを聴いていたみたいで。ということは、リアルタイムですよね(笑)。それでさっきの話につながるんですが、中1のときに友達の家でビートルズを聴かされて「この曲聞いたことある」と思ったんですよ。『赤盤』『青盤』だったかな。どの曲もめちゃくちゃ良くて。ちなみにその頃ぼくらは『赤盤』『青盤』じゃなくて『赤ジャケ』『青ジャケ』って言い方していたんですけどね。

竹部:それは何年の話ですか。

野口:76年だと思います。で、その友達がベスト盤みたいに編集したカセットテープをくれて、ずっとそればっかり聴いていましたね。そのあと、ラジオの『軽音楽をあなたに』だったと思うんですけど、そこでビートルズ特集があって、『プリーズ・プリーズ・ミー』から『アビイ・ロード』までのアルバムを全部かけてくれたんです。何日かかったのかな。半月ぐらいやったと思うんですけど。

竹部:NHKFMの夕方ですよね。

野口:そうそう。とにかく録音しなきゃっていうんで、学校からすぐ帰ってきて、カセットテープに録音していました。当時はタイマーがなかったですから。まだレコードは1枚も持ってなかったので、この番組でビートルズのあらましを知ったわけですよ。で、最初に買ったL Pが『マジカル・ミステリー・ツアー』。

竹部:そこですか(笑)。77年だと国旗帯版ですかね。

野口:確かそうだったと思います。その次に買ったのは、当時新譜だった『ハリウッド・ボウル』。

竹部:出ました『ハリウッド・ボウル』。この間、藤本国彦さんのイベントで『ハリウッド・ボウル』を大音量で聴くと言うイベントがありまして。素晴らしかったです。

野口:2曲目の「シーズ・ア・ウーマン」はアルバムに入っていない曲だったから、ここで初めて聴いて、感動したのを覚えています。そこから時間はかかりましたけど全部のアルバムを集めたんです。

竹部:ということは、小遣いをもらったらレコードみたいな。

野口:当時もうバイトをしていたから、バイト代は全部レコードにつぎ込んでいました。カセットテープと。

竹部:中学生で?

野口:していましたよ。いろんなバイトをしました。いちばんよかったのはゴルフ場のキャディ。自転車で山を登ってゴルフ場に行くんですよ。ハーフとラウンドとラウンドハーフっていうのがあって、ハーフが5000円、運がいいとラウンドハーフにあり付いて、1日で10000円ぐらいになるときがあって。滅多にないんですけど。大体ラウンドで7〜8000円くらいもらっていたと思いますよ。

竹部:どういう仕事なんですか。

野口:電動カートにバックを4つぐらい乗っけて、コースを移動していくんです。丸一日つぶれるけど、5000円って結構でかいでしょ。

竹部:中学生ですもんね。ぼくは中学校のときの小遣い一ヶ月3000円でしたから。それが1日で5000円もらえるって。

野口:月に4回行ければ、すごい金額じゃないですか。それを全部レコードとカセットテープにつぎ込んでいました。

竹部:カセットは重要なメディアでしたし、高価でしたよね。

野口:主にエアチェック用ですね。ビートルズはノーマルじゃなくてクロームテープで録りたいとかあるわけですよ。

竹部:77、78年ぐらいの話だとすると、そのあとはどんな感じですか。

野口:中2でギターを始めるんですよ。アリアプロⅡのフォークギターを買いました。最初は友達が好きだったかぐや姫や風、イルカの曲を弾き始めて、あとは当時のヒットソングをコピーしていました。それからいろんな音楽を聴くようになったんですけど、徐々に洋楽寄りになっていって、キッスやチープ・トリック、ボストン、エアロスミス、イーグルスとかを聴いたり弾いたりしながら、一方でビートルズが常に底流に流れていて、忘れたことはなかった。まさにこのコーナーのタイトルのようにビートルズのことを考えない日は一日もなかったですよ(笑)。

竹部:ありがとうございます。新しい音楽が主流になってくと、ビートルズは古いっていうイメージになっていったと思うんですが。

野口:それは全然なかったです。ぼくの周りはビートルズ・ファンが多くて、皆同じような考え方でした。ぼくが持っていないレコードを友達が持っていたり、その逆だったりして、レコードの貸し借りもよくしていたし。ギターでコピーもしていたし。

竹部:それは恵まれた環境ですね。先ほど名前で出てきたバンドの中でビートルズだけ昔のバンドじゃないですか。

『マジカル・ミステリー・ツアー』国旗帯盤

野口:言われてみるとそうで、不思議なんだけどそこに差を感じたことはなかったです。それでギター3人のグループを作るんです。ぼくの場合幸い、ギターの上手い堀内くんっていう友達がいて、彼から基礎的な部分は全部教わって、それでギターが好きになっていったんです。学園祭とかに出ていましたね。

プロのギタリストを目指していた学生時代

竹部:中学校時代にギターで学園祭というのはませてますよね。

野口:そこからディープ・パープル、レッド・ツェッペリンなんかを聴くようになって、そうなったら、エレキが欲しくなるじゃないですか。で、「ハイウェイ・スター」とか、そういう曲をやるようになるわけですよ。

竹部:初めて買ったエレキは覚えていますか。

野口:中3の春休み。だから高校に入る前3月にエレキ買うんですよね。グヤトーンのストラト。大月市の楽器屋で買いました。

竹部:当時の中高生が初めて買うエレキはアリアプロⅡ、グヤトーン、グレコとかその辺ですよね。

野口:雑誌は『ヤング・ギター』。フォークをやっていたときは『ヤングセンス』を必ず買っていたんですが、エレキになると『ヤング・ギター』なんです。高1ぐらいから読み始めたんだと思います。まだ『ギター・マガジン』はなかったので。

竹部:あとは『プレイヤー』ですかね。その頃憧れていたギタリストは誰でしょう。ジョージではないんですか。

野口:やっぱりジェフ・ベック。技巧派に憧れましたね。ビートルズは技巧派ではないじゃないですか。そして高中正義。フュージョンも流行りだしたから、そういう時代ですね。高中はコピーしました。

竹部:この間、『北の国から』の再放送を観ていたら、児島美ゆき演じるこごみさんの家に高中のレコードがあって、五郎さんが「この高中って誰ですか」みたいなシーンがあって、当時、みんな聴いてたんだなって思いました。

野口:みんな聴いていましたよ。だから高校生の頃はビートルズをギターで弾くってことはあまりなくて、メインはハードロックでした。バンドでやっていたのはレイジーとか。アイドルバンドからイメチェンしてヘヴィメタル宣言をして『宇宙船地球号』を出した頃です。そこに入っている「Dreamer」っていう曲がめちゃくちゃかっこよくて、それをコピーしていました。あとはランディ・ローズかな。ランディが死んだときに『ヤング・ギター』で特集されたのを覚えています。ずっと憧れていました。

竹部:ヴァン・ヘイレンはいかがですか。

野口:それは当然。初めて見たのは、『ぎんざNOW!』でした。番組内に洋楽のビデオを紹介する日があったんですよ。そこで「ユー・リアリー・ガット・ミー」が流れたんです。それが衝撃で、なんだこの人って。こんなの絶対無理と思いながらライトハンド奏法を練習しましたけどね。

竹部:ぼくもハードロックは通りました。マイケル・シェンカー・グループの武道館に行きましたから。

野口:高校から大学生の頃は東京ニューウェイブも好きでした。自称YMO世代って言っているんですけど、YMOは大好きで、ほかにゼルダ、フリクション、プラスチックス。それからシーナ・アンド・ロケッツ。コピーはしていなかったんですけど、音楽として好きで、東京ニューウェイブと言われるバンドのライブはよく行っていました。とくにゼルダが好きでした。

竹部:ぼくもゼルダは好きでした。とくに初期がいいですよね。

野口:ファーストとセカンドあたり。まさにそれです。

竹部:サード『空色帽子の日』に入ってるギターがすごいハードな曲あるじゃないですか。「FOOLISH GO-ER」って曲、いいんですよね。

野口:結局雑食なんですよね。歌謡曲も大好きだったし。

竹部:根底にビートルズがあるからいろんな音楽が聴けたっていうのはあるんじゃないですかね。

野口:それはあるかもしれないです。

竹部:野口さんはギターの上達は早かったのでしょうか。

野口:胃の中の蛙ってやつですよ。田舎の高校なんで、そこそこ弾ければ注目されて鼻が高くなるみたいな感じだったんですけど、大学に入ったら、こんなに上手い人がプロになっていないのに、自分なんかになれるわけがないって、現実を見させられました。サークルは入っていなかったんですけど、学祭とかにいろんなバンドが出て演奏しているじゃないですか。皆うまいんですよ。アラン・ホールズワースを弾いている先輩がいて、それを見て完全に無理だと思いましたね。忘れもしない。そこで諦めた。

竹部:実際にプロへのアクションはしなかったんですか。

野口:当時は作詞作曲もやっていて、オーディションにテープを送ったりしてましたけど、満足のいくものはできないし、全然通らなかった。ライブハウスにも出たことはありますけど、複数のバンドが出るイベントみたいのぐらいでした。

竹部:実はぼくもバンドをやっていて結構真剣だったんですね。とくにギターのやつがすごくうまくて。センスもテクニックもプロ級だったんだけど、結局プロにはならなかった。

野口:そういう人いっぱいいるんですよ。でも、音楽に関わる仕事はしたいっていうのと、先ほど言ったように小学校の頃から編集者への憧れがあったので、じゃあ音楽系の出版社を受けてみようと思ってリットーミュージックを受けたんです。『ギター・マガジン』を出している会社っていうのが大きかったと思いますね。

竹部:『ギター・マガジン』って何年創刊なんですか。

野口:80年です。ぼくが高2のときに創刊されたんですけど、1回も買ったことがなかった(笑)。というのも、大学生のときに家庭教師をしていた中学生の男の子が『ギター・マガジン』を購読していたんですよ。その子のところに行くと、音楽の話になって、レコードを聴きながら『ギター・マガジン』をネタにしていたわけ。全然勉強せずに。でもその彼は後にプロのベーシストになんだったんですよ。そういうわけで『ギター・マガジン』にシンパシーがあったんです。

竹部:妙な縁を感じますね。

野口:大学4年の夏休みにバンドメンバーだったやつが、『朝日新聞』にリットーミュージックの募集広告が載っているのを教えてくれて、それで応募したら受かったっていう経緯ですね。

竹部:楽譜を読めなきゃいけないみたいなダメみたいな条件はあったんですか。

野口:ぼくは楽譜があまり読めないんですよ。お玉杓子は無理です。当時はコードもそんなに知らなかったと思いますけど興味はあって、『ギター・マガジン』の仕事するようになってから自然に身についたっていうか、勉強もしましたね。知らないと追いついていけないので。仕事を始めてからは聴く音楽も変わっていったし、まったく聞かなかったジャズやソウルも聞くようになって。

竹部:どんな音楽にもギターは使われてるわけだから、いろんなジャンルの音楽を聴かないといけないですもんね。専門的な人にサポートしてもらったりしながら、知識を高めていき、ビートルズを仕事として関わるようになるんですね。そうなるとビートルズの聴き方も変わっていきますよね。プレイヤーとしてのビートルズの魅力を知っていくわけで。

野口:そうです。ビートルズは楽器が下手だって言われていましたが、とんでもないです。ハードロックやフュージョンなどのテクニックに比べれば、技巧という意味では劣るかもしれないけど、下手のレベルじゃないですから。ロックギターの基礎を作ったのはビートルズだと思うので。

「ティル・ゼア・ワズ・ユー」でジョージが弾く素敵なソロ

『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!』

竹部:まさに。先程話が出た『ハリウッド・ボウル』を聴くと、これを生でやっているんだと思うと、圧倒されますよね。女の子の嬌声で何も聴こえないなかで、リズムを合わせて、ちゃんとコーラスをしていた。基本的なことだけども、それをPA環境も整備されていないなかでやっていたとは。

野口:確かに。そして、リンゴのすごさですよね。素晴らしいドラマーだなと思いますね。ビートルズにリンゴが入ってくれてよかったとあらためて思います。

竹部:ビートルズがロックンロールバンドであるゆえって、リンゴのドラムですよね。

野口:絶対そうだと思う。

竹部:他のメンバーをプレイヤーとして見た場合どうですか。ジョージは?

野口:ジョージは全部ピックで弾いてるんだと思っていたら、そんなことはなくて、結構指でも弾いている。チェット・アトキンスみたいなピッキングもやれば、カール・パーキンスのようなカントリー・テイストの弾き方をしたり、いろいろなギタリストの影響を取り入れていることが分かる。ジョージはうまいギタリストだと思いますよ。フレージングの独特な感じとかもすごくいいし。

竹部:気になるソロはありますか。

野口:「ティル・ゼア・ワズ・ユー」。あのソロはすごくいいですよね。

竹部:ジョージじゃないという説もありますが……。

野口:とんでもないですよ。初期のライブ音源を聴けば、それはわかります。エレキであのソロを弾いてますよ。ジョージで間違いないと思います。

竹部:すごくきれいに弾いてますよね。

野口:だからジョージじゃないとか言う人がいますけどね(笑)。レコードでは多分ラミレスのガットギターで弾いてると思うんだけど。

竹部:ジョンはいかがですか。

野口:偉大なロックギタリストっていうか、リズム・ギタリストっていうか。どうやったら「オール・マイ・ラヴィング」のカッティングを思いつくんだろうって思いますよね。

竹部:天性なんでしょうね。あのリズム感は。

野口:リードもいいんですよ。「ゲット・バック」が有名ですけど、「ハニー・パイ」のソロもジョンなんですよ。

竹部:あのジャズテイストの。そうだったんですね。

野口:ジョージがインタビューの中で「あれはジョンが弾いてる」って答えているんです。

竹部:なるほど。今思い出したけど、『デヴィッド・フロスト・ショー』で、「ヘイ・ジュード」を演奏する前にちょっと即興で音を鳴らすんだけど、そのときのジョンのギターがジャズテイストで、なんとなく「ハニー・パイ」に似てます。

野口:あのテイストが得意なんですかね。あと、「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」を頭からコピーしていくと、やっぱりこの人はすごいなってことになるんですよ。なんでこう展開していくんだって。「アイム・ソー・タイアード」もそうですね。なんでこのコード進行になるんだって。あと、「アイ・ウォント・ユー」のリズムとか。

竹部:感覚でやってるんですよね。だから理屈にならない。

野口:「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」だって、全然4分の4じゃないんですよね。なんでこうやってしまうんだろうみたいな。

竹部:それでも違和感がない。ポールはいかがですか。やはり優等生的な感じですか。

野口:いや、変ですよね。「サムシング」のベースとか。あれはすごい。1曲の中にメロディが2通りあるみたいなベース、どうやって考えるんだろう。

竹部:あれはヘフナーではないんですっけ?

野口:リッケンバッカーだと思います。

竹部:ポールのベースって、ゲーム感覚で弾ける感じが好きなんですよ。タスクをクリアしていくみたいな感覚といいますか。野口さんは仕事上、趣味も含めてビートルズ楽器は一通りこう弾いているのでしょうか。

野口:一通り弾きました。

竹部:好きな楽器とかありましたか。

野口:グレッチのテネシアンですね。ジョージが初期に弾いてたやつ。64年頃の曲はこれで弾かないとこの音にならないんだっていう。あの肉厚な音はストラトやレスポールでは出ないんですよ。あと、カントリー・ジェントルマン。この2つのギターを弾かないと初期のビートルズの音にはならない。

『ギター・マガジン』2012年5月号

1980年12月9日、あなたは何やっていたか

野口さんが編集を手掛けたビートルズ本3冊

竹部:なるほど。で、野口さんは『ギター・マガジン』でのビートルズ特集の流れで、今度は書籍でビートルズものをやりますよね。まずは『真実のビートルズ・サウンド完全版』。

野口:これは川瀬泰雄さんと知り合ったことが大きいんです。

竹部:山口百恵、井上陽水、浜田省吾のプロデューサーだった方ですよね。

野口:ビートルズマニアで、しかもプレーを研究している人なんです。最初に知り合ったのは『ギター・マガジン』の記事だったんですが、ある日川瀬さんから「神泉のランタンっていうライブハウスに毎週いるからそこに来て」って言われて、行ったんですよ。その店は毎週水曜日がビートルズ・デイになっていて、そこに来た人で即席のビートルズ・バンドを作って、演奏するっていう。そこで話をして、お互いビートルズが好きだっていうことを確認しているうちに、ビートルズ本を作ろうということになったんです。

竹部:そのライブハウスは聞いたことあります。

野口:実はこの本は前にコンパクトなかたちで『真実のビートルズ・サウンド』っていうタイトルで出ていたんですよ。それはずいぶんはしょって、代表曲だけを取り上げた新書だったんですが、川瀬さんとしては213曲全曲を解説したものを作りたかったらしく、話しているうちに「完全版を作りましょう」ってことになって、それでできたのが『真実のビートルズ・サウンド完全版』。最終的にかなり分厚い本になったんですけど(笑)。

竹部:大変でしたでしょう。

野口:何回か重版もして、よく売れました。

竹部:プレイヤーとしてのビートルズを知りたいっていう人が増えてきてるってことなんですかね。

野口:そうだと思います。

竹部:コピーバンドもたくさんいますもんね。YouTubeで見つけると見ちゃいます。その次にまた川瀬さんと作ったのが『ビートルズ全213曲のカバー・ベスト10』。タイトル通りの内容ですが。

野口:これもまた川瀬さんが鬼のようにビートルズのカバー曲を集めていて。ぼくもビートルズのカバーが好きで、集めたりはしていたんですが、ここまで集める人はいないなと思って驚いて、それじゃあそれを本にしたらどうだろうってことになって、できたんですけど。

竹部:これは他に例を見ない本です。

野口:これも大変だったですね。全部カラーでジャケ写を入れて。

竹部:そのあとに佐藤剛さんの『ウェルカム!ビートルズ』。

野口:ビートルズの来日に尽力した人たちの裏話で、主に石坂敬一さんのお父様の石坂範一郎さんが主人公の話なんですが、要するにこの方は電気会社の東芝の中にレコード部門を作って、東芝音楽工業を設立して、ビートルズの来日にも尽力したんですね。佐藤剛さんがネットで連載していた原稿を書き直して、加筆して、再編集してまとめています。

竹部:ビートルズ来日に関する話はどれも面白いですよね。ぼくは、10年くらい前に藤本国彦さんと一緒に石坂敬一の自伝本を作ったんです。亡くなる一年半前くらいから定期的にお会いして話を聞いて。メインはビートルズなんですが、お父様の話もよく聞かされました。厳しい人だったと。石坂さんは、確認用の最終原稿を渡す約束をしていた1週間前ぐらいに亡くなってしまったんです。佐藤剛さんにも何度か取材したことがあって、『上を向いて歩こう』の著作にサインをもらったこともありました。今となっては佐藤剛さんも石坂敬一さんも亡くなってしまって、悲しいですね。

野口:本当にそうですよ。

竹部:それで、野口さんの今のビートルズ活動はどんなでしょうか。そういえば、バンドをやっているんですよね。

野口:ビートルズを中心としたバンドをやっています。「オー・ダーリン」とか「ノルウェーの森」とか、そういう曲をエピフォンカジノで弾いています。

竹部:楽しそう。

野口:5人編成のバンドで月1ぐらいのペースで練習しています。あと、ビートルズ活動っていったらカンケさんの『ビートルズ10』は毎週聞いています。カンケさんとも仲良くしていただいて。あ、そうだ。ぼくは『ゲット・バック』をまだ見ていないんです。

竹部:それはなぜでしょう。

野口:配信が始まったとき、めちゃくちゃ仕事が忙しくて、7時間も8時間も見られないと思っていたら時間が経ってしまって。DVDを手に入れたので、ようやく見ようかと思ってまして。それを見る楽しみがあるんです。早く見ようと思ってます。

竹部:その話をまたしましょう。『アンソロジー』配信前に見た方がいいかと思いますよ。『アンソロジー』を観始めると、あれも『ゲット・バック』同様長いじゃないですか。

野口:そうですね。この間、映画『ブライアン・エプスタイン』を見ました。時系列で肝心な部分は押さえているんですが、個人的にはもっとブライアンとビートルズの関係や音楽の内容に踏み込んでほしかった。ビートルズと、あるいはジョージ・マーティンとどんな話をしたのかとか。ブライアンが抱えていたゲイとしての心の苦しみに重点が置かれて描かれている印象でした。あと、オリジナル曲が使えなかったみたいで、流れる曲はみんなカバーなんですよ。

竹部:それは残念。『バック・ビート』や『ノーウェア・ボーイ』って、デビュー前だからカバー曲でも成立するけど、デビュー後を描く場合はオリジナルがないと魅力が半減してしまいますよね。

野口:とはいっても、ビートルズ役の4人が微妙に似ていて、演技力も確かなので、ファンなら楽しめることは間違いない。見ておくべき作品ではあると思いますよ。

竹部:わかりました。ブライアンと出会わなければ、ビートルズはなかったということもわかるわけですよね。そろそろ時間なんですが。最後に1980年12月9日のジョンの死について聞きたく思いまして。

野口:夕方のニュースで知りました。高2のとき。ちょうど『ダブル・ファンタジー』が出たすぐ後だったじゃないですか。ジョンの新譜の『ダブル・ファンタジー』を聴いていた頃だったんですよ。

竹部:日本発売は12月5日発売だったんですよね。その4日後でしたから。

野口:でしょ。だからすごくショックで、何をしたかって言われても覚えていないんだけど、心に暗雲が立ち込めるみたいな感じでした。最初は嘘だろうっていう気持ちだったのがテレビもラジオもジョンのニュースを伝えていて、ニューヨークからの中継が入ったりして、徐々に事実として認識していったというところですよね。

竹部:日本におけるビートルズ史って、いちばん大きいのは66年の来日で、もうひとつはジョンの死なんじゃないかって思うんですよ。

野口:特別な日っていうか、忘れられない日ですよね。それ、ぼくも雑誌で特集しようと思ったことがあるんですよ。ジョンが撃たれたあの日、あなたは何をしていましたか。みたいなね、それぐらい、みんなの中に刻まれている事件ですよね。大学のときにもそんな話になったことがあって、ファン同士で盛り上がったことがありました。あるやつはその日、ジョンと麻雀した夢を見たって。

竹部:それわかるな。自分もずっとジョンのレコードを聴きながら壁に貼ったポスターをずっと見ていたら、ジョンのところが浮き出てきたみたいな錯覚に陥ったんですよ。それくらい動揺していたんですね。

野口:それやりましょうか。いいんじゃないですかね。1980年12月9日、あなたは何やっていたか。それはずっと思っていたんですよ。

竹部:『昭和45年11月25日: 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』って新書があるんですが、あれがほかに成立するのはジョンなのかなって。

野口:ぜひやりましょう。

竹部:新しい企画が生まれましたね。今日はどうもありがとうございました。

野口:こちらこそありがとうございました。

日本盤は1980年12月5日に発売された『ダブル・ファンタジー』

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