もし妻に「立派なヒゲ」が生えたらどうする?多毛症を受け入れた実在の女性が“美”を拡張する『ロザリー』
女性もヒゲが生える。そんな当たり前のことに気づくのは思春期の頃か、あるいはまったく意識することのない人もいるかもしれない。それは“一般的な価値観”という名のスティグマにより、人知れず処理するものだとされているからだ(ホルモンバランスの関係等は一旦置くとして)。
もちろん男性向けの脱毛を推奨する広告などを目にしたこともあるだろう。みっともない青ヒゲとサヨナラ、ツルリと清潔感あふれるイケメンに云々、といった羞恥を煽るような謳い文句で“ヒゲなし”の優位性を主張する。実際、ヒゲがないほうが有利に作用する局面が多いことは誰もが知るところだ。
実在した〈ヒゲの貴婦人〉描く『ロザリー』
5月2日(金)より全国公開中の映画『ロザリー』は、ヒゲにまつわる物語である。モデルとなったのは、19~20世紀のフランスに実在した“ヒゲの貴婦人”ことクレマンティーヌ・デレ。たっぷりとしたヒゲをたくわえた女性とその夫、周囲の人々との関係を通して、個人の資質とは関係のない偏見や中傷との向き合い方を描くことで、しっかりと現代性を備えた人間ドラマに仕上がっている。
生まれた時から多毛症に悩まされるロザリーは、その特別な秘密を隠して生きてきた。
田舎町でカフェを営むアベルと結婚し、店を手伝うことになった彼女はある考えがひらめく。
「ヒゲを伸ばした姿を見せることで、客が集まるかもしれない」
始めは彼女の行動に反対し嫌悪感を示したアベルだったが、その純粋で真摯な愛に次第に惹かれていく。
果たして、ロザリーは本当の自分を愛される幸せと真の自由を見つけられるだろうか――。
現代にも繋がる社会の偏見と抑圧
主人公ロザリーは持参金を持ってカフェのオーナーであるアベルに嫁ぎ、素朴な結婚式をあげる。ロザリーを演じる28歳のナディア・テレスキウィッツは幼さすら感じさせる若々しさで、なかなかヒゲ姿とは結びつかない。しかし、ロザリーの肌を間近で見たアベル(名優ブノワ・マジメル)は狼狽し、騙されたとすら言う。
予想はしていた夫からの拒絶に涙しながらも気丈に振る舞うロザリーと、彼女の献身的な性格と商才を見て敬意を感じはじめるアベル。彼は愛情と“常識”とのせめぎあいに八つ当たり気味に苦悩しながらもロザリーを受け入れていくが、やはり“周囲の目”がおそろしい。今から100年近くも前のお話なので、その偏見たるや剣山の如しである。
とはいえステファニー・ディ・ジュースト監督は、ダウナーな伝記ものにはしなかった。また過剰にアーティーな演出を避けたメロドラマ風の話運びからは、なによりもメッセージを優先したいという意志が感じられる。雄大な撮影ロケーションや美術、衣装も(ややクリーンだが)しっかり作り込まれていて、作品世界にすんなりと入り込めるだろう。
本当の自分を、違いを受け入れること
繊細だがおきゃんなところのあるロザリーはとても魅力的で、やがて町の記者も彼女を撮影するためカフェを訪れる。しかし自身の特異性に存在意義を見出すのと反比例するように、ある事故の責任を強引になすりつけられたロザリーは、一時は受け入れられていた町民たちから村八分状態にされてしまう。
“美の基準”は時代を経て変わっていくものだが、電車に乗れば画一的な美意識をゴリ押しされ、テレビを付ければルッキズム全開のドラマやバラエティ番組が垂れ流される現代。私たちは見てくれのコンプレックスに囚われ、やがて自分らしさを失ってしまう。美しくなるための技術は日々進化しているが、どんな時代でも“違い”を受け入れ誇るべきなのだと、この映画を観て思う。
『ロザリー』は5月2日(金)より全国公開中