山の神が<海の魚・オコゼ>を好むと言われる不思議な理由とは? 各地に残る伝承・お祭り
「山」と「海」。対極に思える2つの世界には、意外な関連性があるのを知っていますか。
この不思議な関連性を繋いでいるのはオコゼという魚です。日本では「山の神はオコゼが好き」と言われており、各地に伝承やお祭りが残っています。
では、なぜ「山の神はオコゼが好き」と言われるようになったのでしょうか。
<海の魚・オコゼ>と<山の神>の不思議な関係
単に「オコゼ」という場合、オニオコゼやオニカサゴ、イズカサゴなどの魚を指すことが多いです。
オコゼの由来としては「形が怪奇で容貌が醜いもの」や「愚かなこと」を指す“オコ”と、魚名の語尾である“ゼ”が組み合わさったと考えられています。
「醜い魚」という名が付けられたオコゼですが、味が良い魚が多く、オニオコゼやオニカサゴは高級魚としても知られています。これらの魚は食用として珍重されており、刺身や煮付けなどで非常に美味です。
また、オニカサゴやオニカサゴは「ヤマノカミ」という別名を持っており、ミノカサゴにも同様の呼び名があります。さらに、ミノカサゴ類の中には標準和名に「ヤマノカミ」が用いられている種が複数いるようです。
そんなオコゼと海から遠く離れた山の神は、全く関係性がないように見えますが、なぜ「山の神はオコゼが好き」なのでしょうか。
熊本に伝わるオコゼにまつわる故事
例えば、熊本県水俣市に伝わっている故事には、次のようなものがあります。
大昔、山の神には娘神がいました。その娘神が年頃になった頃、急に部屋に引きこもってしまったため、母神は心配になります。
理由を聞いてみると、「川に写った自分の顔があまりにも醜いので、食事も喉を通らない」というのです。それを聞いた母神は「世の中にはお前よりも醜いものはたくさんいるから、心配することはない」と、使いを海に向かわせ、オコゼを捕ってこさせました。
オコゼを娘神に見せると、その醜さに娘神は大声で笑い、元気を取り戻しました。それに気をよくした山の神は、それからオコゼをいつも自分の側に置いたといわれています。
他の地域でも山の神がオコゼを好む話がありますが、「オコゼが山の神より醜いから」という理由で好まれているとされることが多くあります。「醜い」と言われてしまうオコゼが少し気の毒に思えますが、山の神にとっては醜いながらも愛嬌がある姿として可愛がっていたのかもしれません。
今なお残る山の神とオコゼのお祭り
林業が盛んな三重県尾鷲市では、200年以上続いている「山の神祭り」という奇祭があります。
その昔、山の神と海の神で家来の数を競って争いが起きます。勝負が引き分けになりそうなところで、オコゼが現れたことによって山の神が負けてしまいました。
その様子を見た村人たちが、「オコゼは魚ではありません」と笑い飛ばし、負けてしまった山の神を慰めたといわれています。
その逸話をもとに、懐からオコゼをのぞかせ大笑いしたり、農耕具などをお供えしたりして、山の安全と豊作を願うお祭りです。
醜いけど愛されているオコゼ
現代になっても山の神とオコゼの関係は語り継がれ、神事として受け注がれているのです。山の神と海の魚の逸話が現代まで引き継がれているのは、民俗学的風習を大切にする日本ならではですね。
醜いといわれながらも、山の神からも人からも愛されるオコゼ。水族館や市場などで見かけたら、ぜひ愛嬌のある顔を観察してみてくださいね。
(サカナトライター:秋津)
参考文献
公益財団法人海洋生物環境研究所:魚のことわざ-その62-オコゼ
尾鷲観光物産協会:山の神