社長なのに”下っ端の名刺”で仕事をする友人の話
ずいぶんと前のことだが、少し変わった会社経営者の友人がいた。
彼は名刺を2枚使い分け、普段は“開発部主任”の名刺で仕事をしている。そして銀行やVC(ベンチャーキャピタル)などとの商談の時だけ、必要最小限に代表取締役の名刺を出すようなことをしていた。
「嫌なやっちゃなあ。なんでそんなことしてるねん」
「いやいや、その時々で役割が違うんやから、これが合理的ってもんや。しつこい営業もこーへんようになるし楽やぞ」
確かに、作業着を着て現場に立ち、他のエンジニアと一緒に仕事をしている姿はどう見ても“開発部主任”だった。
まだ30代の頃のことなので、使えた技だったのだろう。
そんなある日、彼の会社の会議室で話していると、別の来客があるという。予定の調整にミスがあり、システム開発の商談で営業担当が来てしまったようだった。そのため予定を切り上げ帰ろうとするが、すぐに終わるので構わないと、奇妙な同席をすることになる。
「主任、今日は上司の部長も連れてきました。詳しい要件なども聞かせて頂き、提案書の作成に入りたいと思っています」
「今の段階で、そんな偉い人にまで来て頂き、恐縮しています。ありがとうございます!」
相変わらずのタヌキ野郎だ。
偉ぶらず、下から聞き手に回る(フリをする)性格も手伝って、全く社長に見えない。そんな形で、「開発部主任」と営業部長の商談は表向き、順調に進んでいった。
しかしそんな空気が、一つのやり取りをきっかけに一変する。
「ところで部長、この生産管理システムと経理システムのデータの受け渡しを今、手動でやっているんです。こんなアナログなこと早く止めたいんですが、業務システムをハブにしてどうにか、予算内で連結できませんか?」
「できなくはありませんが、今のやり方で具体的にどんな不具合があるのでしょう」
「ヒューマンエラーが発生する可能性を考慮しなければならないのが、うっとおしいんです。不確実性はできるだけ排除したいんです」
「しかしそれは経営マターであって、主任のお仕事ではないのではないでしょうか。本当に経営陣は、連結を期待しているのですか?」
そしてそのレイヤーの話をするのであれば、部長さんや担当役員さんと一度会わせてほしいというようなことをいう。
“下っ端は早くスルーして、意思決定権者に会いたい”という本音が、はからずも露呈した形だ。
「そうですよね、私みたいな下っ端が偉そうなことを言ってスミマセンでした!では一度、上司とも相談してみます」
彼は商談を切り上げ、2人は帰っていった。
「ほらオモロイやろ、名刺を使い分けるって。そもそも、肩書きが主任でも社長と同姓同名なら、少しは警戒するもんやろ。何も調べてへんから、社長と同じ名前ってことも気づいてへんのやろな」
「意地悪やなあ。そんな程度のこと許したれよ」
「確かに、その程度のことなら許せる。でもな、一つ許せんところがある。あの部長の、ビジネスマンとして一番ダメなところ何やと思う?」
「相手によって態度を変えることか?」
「少し違うな。何を言っているかではなく、誰が言っているかで、情報を判断していることや。誰が言っても当たり前のことを、“主任の言ってること”として取り合わんかった。アイツはアカン」
「ならばカラの皿を並べよ」
確かにその通りだ。にも関わらず私たちにとって、この先入観やバイアスから自由になることほど、難しいことはない。
子供の言っていること、下っ端の言っていること、素人の言っていること…。
本質的な情報の正しさを判断する上で、過度に重視すべきではない「属性情報」に私たちは無意識に、相当な重きを置いてしまう。
そんな先入観やバイアスから自由になる方法など、果たしてあるのだろうか。
一つの答えは、「硫黄島の戦い」で知られる栗林忠道・中将(以下敬称略)のリーダーシップだろうか。
硫黄島の戦いは太平洋戦争末期、1945年2月19日から3月27日まで続いた、日米による島嶼戦である。
「5日もあれば落とせる」と甘く見ていた米軍を40日近くも苦しめ、さらに島嶼戦において唯一、米軍の死傷者が日本軍を上回った激戦である。絶海の孤島で孤軍奮闘し、最後まで高い規律を維持した栗林。大事にしていた価値観は、「現場を歩き、肌感覚で情報を判断する」ことだった。
栗林が硫黄島の指揮官に着任したのは、米軍上陸の日から遡ること8ヶ月前の1944年6月。その日以来、栗林は島中を毎日歩き、全ての部隊の練度、将兵の健康・精神状態などを自らの目で確認し続けた。毎日の食事も現場の兵卒と同じものを出すように厳命し、幕僚たちにも同じことを求める。
「困ります、中将の食事の皿数は、規定で決まっております」
料理番がそのように意見すると、
「ならばカラの皿を並べよ」
と命じたほどだ。
書類上で、兵卒の栄養状態を把握するのではない。兵卒と同じモノを喰い、栄養状態と体力のリアルを司令部全員が肌感覚として把握せよと、厳命したのである。
そのようにして8ヶ月、将兵とともに文字通り同じ釜の飯を食い、寝食をともにした結果、島嶼戦が始まる頃には島にいる2万人全員が、栗林の顔を知っていた。硫黄島の戦いで現出した“奇跡”は決して偶然ではなく、栗林のリーダーシップがもたらしたものであることに、疑いの余地はないだろう。
そしてこのような原理原則は、決して珍しいものではない。シェークスピアが描いたことで知られる「アジャンクールの戦い」にも、同じような描写がある。
「100年戦争」のさなか、フランスに侵攻したイングランド王・ヘンリー5世は7,000人規模の軽装兵を率いていたが、重武装する2万とも3万とも思われる強大な敵と対峙する。
避けられない惨敗を予感し、明日をも知れぬ命に怯える兵卒たち。するとヘンリー5世は一兵卒に変装し、夜な夜な各部隊を歩きまわり兵卒たちと話し、「現場のリアル」を自分の目と足で確認して回った。
現場は何を恐れており、どうすれば士気が上がるのか。状況を正しく把握すると、『聖クリスピンの祭日の演説』で兵卒たちを鼓舞し、3倍とも5倍ともされるフランス軍の精鋭を撃破する。
書類を見て、事実を知った気にならない。部下や幕僚が言っているのだから正しいのだろうと、盲信しない。そんな姿勢は、優れたリーダーたちの行動原則のひとつなのかもしれない。
「誰が言っているのか」
話は冒頭の、友人と営業部長についてだ。
「経営マターに主任レベルが口を出すなよ…」
本質的に大事な要件定義を求めているにもかかわらず、そんな形で一蹴する営業部長について、そしてそんな会社との取引きを打ち切った友人の判断は妥当なのか。
言うまでもないことだが、「誰が言っているか」を偏重して情報を判断するようなビジネスパーソンが、優秀であるはずなどない。権威に弱く、自律的な判断能力を持ち合わせていない有害なリーダーですらある。
しかしながらその一方で、令和の時代で情報流通の“天下を取った”と言っても良いgoogleですら公式に、こういった趣旨のことを言っている。
「コンテンツの検索順位は、E-E-A-Tのガイドラインに沿って決定している」すなわち、経験(Experience)、専門性(Expertise)、権威性(Authoritativeness)、信頼性(Trustworthiness)である。
つまり「誰が言っているのかに重きをおいて、情報の価値を判断している」ということだ。そんな時代だからこそ、旧くからの友人に教えてもらったこんな言葉が、心に刺さる。
「人は、その人の器で学べることしか学べない」
部下から上がってきた情報、あるいはネット検索上位から得た情報を活用することで、便利にスクリーニングした気になるか。
それとも裏取りを怠らないのか。そんなところでもきっと、その人の“器”が試されているのだろう。もちろん、「主任ごときの下っ端が言うことに価値はない」と判断するようなリーダーに、リーダーとしての器などあろうはずがない。
余談だが昔、週刊東洋経済さんから依頼を受け、「自衛官のキャリア」について解説記事を寄稿したことがある。陸海空自衛隊では何を根拠に出世(昇任)が決まり、どういった人が最高幹部に昇るのか、といった内容だ。
この際、幹部自衛官のキャリア構成を知り尽くす、陸自の幹部候補生学校長などを歴任された元最高幹部に、記事の内容のほぼ全てをご指導頂いた。不足する情報については、海空の現役最高幹部にも教えてもらいつつ、「ここだけ話」も交え、取材記事としてリリースした。
正直、私の著書というよりも「自衛隊の中の人が書いた解説記事」だと、オリジナル性の薄さを反省したくらいだった。
そして発売されると、amazonですぐに、こんなコメントともに☆1の評価がつく。
「東洋経済も、元自衛官でもない素人にこんな記事を書かせるとは終わってる」
何が書いてあるかではなく、誰が書いたのかで読む価値がないと判断し、情報をゴミ箱に放り込んだ形だ。
「人は、その人の器で学べることしか学べない」
というのは、本当に真理だ。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
人生で受け取った名刺の中で、一番の衝撃は「取締役係長」という肩書きでした。
「エライのかエラくないのか、それともネタなのですか?」
と、思わず質問してしまいました。
X(旧Twitter) :@ momod1997
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