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【杉山清貴インタビュー】② 絶頂期に解散!オメガトライブの活動期間はわずか2年8ヶ月

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2024年05月31日 杉山清貴&オメガトライブの40周年ツアー「〜FIRST FINALE TOUR 2024〜 “LIVE EMOTION”」最終公演日(NHKホール)

杉山清貴&オメガトライブ ファイナルツアー
〜FIRST FINALE TOUR 2024〜 “LIVE EMOTION” テレビ初独占放送!
放送日時:7月28日(日)よる8時~(歌謡ポップスチャンネル)

杉山清貴が考えるシティポップとは?


杉山清貴&オメガトライブとしての全国ツアー開催とフェスへの出演、ソロとしてはアコースティックツアーにジョイントライブ… と大車輪の活躍を見せる杉山清貴へのインタビュー。第2回は前回話題になったシティポップへの想い、そして自身のキャリアや音楽的な変遷について語ってもらった。自由なスタンスで音楽に取り組むその姿勢に爽やかな風を感じていただけることだろう。

―― 前回は世界的なシティポップ・ブームから日本人が好む “哀愁” や “切なさ” まで話が及びました。需要の拡大を受けて、最近は “これもシティポップに含まれるの?” と疑問を感じるケースもなくはないですが(笑)、杉山さんはどういう音楽がシティポップだと捉えていますか。

杉山清貴(以下:杉山):まずはサウンドありきで、その原型は山下達郎さんが作られたのではないかと考えています。達郎さんの登場は衝撃的で、初めて聴いたときは “サウンドがめちゃめちゃカッコいい!” と思いましたからね。僕のなかでは70年代後半から80年代、オメガトライブがデビューした頃までの日本のミュージシャンたちが作っていたサウンドに日本独特のメロディがのったもの、でも歌謡曲にはいかない音楽がシティポップなんです。

―― 当時は歌謡曲や芸能界を “あっち側”、フォーク&ロックや音楽界を ”こっち側” と表す風潮もありました。

杉山:その流れでいうと、原田真二くんもシティポップの原型を作ったひとりかもしれません。特に「シャドー・ボクサー」(1977年)はサウンドもカッコよかったじゃないですか。彼は僕より1歳上なのですが、“この若さでもうデビューしているのか。悔しい!” って思いましたもん(笑)。あとはやはりユーミンですよね。

―― ユーミンはサウンドに加えて詞もオシャレで、シティポップの権化と言ってもいいかもしれません。

杉山:アレンジに関して言うと、ユーミンのバッキングをしていたキャラメル・ママ(のちティン・パン・アレー / 細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫)がレコーディングに参加し始めた頃から、ミュージシャンが率先して制作をリードしていくようになった。シティポップにはそういう流れもあると思います。

―― それまではジャズ出身のミュージシャンが活躍していましたが、GS(グループサウンズ)を経て、ビートルズ世代のロックミュージシャンが台頭してきた頃です。

杉山:レコード会社付きのオーケストラではなく、若いミュージシャンが音楽仲間に声をかけてレコーディングをする時代が来て。彼らはそういう環境で腕を磨いていったわけですよね。

―― 彼らのバイブルは欧米のロックでしたが、杉山さんがライブハウスに出入りするようになった高校時代、地元の横浜ではどういう音楽が主流でしたか。

杉山:全国的にはディスコがブームだったので、ダンスミュージックが人気でしたが、横浜は(地元出身の)ゴールデン・カップスに代表される泥臭いロックが多かったんじゃないかな。そこが横浜ならではの一癖あるところでしたね。

ギターを買ったのもビートルズを歌いたかったから


―― 出身地の横浜の話が出ましたので、ここからは生い立ちと音楽遍歴について伺います。杉山さんのお父様は警察官、お母様は常磐津節の師匠で、三味線や唄、踊りなどを教えていたそうですね。

杉山:家では年じゅうお弟子さんたちの練習する音色が響いていて、僕も3歳くらいから三味線と唄を仕込まれました(笑)。音楽は子供の頃は歌謡曲を聴いていましたけど、小学4年のとき友達の兄貴の影響でビートルズを聴くようになって、そこから洋楽にハマったんです。小遣いは全部レコードに使って、ビートルズは海賊盤も含めて買い揃えましたね。中学1年でギターを買ったのもビートルズを歌いたかったからなんです。

―― 小4からビートルマニアになったとは!ビートルズとの出合いがなければ違った人生だったのではないでしょうか。

杉山:そうかもしれません。中学や高校ではバンドを掛け持ちして活動するようになりましたが、本当は後ろの方でギターを弾きながらコーラスをするのが好きだったんです。でもだんだん歌を頼まれるようになって。

―― その頃から音楽の道に進みたいと考えていたのでしょうか。

杉山:いえ、当時の僕は絵を描くことも好きだったので、まずは美大に入って、将来は職業デザイナーとかになれたらいいなぁと考えていました。それで美大の受験に備えてYMCAで絵を習い始めたんですけど、あるときYMCAの横にライブハウスができちゃったんです。

――前回の話に出た『横浜放送局』でしょうか。

杉山:そうです。で、そっちに入り浸るようになって “やっぱり音楽がいい!” と(笑)。両親に話をしたら “やりたいことをやればいい。自活して頑張りなさい” と背中を押してくれたので、ライブハウスで働きながら音楽の道を志すことになりました。やがて自分でも曲を書き始めるのですが、その頃に結成したのが “きゅうてぃぱんちょす” です。当時はジャーニーやTOTOなど、ウエストコースト・ロックを志向していました。

「GOSPELの夜」でポプコン入賞


―― 資料によると、きゅうてぃぱんちょすは1978年の結成で、ヤマハ主催のポピュラーソングコンテスト(ポプコン)の本選に3回連続で出場。1980年5月の第19回大会では杉山さんが作詞・作曲を手がけた「GOSPELの夜」で入賞を果たしています。

杉山:ポプコン出場を機にいろんなところからデビューのお話をいただいたんですけど、そのなかのひとりがのちにオメガのプロデューサーとなる藤田浩一さんでした。

―― 藤田さんはGSバンドのアウトキャスト出身で、当時は音楽事務所『トライアングル・プロダクション』の社長。先進的な感覚を持った方で、レイジーや角松敏生さんを発掘した音楽プロデューサーでもあります。残念ながら2009年にお亡くなりになりましたが、その藤田さんはなんと?

杉山:その頃、彼がイメージしていたAORに僕の声が合うと思ったようで、当初は “ソロでやらないか” と言われました。僕はバンドとしてやりたかったので、そうお伝えしたらバンドとしてのデビューを認めてくれたんです。但し、条件は “プロの作家が作った楽曲を一流のスタジオミュージシャンでレコーディングする” というもの。最初は抵抗したんですけど、スタジオでプロのミュージシャンの演奏を聴いたらレベルが高すぎて納得したんです。もちろんライブでは自分たちで演奏しなくてはならないので、そのサウンドを再現できるよう、メンバーは必死になって練習しましたよ。だから僕らは “藤田さんが求める音楽の表現者” だったんです。

“オメガトライブ” の名付け親はカマサミ・コング


―― デビューに合わせてバンド名も変更されました。

杉山:“オメガトライブ” の名付け親は藤田さんと親交のあったハワイの人気DJ、カマサミ・コングです。藤田さんが “今度新しいバンドを出すんだけど、何かいい名前はないかな” と言ったら、コングが “TIXE(タイクス)” と “オメガトライブ” の2つを出してくれて。TIXEはEXIT(出口)を逆読みした名称、オメガトライブは当時 “ニューエイジ” と呼ばれていた人たちの間で流行っていた言葉で “音楽の最後の世代になればいい” という想いが込められていると言われました。僕らは音の響きからTIXEを希望したんですが、最終的にオメガトライブに決定したわけです。

―― さらに杉山さんの名前がバンド名の前に付きました。

杉山:“恥ずかしいからやめてください” と言ったんですけど、“ボーカリストの名前があった方が覚えてもらいやすいから” と押し切られて(苦笑)。藤田さんは歌い方に対する要求も厳しくて、僕はしょっちゅう反発していましたが、結果としてテクニックや表現力が身について、それが自分の個性になった。今となっては感謝の言葉しかありません。

デビュー曲「SUMMER SUSPICION」でベストテン入り


―― 杉山清貴&オメガトライブは1983年4月に「SUMMER SUSPICION」(作詞:康珍化、作曲・編曲:林哲司)でデビュー。4ヶ月かけてベストテン入りを果たし、一躍人気バンドとなりました。実感はありましたか。

杉山:なかったです(笑)。康さんと林さんが作った曲のよさで売れたと思っていましたから。僕らはあくまでプロジェクトの一員だという意識だったので、どこか他人事だったんですよね。

―― 80年代は音楽番組の全盛期。その後もヒットを連発したオメガトライブは『ザ・ベストテン』(TBS系)や『ザ・トップテン』(日本テレビ系)の常連となりましたが、いわゆる賞レースや紅白歌合戦には出場しませんでした。

杉山:それも藤田さんの方針です。音楽の内容がよければそれでいいと考える方でしたから。

―― 傍目には順風満帆だったオメガですが、1985年12月24日のコンサートをもって解散。活動期間は2年8ヶ月でした。

杉山:デビューした頃は “売れたら好きなことをやらせてもらえるようになる” と思っていたのですが、実際は逆だったんです。一旦ヒットすると、その位置をキープしなくてはならないから違うことができなくなる。このまま続けるのはどうなんだろうと思い始めたときにメンバーからもそういう声が出て、だったらいちばんいいときに解散しちゃおうと。実は翌年のツアーも決まっていたんですけど、わがままを言ってやめさせてもらいました。当時の僕らは25〜26歳でしたが、今なら次の道に進む準備を始められる。そうすれば30歳の節目をいい形で迎えられるのではないかという想いがあったんです。

「さよならのオーシャン」でソロデビュー


―― メンバーの高島信二さんと西原俊次さんは後継プロジェクトの1986オメガトライブに参加。杉山さんは1986年5月にシングル「さよならのオーシャン」(作詞:大津あきら、作曲:杉山清貴、編曲:佐藤準)でソロデビューします。

杉山:オメガを解散したときは “また別のバンドを組んでライブハウスから始めようか” と思っていたんです。ところがレコード会社のディレクターから電話がかかってきましてね。 “まだ契約が残っているからソロ用のシングル曲を書いてください” と言われて “分かりました” と(笑)。それまでオメガのシングルA面はすべて康さんと林さんの作品でしたから、このときは生みの苦しみを味わいました。売れなかったら自分の責任ですしね。

――「さよならのオーシャン」はダイドードリンコのCMに起用され、チャート4位をマーク。杉山さんはその後も様々な作詞家やアレンジャーと組んでヒットを重ねていきます。

杉山:ありがたいことにシングルは毎回いろんなタイアップをつけていただいて。CMの場合は15秒のなかで印象に残るサビを作らなくてはいけないので、作家としてすごく鍛えられましたね。当時は “次はこういう曲にしよう” というよりも、タイアップに合う楽曲にするためにはどうしたらいいかということを常に考えていました。

ソロデビューから30年、より自由に活動したくなった


―― これまでに数多くの作品を送り出してきた杉山さんですが、2017年のアルバム『Driving Music』以降は自作曲のみならず、他の作家からの提供曲も歌うようになりました。心境の変化があったのでしょうか。

杉山:ソロデビューから30年も経つと、自分が作る曲がどういう仕上がりになるか大体見えてしまう。それでは面白くないので、予想外の曲やサウンドがほしくなって、外部の方にもお願いするようになりました。僕はボーカリストでもあるので、より自由に活動したくなったんです。

―― 2023年に発表した最新アルバム『FREEDOM』でも若い作家やミュージシャンとコラボレーションしています。

杉山:リード曲の「Too good to be true」(作詞:杉山清貴)の作曲・編曲を手がけた福田直木くん(1992年生まれ / ブルー・ペパーズ)は前作『Rainbow Planet』(2020年)からのお付き合いですが、70~80年代の音楽に造詣が深くてAORに関する本も出している。今の若い人が当時の音楽を意識して書く曲は僕らの世代のそれとは全く違うので刺激になります。きっと新しい感性で作るからでしょうね。「Goodbye Day」(作詞:杉山清貴、作曲・編曲:松室政哉)の松室くんは今回が初仕事でしたけど、僕が絶対に作らないような楽曲を書いてくれる。若いエネルギーが感じられるメロディとリズムだと思います。「Nightmare」(作詞:杉山清貴、作曲・編曲:Billy Takakura)も自分にとっては新しいタイプの作品で詞がうまくハマったのが嬉しかったですね。

―― コラボするときの判断基準のようなものはあるのでしょうか。

杉山:“自分に合いそうだな” と思えて、冒険できる部分があることですね。たとえばキーが高いと感じてもまずは挑戦してみる。人からいただいた曲はその世界をどう膨らませるかなど、いろんなチャレンジができることが楽しいです。

―― 曲だけでなく、詞を提供されるケースもありますが、曲調やテーマを事前に要望することは?

杉山:そこはお任せしています。基本的に曲先(先にできたメロディにあとから詞を乗せること)なので、いただいた曲を聴いて “自分で詞を乗せたら面白いだろうな” と感じたときは作詞をします。

最新アルバムには、面白いものができたという達成感が


―― 作家から提供された作品も選択しつつ、それまでやったことのない音楽に挑戦するという点ではオメガをやっているときと近い状況のようにも思えます。最新アルバムの手応えは?

杉山:レコーディングが終わったとき “どの曲もライブでやりたい!” と思って、昨年のソロツアー『Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2023』では珍しく全収録曲を歌いました。それくらい面白いものができたという達成感があったんです。

―― ソロツアーといえば、今年は7月6日の座間から『杉山清貴 acoustic solo tour 2024』がスタートしました。10月までに20公演が予定されていますが(7月20日現在)、どんな内容のライブでしょう。

杉山:ソロのシングル曲から始めて、自分の人生の中で大きな部分を占めるハワイでの生活に関連した作品やカバー曲など、杉山清貴の音楽的な変遷、生き方の変遷を辿る内容にしています。関東近郊でやるときは高瀬順くん(ピアノ)と一緒ですが、ほかの地区は僕ひとりの弾き語り。ですから、その日の気分で構成を変えることもあるかもしれません。秋以降は違った形態のソロツアーも考えていますが、詳細はこれからですので、まずはアコースティック・ツアーにお運びいただけたら嬉しいです。

【次回予告】第3回は杉山さんの作詞作曲法や最近のお気に入りの音楽などを伺います。

Information
杉山清貴&オメガトライブ ファイナルツアー
〜FIRST FINALE TOUR 2024〜 “LIVE EMOTION” テレビ初独占放送!
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