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#7 『平家物語』が与えてくれる教訓とは? 安田登さんと読む『平家物語』【別冊NHK100分de名著】

NHK出版デジタルマガジン

#7 『平家物語』が与えてくれる教訓とは? 安田登さんと読む『平家物語』【別冊NHK100分de名著】

安田登さんによる『平家物語』読み解き #7

公家の時代から武家の時代へ、平家から源氏へ。時代の転換期のダイナミズムを描いた『平家物語』。平家はなぜ栄華をきわめ、没落していったのか。戦乱のなか、人々は何を思い、どう行動したのでしょうか。

『平家物語』を知り尽くした博覧強記の能楽師・安田登さんが、難解で長大な物語を「大きな出来事」に絞って解説する『NHK別冊100分de名著 平家物語 こうして時代は転換した』では、時代が動くとき、世の価値観はどのように変化したのか。その変化のありようを私たちが生かせる道とはどんなものなのかについて、読み解きとともに考えていきます。

全国の書店とNHK出版ECサイトで2025年10月まで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、歴史が私たちに伝えようとしたことを探る本書より、その一部を公開します。(第7回/全7回)

清盛と重盛の対比──鹿ヶ谷の陰謀

 さて、「殿下乗合」の事件が起きてから七年後、次なる事件が起こります。なんと、平家を滅ぼしてしまおうという企てが起きるのです。しかし、そのきっかけは些細(ささい)とも思えることでした。

 その年の除目(じもく)(人事異動)で、大納言の藤原成親(なりちか)は左大将の職に就きたいと強く願っていました。ところが、その頃の除目は法皇や天皇の意向ではなく、平家の思うまま。蓋を開けてみると、左大将に任命されたのは清盛の長男・重盛、右大将になったのは三男・宗盛でした。上位の貴族たちを飛び越しての異例の人事です。

「平家の三男に追い越されるとは心外だ」と腹を立てた藤原成親は、平家を滅ぼそうと陰謀をめぐらせます。東山の麓(ふもと)、鹿ヶ谷(ししがたに)にある山荘に集まり、話し合いをする成親たち。そこには、山荘の持ち主である俊寛僧都(しゅんかんそうず)や、後白河法皇も加わっていました。

 この鹿ヶ谷の陰謀は、参加していた武士の多田蔵人行綱(ただのくろうどゆきつな)が密告したことで平家側に発覚します。怒りに燃えた清盛は、関わった者たちを次々に捕らえます。首謀者であった藤原成親も捕らえられて尋問され、処刑されそうになるのですが、それを止めたのも重盛でした。ちなみに成親の妹は重盛の妻であり、さらに成親の娘は重盛の長男・維盛の妻でもあるという姻戚関係にあります。

『平家物語』では、ここで改めて清盛と重盛を対比して、その違いを際立たせます。鹿ヶ谷の陰謀を知ったとき、清盛は激高します。清盛が「平家を滅ぼそうとする者どもが京都中に満ち満ちている、侍どもを集めろ」と命令すると、息子たちをはじめ、「其外軍兵(そのほかのぐんぴやう)、雲霞(うんか)の如くに馳(は)せつどふ」とあり、兵はその夜のうちに六千から七千騎も集まったといいます。

 また、陰謀に関わった者たちを捕らえてもまだ気が済まず、武装した姿で部下を呼びつける様子は「大方ゆゆしうぞみえし」(全く恐ろしいほどに見えた)とあります。『平家物語』の中のこの場面の清盛の描写は、『古事記』の中で、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が武装して須佐之男命(スサノオノミコト)を待っているときの描写に雰囲気が似ています。そこには古代的な荒々しさがあります。

 対する重盛。彼は冷静に、儒教の教えを引きながら、怒りに任せた清盛の行動を止めようとします。巻第二の「小教訓(こげうくん)」「教訓状(けうくんじやう)」の段から、重盛の言葉を見てみましょう。

 まずは、藤原成親を処刑しようとする清盛に対し、「成親は後白河院のお気に入りだからあとで冤罪(えんざい)だとわかったら大変だ。すぐに殺さなくてもよいだろう」と説得する場面。「『刑の疑はしきをばかろんぜよ、功の疑はしきをばおもんぜよ』と古典にもあるではないですか」と重盛は言います。これは、儒教の基本経典である五経のひとつ、『尚書(しょうしょ)』にある言葉です。また、重盛の「『死罪をおこなへば、海内(かいだい)に謀反(むほん)の輩(ともがら)たえず』」(死罪を行うと、国内に謀反の者どもが絶えない)という言葉は、『論語』の一節がベースになっていると思います。

 陰謀に後白河法皇も関わっていることを知った清盛は、法皇を幽閉することを思い立ちます。清盛からその考えを聞かされた重盛は、はらはらと涙を流し、「ご運はもはや末になったと思われます。人の運命が傾きかけるときには、必ず悪事を思い立つものです」と述べて必死に計画を断念するよう訴えます。悪事を思い立つだけならば、まだいい。それを実行したときに「悪行」となり、一族を滅ぼしてしまうのです。

 出家の身であるにもかかわらず武装する清盛に対し、重盛は「内には既(すで)に破戒無慙(はかいむざん)の罪をまねくのみならず、外(ほか)には又、仁義礼智信(じんぎれいちしん)の法にもそむき候ひなんず」と言います。「内には」とは「仏教的には」ということ、「外には」とは「儒教的には」という意味です。仏教的には戒律(かいりつ)を破って恥じない罪に当たるばかりでなく、儒教的には仁義礼智信の法にも背くことになります、と言っているのです。

 さらに重盛は、『史記』を引いて朝恩(ちょうおん)(天子の恩)の大切さを説き、次いで聖徳太子の十七条憲法を引いてこう言うのです。「是非の理」(よしあしの道理)は誰かが決められるものではない。だからたとえ人が怒っても、かえって自分に咎(とが)があるのではないかと考えるべきだ。当家の運命はまだ尽きてはいません、だからこそ謀反は明らかになったのです。そんなに怒ってはいけません。これまでの法皇の莫大な御恩に背くことなく、ますます法皇に忠義を尽くせば、法皇もきっとわかってくれるはず──。

『平家物語』の教訓

 この一連の重盛の訴えは、『平家物語』の主な聴き手であった鎌倉時代以降の武士たちに、大いなる教訓を与えたでしょう。武士というものは、何かあるとすぐ実力に訴えようとする。それに対する戒(いまし)めとして、重盛の言葉は効いたのではないでしょうか。

 驕りの果てに平家が滅亡したことは、聴き手はみんな知っています。だからこそ、「外には仁義礼智信」などという言葉を聞くと、「そうだ、この教えに背いてはいけないのだ」と改めて気を引き締めたと思うのです。

 琵琶法師が『平家物語』を語る平曲(へいきょく)は、能や幸若舞(こうわかまい)などと並び、江戸幕府の式楽(しきがく)(公式行事に用いる音楽や舞踊)のひとつでした。武士が治める世の中においては、体制の安定のため、かつての戦いに敗れた敗者たちの霊を鎮魂することが重要視されたからでしょう。

 同時に、これが儒教と結び付いていたのも、江戸幕府が平曲を重視したひとつの理由ではなかったでしょうか。江戸幕府が統治のベースにしたのは儒教、特に朱子学でした。徳川家光(とくがわいえみつ)の時代の儒者、林羅山(はやしらざん)は朱子学をさらに日本流に解釈し直して、身分の差は生得のものであるという「上下定分(じょうげていぶん)の理(ことわり)」を主張し、重盛の主張する「忠」と「孝」をその理論的根拠としてあげました。その倫理観を教え込まれた武士たちが、平曲で重盛の切々たる言葉を聴けば、「そうだそうだ」と改めて思います。江戸幕府が『平家物語』を重視したのは、こういう目的もあったのかもしれません。

 さて、この事件は次のように決着します。重盛の渾身の訴えに清盛が折れ、成親は処刑されず備前に流されました(が、結局は殺害されます)。成親の子・成経(なりつね)と、俊寛僧都、平判官康頼(へいほうがんやすより)は、鬼界ヶ島(きかいがしま)(鹿児島県硫黄島か)に流罪になります。

 また、その翌年、高倉天皇に嫁いだ清盛の娘・徳子が懐妊します。そこで恩赦(おんしゃ)があり、成経と康頼は鬼界ヶ島から赦免(しゃめん)となるのですが、俊寛だけは許されず、島に取り残されます。悲嘆に暮れる俊寛。このエピソードからつくられたのが、能の『俊寛』です。

 徳子に皇子が誕生し、清盛はのちの天皇の祖父になりました。これにより、清盛の絶頂期がやって来ます。

 しかし翌年、重盛が病で亡くなってしまいます。平家唯一の良心的存在がいなくなり、清盛の横暴さに歯止めがかからなくなりました。すると清盛はクーデターを起こし、関白の藤原基房らを次々に解任して流罪にしてしまいます。なんと、後白河法皇も鳥羽離宮に幽閉(ゆうへい)します。朝廷の要職はすっかり平家の近親者が占め、そしてついに、安徳天皇が即位。清盛の栄華はここに極まったのですが、同時に平家滅亡への足音も聞こえ始めたのです。

続きは『NHK別冊100分de名著 平家物語 こうして時代は転換した』でお楽しみください。

■『別冊NHK100分de名著 集中講義 平家物語 こうして時代は転換した』(安田登 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書における『平家物語』『太平記』の原文および現代語訳の引用は『新編 日本古典文学全集』(小学館)に拠ります。読みやすさを考慮し、現代語訳の一部に手を加えています。

著者

安田 登(やすだ・のぼる)

能楽師。1956年千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。関西大学(総合情報学部)特任教授。高校教師時代に能と出会う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。現在はワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を全国各地で開催。日本と中国の古典の「身体性」を読み直す試みにも取り組んでいる。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

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