『石を洗う』のつくり方~文学座アトリエ潜入記
お盆も過ぎた8月某日。白茶けた夏の日差しを避けながら文学座アトリエに向かう。9月のアトリエ公演に、宮崎の劇団こふく劇場代表・永山智行が新作『石を洗う』で初お目見えする、その稽古をレポートするのが本日のミッションだ。
舞台部分には既に、机や椅子、ちゃぶ台など簡易な家具を置いたアクティングスペースが、飛び石のように置かれている。その前のスペースで始まったのは演出・五戸真理枝や演出部スタッフも参加するラジオ体操! 年齢など関係なく、手足をめいめい自由に曲げ伸ばすその姿はなんだか微笑ましく、長年、市井の人々を描き続ける永山作品の世界への良き入り口のように思えた。
互いの役名を呼び合ったり、ジェスチャーで単語を示すしりとり、感情を託した遠吠え(!)で全員合唱するなどゲーム形式のウォームアップ(演出・五戸氏がどちらも楽し気にこなす様子もオモシロい)の後、稽古本編がはじまった。
今日の稽古は15場、戯曲後半、斎場の場面から。永山戯曲には「ト書きを発語する」という独自ルールがある。時には群唱で、時にはバトンを受け渡すように俳優から俳優へと文節を分け、ト書きを語ることで、台詞を主旋律とすればト書きの朗誦がそれを下支えするハーモニーを奏で始めるのだ。
とはいえ、戯曲にその割り振りや区切りが書かれているわけではなく、「工夫」は演出と俳優陣に委ねられている。戯曲を譜面のように丁寧に読み、解きほぐし、一語に込められたあらゆる可能性を試そうとするコンダクター・五戸。対する8人の俳優たちは、演出家の言葉をしっかりと腑に落としつつ、その指揮下から不意に高く飛び出したり、お茶目に脇道に逸れる遊び心を見せる。(「遠吠え」は、もしかすると劇中本編でも採用されるのかも知れない!)
新劇団というだけでなく、日本の現代演劇が進むべき道を折々に切り拓き、挑戦や冒険にも数限りなく取組み今日までの87年を歩んできた劇団のメンバーは世代に関係なく、皆潔く未知の劇世界に飛び込むことができるのだ。「さすが!」とメモを取りながら、胸の中で快哉を揚げてしまった。
そんな飛躍の大きな演技や表現もあれば、観る者の心を強く惹きつける繊細な叙情もそこかしこに散りばめられている。亡き人を想う家族の哀しみ、自らの老いに対する微かなおそれ、血縁の有無に関係なく互いを想い合う心の交感……。生きていれば誰もが行き当たり、それと気づかぬ時もある濃やかな心情を作家は描き、演出家と俳優たちが丁寧にそれらを立ち上げる。触れるとぬくもりが感じられるような、手織りの布のごとき芝居。その片鱗が既にこの稽古場にはある。
九州の山間の小さな集落と都会の片隅、さらには記憶や生死の狭間を往還しつつ紡がれる『石を洗う』の物語は、きっと観る人ひとり一人に、自身の奥深くへと降りていくような旅をさせてくれるはず。日常から劇場へ、そのさらなる先へと誘う劇の宇宙に是非出会っていただきたい。
取材・文:尾上そら