「クマに見られる」体験に、あなたは何を感じるのか。『劇場版 クマと民主主義』に抱いた「震えにも近しい感覚」
皆さんこんにちは、Sitakkeライターの満島てる子です。
編集部のみんなとともに歩んで約4年。
「したっけラジオ」の名前で、このウェブサイトに関するラジオ番組まで展開できるように。
そんな「チームSitakke」に、またも嬉しいニュースが飛び込んできました。
全国6都市で開催。
札幌ではシアターキノを舞台に開催される「TBSドキュメンタリー映画祭2025」。
約17本の映画を取り上げるこの祭典。なんとその中に、Sitakkeの編集部スタッフの手による作品が入ることになったのです。
Sitakke編集部IKUこと、幾島奈央監督作品、『劇場版 クマと民主主義』。
この上映の話を聞いたときに、私は「ぜひこの映画について、コラムを書かせてほしい!」と、みずから監督(普段は「幾ちゃん」と呼んでいるのですが笑)にラブコール。
そのとき、あたしが執筆の動機として主に抱いていたのは、Sitakkeに関わる人間としての純粋な喜びの気持ちでした。
ですが、作品を鑑賞するなかで。
このドキュメンタリーが取り扱う題材・テーマの深刻さはもちろんのこと、伝えているメッセージの普遍性に衝撃を受け、「ひとりでも多くの人に観てほしい」と真剣に考えるように。
今回は、この映画やクマについてはもちろん、幾島監督という「ヒト」、わたしたちという「ヒトビト」についても、考えたところを綴っていこうと思います。
この記事の内容
・本当に身を案じるならば、すべきこと
・「ヒトビト」の姿に、震えにも近しい感覚を抱かずにはいられない
・おわりに & 上映日時など詳細
クマと幾島監督
幾島監督とクマの出会いは、非常に偶然的なもの。
HBCの報道部で、警察や司法に関する取材も担当していた監督。その配属2ヶ月目で、たまたま1頭のクマに関する報道に携わったのが、その直接のきっかけだったそうです。
今回の『劇場版 クマと民主主義』は、そんな偶然から監督が学んだこと、その目に映し出されたものを、取材開始からの約7年の集大成として作品化した一本。
北海道・島牧村をメインの舞台としながら、クマとヒトとの衝突だけでなく、ヒトとヒトとの軋轢やせめぎ合い、その過程で発生していく問題を描き出し、最終的に私たちが日々当然のように発する「民主主義」という単語にも、再考の光をもたらしてくれる映画となっています。
実は私は、Sitakke編集部と関わってきたこの数年、ずっと監督のことを一方的に生粋の「クマおたく」だと思っていました。笑
クマのこととなると、笑みが止まらなくなる幾ちゃん。Sitakkeの姉妹サイトである「クマここ」も幾ちゃんが立ち上げたもの。
なんなら「したっけラジオ」の中でも繰り返し取り上げさせてもらった、クマ対策のプロですら間違えることがあるという、鬼畜な内容の「ヒグマ検定」。
北海道庁の企画で作られたもので、「クマここ」内からチャレンジできるのですが、あれも何を隠そう、幾島監督が制作に関わっているのです。
クマについては一直線な幾島監督。
ですが、劇中のナレーションにもあるように、そんな監督自身が当取材の初期、クマの駆除について抱いた正直な感想は、とてもシンプルな「かわいそう」の一言でした。
私も同様に、つい最近までクマのニュースについて「撃っていのちを奪うだなんて」と、マイナスの受け止め方ばかりをしていたように思います。
現在、北海道のみならず全国でクマの出没がニュースとなり、時に人的被害までもが報告されています。こうした話題が出るたびに巷で繰り返されるのが、素朴な動物愛護精神に基づく「殺さないで」論でしょう。
これと異なり『劇場版 クマと民主主義』が伝えるのは「殺すかどうかの前にできることがある」というひとつの事実です。
避け得ない駆除はもう眼前にある。より必要なのは、クマと人間との棲み分け。
様々な事情で曖昧になってしまった二者の境界線をどう引き直せばいいのかを、島牧村の住民たちが試行錯誤しながら、専門家の導きも受けつつ、自分たちなりに実践していく様子がスクリーンには映し出されます。
私はこの様子を見た時、ハッとさせられました。
「そうか。本当にクマの身を案じるならば、ヒト側がすべきは、単に現状を感情からネガティブに受け止めることではなくて、みずから学び工夫しながら現状を変えていくことなんだ」と。
そしてさらに、こうも感じたのです。
「おそらく幾島監督は、私が気付かされたような"クマとどう付き合うべきか"ということを、島牧村の住民と一緒に身をもって、いちから学んでいったのではないか。」「この映画はそんな監督自身の、ヒトとしての学びと気づきの過程を克明に描き出し、追体験させる可能性をも開いているのではないか。」と。
ドキュメンタリー映画は一般に、特定の現実を客観的に記録し伝えるものとされています。
ですが、そこに映し出されているのは、あくまで"誰かが向けた"カメラの捉える現実です。取材を行うヒトの主観性はどこかに必ず残り、生きています。
映画『劇場版 クマと民主主義』にとっては、その主観性の残り香こそが素晴らしいスパイス。
幾島監督というヒトが歩み成長していく道のり。それをクマに関するリアルな情報とともに銀幕上で味わうことで、観客側はおのが身をアップデートすることができるのではないかと、あたしはそう思っています。
ヒトビトと民主主義
今回の映画は、もちろんクマについて取り扱ったドキュメンタリーです。
しかし、この作品の中でクマは、単なる主題・被写体というよりも、あるものを映し出す「鏡」としての役割を強く担っているように思います。
では、何がクマを通して描き出されるのか。
「そんな当たり前のことを」と言われてしまうかもしれませんが、その答えは「ヒトビト」のありさまではないかと、私は感じました。特に、集団としての意思決定のあり方、あるいはその困難さには、しっかりとしたスポットライトが当てられています。
私はこの映画を見たとき、最初震えにも近しい感覚を抱かずにはいられませんでした。
スクリーン上に、島牧村というコミュニティのなかで発生している(あるいは、村民自らが発生のメカニズムに関わってしまっている)いびつなディスコミニケーションが、これでもかというほど克明に描き出されていたからです。
もちろん住民の方々の様子について、その負の側面ばかりが描き出されるわけではありません。全編を通して見えてくる、クマについて官民一体となって取り組もうという姿勢と、それが段々と功を奏しひとつのムーブメントになっていく過程には、観客として晴々しいものがありました。
しかしながら、同時並行で浮き彫りになっていく、クマに関する/村の状況に関する各人の情報量の差と、それに基づく閉鎖的なやり取り、あるいはやり取りの拒否。
「クマとの事故を防ぎたい……願うことは同じはずなのに、なぜ人はすれ違うのでしょうか」と、監督みずからがナレーションしているのとまさに同じ疑問が、作品鑑賞の途中、私の頭の中にはでかでかと浮かんでいました。
ちなみに『劇場版 クマと民主主義』が投げかけるこの問いは、クマと島牧村に限るものではないと私は考えています。むしろあらゆる社会課題、あらゆる集団に共通している構造上の問題が、この映画では明らかにされています。
政治上の権力の不均衡、富の再分配にまつわるいざこざ、そしてそれらがもたらす、当事者たちの抱える危機の不可視化など……。
劇中に見出すことのできるこうした要素は、例えばLGBTQについても、今まさに米国で起きているバックラッシュ(揺り戻し)を説明するためには欠かすことのできない観点ばかりでしょう。
他にも、人種差別や言論弾圧といった、今取り沙汰されている様々な事象。それらを紐解いていくために私たちが手にしておくべきパースペクティブをいくつも、この作品の中には見出すことができます。
人間は言葉を介して、互いに意思疎通することができます。
そしてそれにより、個人としてだけでなく集団として、ひとりひとりの意見を汲み取った上で、その行動の方向性を定めることができます。
一種「民主主義」的な手続きが、ヒトビトには常に開かれているはずなのです。
ですが、そのシステムのどこかに不備や、不自然なねじれが起きていた場合、どうなってしまうのか。ヒトビトに一体どんな現実が、それによってもたらされるのか。
今作にはそのひとつの答えを、幾島監督の視点からはもちろん、一種クマという視点からも炙り出していこうという、ひそやかながらも強い意欲が込められているように感じます。
「課題は人間社会にある」という、宣伝用フライヤーに大きく書かれた文言はまさに、この作品が75分で伝えようとしている事柄の真髄を示したものなのではないかと、私はそう思います。
『劇場版 クマと民主主義』。そのラストの約40秒は「クマに見られる」という状況を体験することで締めくくられます。その眼差しに、皆さんは果たして何を感じるのか。
既にこの体験を経ており、たくさん感じるところのあった人間として、ぜひ本作を見た方と思うところを語り合いたいという、そんな欲望を今私は持っています。
おわりに
チームSitakkeの幾ちゃんが作った、珠玉のドキュメンタリー。
今回は私なりに、この映画を観て感じ思ったこと、そこから学び得たことなどを書かせてもらいました。
改めてのお知らせとなりますが、この作品が上映される「TBSドキュメンタリー映画祭2025」は、札幌ではシアターキノで開催。
4月5日(土)から11日(金)の期間となりますので、興味のある方はぜひ劇場に足を運んでいただければと思います。
「クマと人の課題」が「人と人との課題」として描き直される瞬間。
どうか皆さんにも、それをぜひ目の当たりにしていただければ幸いです。
『劇場版 クマと民主主義』(東京・札幌限定上映)
あらすじ
クマと人の課題。
その背景に見えてきたのは、人と人の課題だった。
夕食後、外でガラスが割れる音が響いた。窓を覗くと、黒い影が見えた。ヒグマだ。
「家に入ってくるかもしれない…」そんな恐怖の夜が、2か月も続いた。
やっと解決したかに思えたとき、今度は住民が頼ってきたハンターたちの姿が突然消えた。
クマの被害、ハンターの制約、政治の不透明さ。
7年前、北海道の小さな村が直面した課題は、今や全国に広がっている。
村が歩んできた道のりに、クマ対策のヒントがあった。
東京上映
・ヒューマントラストシネマ渋谷(東京都渋谷区渋谷1丁目23−16 ココチビル 7・8F)
・3月30日(日)午後6時半~
札幌上映
・シアターキノ(北海道札幌市中央区南3条西6丁目 南3条グランドビル 2F)
・4月5日(土)午後2時台~(上映後ゲストトークあり:酪農学園大学・佐藤喜和教授×幾島監督)
・4月7日(月)午後6時台~
・4月9日(水)午後6時台~
※詳細な時間は決まり次第、シアターキノホームページ等で発表
チケットなど詳細は、「TBSドキュメンタリー映画祭2025」公式サイトからご確認ください。
文:満島てる子
オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。 2021年7月よりWEBマガジン「Sitakke」にて読者参加型のお悩み相談コラム【てる子のお悩み相談ルーム】を連載中。お悩みは随時募集しています。
連載「クマさん、ここまでよ」担当:Sitakke編集部IKU
2025年3~4月上映の『劇場版 クマと民主主義』を監督。2018年にHBCに入社し、報道部に配属されてからクマの取材を継続。2021年夏からSitakke編集部。
※掲載の内容は記事執筆時(2025年3月)の情報に基づきます