村尾信尚「能登の復興は遅れているのでは?」
東日本大震災から14年が経った3月11日の「くにまる食堂(文化放送)」では、去年の元日に起きた能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市の新橋旅館の女将さん、九内雅美さんに現在の状況を伺った。
邦丸「東日本大震災から今日で14年ですが、14年前の輪島にいた九内さんはどんな1日だったんですか?」
九内「私は旅館の女将もしておりますけど、幼稚園の教諭をしております。東日本大震災の時は幼稚園に勤務しておりました。幼稚園ではテレビはつけていないのでタイムリーで地震が起きたことは知りませんでした。少し後になって保護者さんから聞いて慌ててテレビをつけました」
邦丸「輪島は揺れましたか?」
九内「輪島はそうでもなかったんです。ですので情報が入るのが少し遅れました」
邦丸「去年1月1日に能登半島地震が起きました。今、輪島の町はどんな状況ですか?」
九内「解体が少しずつ進んでおりまして、空き地が目立つようになってきました。倒壊している建物が少なくなってきた分、見た目はよくなってきたという感じでしょうか。私たちはずっとここで暮らしているので、良くないことなんでしょうが見慣れた風景になってしまっています」
邦丸「慣れてきたということですか?」
九内「電柱だとか信号はまだ傾いた状態のままで、歩道もあちこちデコボコのままなんですけれど、それを跨ぎながらというのが日常になってしまっています」
村尾信尚「能登半島地震は色んな方から『復興が遅れているんじゃないか』という話を聞きますが、地元に暮らしていて実感はどうですか?」
九内「感じ方はまちまちだと思うんですけど、よそから輪島に初めて来られた方や半年ぶりに来られた方なんかは『まだこれだけしか進んでないんだな』と感じるようです。地元で生活している私からすると、一生懸命復興のために動いてくださっている方との付き合いがどんどん出てくるので、それを見ていると『遅い』と言ってしまっていいのかなと思ってしまいます。何にもやっていないわけじゃなくて、地元に帰れず、食事もちゃんとしたものがとれない環境の中で、土曜日も日曜日も動いてくださっている方がいらっしゃるんです。ですので、大きな意味でいうと『どうかな?』と思いますが、目の前を見ると『遅い、何をしているんだ!』というイライラ感はないです。