【倉敷市】【3/1(土)・2(日)開催】倉敷あるく ~ 倉敷のなりたちを建築家の視点からひも解くまち歩きイベント
「倉敷」と聞いて何を思い浮かべますか。
おそらく、美観地区に代表される白壁の町並みを想像されるのではないでしょうか。
現在の白壁の町並みができたのは江戸時代以降ですが、それ以前のようすはどのような感じだったのか、どのようにしてあの場所に町ができたのか。その謎に迫るまち歩きイベント「倉敷あるく」が2025年3月1日(土)、2日(日)の2日間、開催されます。
企画したのは、倉敷を拠点に活躍する建築家グループ「KURASiX(クラシックス)」。
知っているようで実はよく知らないまちの歴史について探求する今回の企画について、紹介します。
「倉敷あるく」について
今回のイベントは「水との関わりから読み解く、倉敷村の成り立ち」をテーマに、1日目と2日目それぞれ異なるエリアのまち歩きをおこないます(参加申し込みはこちら)。
両日とも、午前中は予備知識を学ぶ場としての「座学」、午後から座学で出てきたスポットなどを、実際に自分の目で確認しながらの「まち歩き」をするのが全体の流れです。
概要については、以下のリーフレットを見てください。
KURASiXとは
倉敷の6設計事務所による、建築文化活動のための集合体
企画展、子供模型ワークショップ、建築探訪、街歩き等の建築的文化活動を通して、住環境や景観への
関心を高め、倉敷の建築文化向上の一助になればとの思いから2021年より活動開始
引用:KURASiX 公式サイト
外から見る倉敷村
1日目は、現在の倉敷駅北東部(現在の倉敷市立万寿小学校西側)にあった「浜村」(現在の浜町)の成り立ちや、倉敷村とのつながりについてをテーマに、3kmの行程を歩きます。
「外から見る倉敷村」というタイトルは、独自の用水路開発で先行発展していた隣村の浜村から倉敷村を見ると、何か面白いことが見えてくるのではないかというアプローチから付けられました。
午前中はまち歩きの準備として、三井アウトレットパーク倉敷内にある「Kurashiki Circle」にて、倉敷市歴史資料整備室 畑和良氏による絵図などを用いた座学をおこないます。
午後からは実際にまち歩きをしながら、座学にて出てきた場所を確認します。
今回のまち歩きのテーマに「水との関わり」が挙げられている通り、かつて高梁川から浜村にかけてあったとされる「宇喜多堤」や道中にある用水路も、まち歩きのキーワードになるようです。
そして、なぜ現在の倉敷駅北東部に浜村ができたのか、倉敷村との関係性についての謎を解いていきます。
中から見る倉敷村
2日目は、鶴形山の南側(現在倉敷公民館がある付近)を中心とした「倉敷村」の成り立ちについて、美観地区周辺を中心とした1.5kmの行程を歩きます。
当日の流れは1日目と同様、午前中は倉敷館観光案内所にて座学をおこない、午後からまち歩きといった流れになります。
倉敷の周辺はかつて「吉備の穴海」と呼ばれていたエリアで、現在の鶴形山の南側には海が広がっていました。
その入江となっていた場所が現在の倉敷公民館周辺で、倉敷村は港町としてこのあたりから開けていったと考えられています。
また、タイトルにある「中から見る倉敷村」には、倉敷村の起点となった場所から見えてくる倉敷村の成立ちと変遷の真の姿を捉えたいという意味が込められています。
まち歩きをしながら、瀬戸内海を使った水運とその後の倉敷の発展、1日目に歩いた浜村とのつながりなどについて掘り下げていきます。
企画によせて 〜 主催者インタビュー
今回のイベントの発起人で、KURASiXメンバーである 仁科建築設計事務所 仁科真弘(にしな まさひろ)さん、倉敷建築工房 山口晋作設計室 山口晋作(やまぐち しんさく)さんのお二人にお話を聞いてきました。
──今回のイベントを企画した経緯について、教えてください。
仁科(敬称略)──
倉敷市(まちづくり推進課)の事業の一環で、我々に対して「中心市街地に対しての新たな視点の提示や魅力の再発見などに関連した企画をやってくれないか」という話があり、今回のまち歩きイベントを企画しました。
倉敷は「白壁のまち」というキャッチコピーからも想像されるように、江戸時代の町並みを観光する場所といったイメージを持たれているかと思います。
たしかにそれは事実ですし、素晴らしい部分ではあるのですが、あまりにきれいすぎて映画のオープンセットのようで白々しいといった声も、若い世代のかたを中心に聞かれます。
この町は江戸時代で時が止まっているのではなく、戦前にも近代建築である大原美術館や銀行が作られ、戦後は浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう)氏が倉敷国際ホテルや大原美術館 分館などを整備し、白壁の町並みのなかに近現代の建築が共存しているんですよね。
山口(敬称略)──
倉敷は江戸時代の町並みだけではなく、それぞれの時代の良いものが重なり、時代を追うごとに町自体が変化してきたんですよね。
表立って紹介されてはいないですが、建築家の視点で見ると各時代のエッセンスが積み重なった空間こそが倉敷の良いところだという共通認識があります。
仁科──
また、いかにしてこの場所に町ができたのかについて探っていけば、今後もシリーズ化ができるのではというねらいがあります。
まず手始めとして、今回は中世末期から近世初期(1582年~1615年)にかけて、倉敷の町がどのようにしてできたのか、実際にまち歩きをしながら探っていくイベントを企画しました。
──身近な地域を知るきっかけになってほしいとの思いがあると聞いています。
仁科──
近年、伝建地区(伝統的建造物群保存地区)に指定された町では、町の成り立ちについて行政から事細かな資料を発信しているのですが、全国に先駆けて(1979年)伝建地区に指定された倉敷では、そのような資料がまとめられていません。
これについては天領以来、倉敷の町は商人が発展させ、行政は商人に町づくりを任せてきたという今までの歴史も少なからず影響しているのではないかと思います。
一方で、近年は大原家の語らい座 大原本邸や、大橋家住宅、井上家住宅が公開施設として整備され、それぞれが各家の歴史を紹介するようになってきました。
また倉敷市としても、倉敷物語館にて日本遺産についての展示をおこなうようになり、以前よりは町の歴史を知れる施設が増えてきてはいます。
しかしながら、倉敷の町の歴史を全体的に紹介する施設、いわゆるビジターセンターについてはまだ存在しません。この点については他の伝建地区と比較して周回遅れも甚(はなは)だしい部分です。
山口──
今回の取り組みを通じて、将来的には町の歴史を俯瞰(ふかん)的に知れる施設(ビジターセンター)ができれば、まち歩きをする際にもより深みが出るのではないかとの思いもあります。
── どのような人に参加してほしいですか。
仁科──
これからの未来を担う若いかたに、ぜひ参加してほしいですね。
山口──
高校生、専門学校生、大学生、まちづくりに携わるかたがた、もしくは、将来の倉敷を考えているかたがたですね。
仁科──
まちづくりの議論に役立てるためにも、まずは自らの目と足で、倉敷という地域がどのようにして成り立っていったかを知ってほしいと思っています。
また、倉敷が持続可能な町であってほしいという思いが開催の背景にあります。今回のイベントが、そのために自分たちには何ができるかを学ぶ一つのきっかけなれば、うれしいですね。
おわりに
筆者がこの企画の内容を聞いたときに、専門家のかたと共に歴史の痕跡(こんせき)から起源に迫る点が「ブラタモリ」(NHK総合)のような企画だなと感じました。
インタビューに答えていただいたお二人も、やはりその点は認識されていて、ニッチでマニアックな分野かもしれないけど、(ブラタモリに出てくる有識者のように)まずは自分たちが楽しんでいることを伝えたいと話されていたのが印象的でした。
また、歴史学者ではなく建築家の視点からの企画であることも特徴的です。
良い意味で歴史の専門家ではないことで、より参加者に近い視点にて企画されたイベントだと感じました。
なお、今回のまち歩きで使用される地図については、イベント終了後に観光案内所などで配布されるとのことです。
早春の風を感じながらの謎解きまち歩きを、楽しんでみてはいかがでしょうか。