ジャム&ルイス初来日公演!ジャネット・ジャクソンらを手がけた偉大なるプロデューサー
デジタルファンク・シーンをけん引したプロデューサーチーム、ジャム&ルイス来日
2024年7月28日から、『Billboard Live TOKYO』と『Billboard Live OSAKA』にてジャム&ルイス・バンドの初来日公演が開催される。ジャネット・ジャクソンを筆頭に、多くのアーティストをヒットチャート上位に送り込み、1980年代のデジタルファンク・シーンをけん引、確立。そんなプロデューサーチームによるバンドのステージは、ヒットソング・オンパレードのライブになること間違いないだろう。
気になるフィーチャリング・ボーカリストは、2010年代にジャム&ルイスと所縁のあった、『アメリカン・アイドル』出身の男性シンガー、ルーベン・スタッダードと、女性シンガー、シェレーア。ヒットソングの大物シンガーを引っ張り出してくることは到底かなわないだろうが、アレクサンダー・オニールやシェレールあたりはひょっとしたら帯同の可能性も… なんて淡い期待を抱いていたけど、さすがにそれもハードルが高かったということか。もちろん歌唱の実力は間違いないルーベンとシェレーアは、オリジナルシンガーとそん色ない歌声を披露してくれることは確実なので、まったくもって問題ないが。
ザ・タイムのセッションに大遅刻
ジミー・ジャムとテリー・ルイスの2人は、そもそもは1980年代初頭プリンスのワンマンバンドたるザ・タイムのメンバーだった。1982年に入り2人はプロデューサーチームとしてアーティストのプロデュースを少しずつ始めるようになる。
中堅ファンクグループ、SOSバンドの仕事をしていたことによってザ・タイムのセッションに大遅刻、ジャム&ルイスの2人はプリンスへの責任を感じてメンバーを辞退、奇しくもプロデューサーチームとしての仕事に集中していくことに。1980年代初頭、すでにブレイクしていたプリンスと何者にもなっていないジャム&ルイスの力関係が垣間見られるようで、この有名エピソードはなかなかに興味深い。
大ヒットを記録した「ジャスト・ビー・グッド・トゥ・ミー」
1983年、そのSOSバンドの楽曲「ジャスト・ビー・グッド・トゥ・ミー」が、ブラックコミュニティにおいて大ヒットを記録し(ビルボードR&Bチャート2位)、皮肉なことにジャム&ルイスへのプロデュース依頼が激増。アフロアメリカンに向けてのヒットソングをコンスタントに送り込むようになる。
この頃(1983〜1985年)、ソウルミュージックがグラデーションのようにデジタル(打ち込み)へと移行していく時期において、ジャム&ルイスが手掛けたヒットソングは、先鋭的なデジタルファンク・シーンをけん引するような作品ばかり。世の中がデジタルの移行に四苦八苦、試行錯誤を余儀なくされる中、ジャム&ルイスはまるで高みからお手本を示すかのように、次から次へとコンテンポラリーでソリッドなフロアライクなヒット曲を繰り出していったのだ。
潮目が変わったフォースM.D.'Sの「テンダー・ラヴ」
ただ、ジャム&ルイスが大ヒットを放っていたといっても、それはいわゆるブラックコミュニティ内でのこと、ビルボードのナショナルチャート “Hot 100” におけるトップ10級のヒットは実現に至っていなかった。潮目が変わったのは、新進R&Bグループ、フォースM.D.’Sの「テンダー・ラヴ」(1985年)を映画『クラッシュ・グルーブ』用に手掛けてから。
この「テンダー・ラヴ」はじわじわとヒットの規模を大きくしていき、1986年に入ると “Hot 100” のトップ10に入るナショナル大ヒットを記録(最高位10位)。遂に彼らの名前(及びプロダクション名であるフライト・タイム・プロダクションズ)が広く一般層にまで轟くことになる。
アルバムセールスは500万超、ジャネット・ジャクソンの「コントロール」
そして、ジャム&ルイスの名がアメリカ大衆音楽の歴史に深く刻まれる決定打になったのが、「テンダー・ラヴ」ヒット直後にリリースされたジャネット・ジャクソンの金字塔アルバム『コントロール』(1986年)。兄マイケルのメガセールス・アルバム『スリラー』大ヒット時(1982〜1984年)に2枚のアルバムをリリースするも、鳴かず飛ばずだったジャネットが、背水の陣として起用したプロデューサーがジャム&ルイスだったのだ。
アルバムのトータルプロデュースを任されたジャム&ルイスは見事にジャネット陣営の期待に応え、アルバムからカットされた6枚のシングルはことごとく大ヒットを記録。5曲連続 “Hot 100” トップ10入りを果たし、アルバムセールスは瞬く間に500万超となった。ポップ・デジファンクのお手本のようなヒットシングルは、結果として80年代ジャネットの代表曲となっている。
♪ 恋するティーンエイジャー(最高位4位)
♪ ナスティ(最高位3位)
♪ あなたを想うとき(最高位1位)
♪ コントロール(最高位5位)
♪ 急がせないで(最高位2位)
♪ 愛の法則(最高位14位)
ジャネットの大ブレイクと同時にジャム&ルイスはヒットプロデューサーの座に躍り出て、ジャネットと並行してヒューマン・リーグ、ハーブ・アルパート、アレクサンダー・オニール、シェレール、ニュー・エディション等に大ヒットをもたらした。
「コントロール」を上回った「リズム・ネイション1814」
極めつけは、再度トータルプロデュースを担ったジャネットの次アルバム『リズム・ネイション1814』(1989年)。シングルヒットの規模は『コントロール』を上回り、7枚のシングルがすべてトップ10入り、うち4曲が1位。なんと兄マイケルの『スリラー』超えを果たすことに!
♪ ミス・ユー・マッチ(最高位1位)
♪ リズム・ネイション(最高位2位)
♪ エスカペイド(最高位1位)
♪ オールライト(最高位4位)
♪ カム・バック・トゥ・ミー(最高位2位)
♪ ブラック・キャット(最高位1位)
♪ ラヴ・ウィル・ネバー・ドゥ(最高位1位)
『リズム・ネイション』は90年前後の一大ダンスミュージック・ブームの重要な一角を形成した、“ボビ男現象”(ボビー・ブラウン)と対をなす “ジャネ子現象” までも世にもたらし、ジャム&ルイスは “ジャネット・スーパースター化”の計画を期待以上の実績をもってして実現することになる。
これによってジャム&ルイスは、ベイビーフェイスと並ぶトップ・プロデューサーの座に君臨、実に多くの全米ヒット作品を残すことに。一般的に知られる、ジャム&ルイスが手掛けたヒットソングといえば、SOSバンド以降、一連のジャネット・ジャクソン作品ということになるわけで、その数は驚くほど多く、かつヒット度数が高い楽曲のオンパレード!
音楽性 / 人間性の両側面からその魅力を語るべき、稀有なプロデューサーチーム
ジャム&ルイス・バンドのセットリストは、そういった楽曲一色になるであろうことは確実。また、往年のデジタルファンク名曲がどのように現代風に蘇るのか、そんなところも今回の来日公演の見どころになるのではないだろうか。
自分の力を信じてザ・タイム(プリンス)と袂を分かって大成したジャム&ルイスは、プリンスのサントラアルバム『グラフィティ・ブリッジ』(1990年)で久々の邂逅を果たすと同時に並々ならぬ尽力を注ぎ、同年ザ・タイムの再結成にも参加して大きな成功をもたらした。地元愛にあふれた浪花節的動きにもしっかり対応していた大プロデューサー、ジミー・ジャム、テリー・ルイス。音楽性と人間性の両側面からその魅力を語るべき、稀有なプロデューサーチームなのだ。