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MR.BIG 正真正銘のラストライブ!どこよりも日本で愛されたハードロック界のスーパーバンド

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2025年02月25日 MR.BIG来日公演「The BIG Finale!Forever In Our Hearts」開催日(日本武道館)

日本中に感動をもたらしたフェアウェルツアーのアンコール!


MR.BIG奇跡の来日公演『The BIG Finale!Forever In Our Hearts』2daysが始まった。2月22日大阪城ホール、そして25日には文字通り “ビッグ・ファイナル” として、日本武道館で大団円を迎える。

今回の来日は、2023年7月に行われた『The BIG Finish Farewell Tour』のアンコール公演に位置づけられるもの。前回ツアー最終日の日本武道館では、ビリー・シーンによる日本のファンに向けた感謝の挨拶があり、大きな感動を呼んだのも記憶に新しい。日本では区切りをつけたMR.BIGだったが、そのまま海外でのフェアウェル・ツアーを続行し、2024年にかけてアジア、アメリカ、ヨーロッパを転戦。同年7月にはラストアルバム『Ten』もリリースしている。

日本でのお別れ後もなお、MR.BIGが終わりの場所を探すようにツアーを継続している事実を、どこかしっくりこない感じで見守っていたファンも少なくなかったろう。キャリアを終える決断が覆らないのなら、彼らと一番繋がりの深い国、日本こそ最終地点にもっとも相応しい。多くのファンがそう感じたに違いない。

そんな思いはメンバーも同じだった。今回の公演に際しての “私たちがツアーのキャリアを終える場所は、ここ日本しかありません” というコメントが、全てを物語っている。かくして “フェアウェル・ツアーのアンコール” という、異例のサプライズが叶うことになった。

80sメタルの衰退と反比例する曲線を描き続けた、日本における人気ぶり


振り返るとデビューから今に至るまでMR.BIGと日本のファンの関係は、お互いに “与え、与えられる” ことによって、特別な絆を育んできた。

1989年にデビューするや否や、ベースのビリー・シーン、ギターのポール・ギルバートの超絶技巧の合体が生み出す、テクニカルかつブルージーなハードロックで、HM/HR通の支持をたちまち集めたMR.BIG。甘いマスクとエモーショナルな歌声を持つシンガー、エリック・マーティンの存在も女性ファン獲得に貢献し、本国よりもいち早く日本で人気バンドになった。

ソングライティング力を磨き、メロディアスな要素を強化した1991年の代表作『リーン・イントゥ・イット』が、日本ではオリコンチャート6位と人気を高めると、本国アメリカでも全米ビルボードチャート15位を獲得。バラード「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」が全米1位と遂にブレイクを果たす。

かつてのクイーンやチープ・トリックのように、日本でいち早く人気に火が付き、海外の評価が追いついたMR.BIGだったが、1993年『バンプ・アヘッド』では、グランジ〜オルタナブームに抗えず、全米82位と大惨敗。一方日本では4位と前作以上に躍進し、1994年には初の日本武道館公演を実現した。

1996年の『ヘイ・マン』は、本国ではチャートインさえしなかったが、日本では初の1位を獲得。リリースタイミングの来日では、日本のファンへの恩返しとして、前年に発生した阪神・淡路大震災のチャリティライブを神戸でおこなった。

1999年にポールが脱退し、リッチー・コッツェンを新たなギターに迎えアルバム2枚を制作するも、本国では無風状態。一方、日本ではTOP5に入る “ビッグ・イン・ジャパン” の状況が継続。MR.BIGの日本における人気ぶりは、1990年代におけるHM/HRシーンの衰退と反比例する曲線を描き続けた。

解散と再結成を経て、より強固になった日本のファンとの絆


2002年、MR.BIGはバンド内のゴタゴタを修復できずに解散を発表。日本の地で最初のフェアウェル・ツアーが行われたが、2008年にポール・ギルバートが復帰する形で再結成が実現。この時、ファイナルの地に選ばれたのも日本だった。彼らがいかなる試練に直面しても、日本のファンは力を与えて待ち望んでくれたからだ。

両者の関係が深まる中で起こったのが、2011年の東日本大震災だった。これまで世界のどこよりもバンドを支え続けた日本のファンに、再び恩返しをしたい。そう願った彼らは、震災からわずか1か月後に来日し、東北(盛岡)を含むジャパンツアーを敢行。被災地救援シングル「ザ・ワールド・イズ・オン・ザ・ウェイ」をリリースし、ツアーでの募金とともに義援金を送った。被災地とMR.BIGをつなぐ絆は、2021年公開のドキュメンタリー映画『MR.BIG~3・11から10年 被災地とともに歩んだ外国人バンド』で描かれている。

再結成後も日本ではTOP10に入るヒットを重ねたが、2014年にドラムのパット・トーピーがパーキンソン病であることを公表。困難の中でもパットが帯同した日本ツアーを敢行し、その姿でファンを勇気づけた。2018年、パットは闘病の末に帰らぬ人となってしまったが、2023年のフェアウェル・ツアーではパットを偲びつつ、日本のファンに向けたチャリティ・オークションが行われた。

来日から延べ130公演以上!日本との絆を深めた極上のライヴパフォーマンス


MR.BIGは何より、ライブ会場を通じて直に日本のファンとの絆を深めてきた。僕が彼らのライブを初めて観たのは、1989年10月18日の大阪フェスティバルホール。初来日の記念すべき初日だった。新たに誕生したスーパーグループとして、フレッシュな彼らのパフォーマンスが脳裏に甦るが、これほどまでに日本の地を踏む人気バンドになるとは、そのとき想像もつかなかった。

正式な来日ツアーだけでも、今回を含めて13回。公演数は実に130回以上にのぼるのだから、海外のハードロックバンドとしては異例の数字だ。東名阪といった大都市だけでなく、北海道や九州も含む地方を何箇所もサーキットするツアーが組まれたのも特徴だった。全国各地のファンと直接触れ合う機会が幾度もあったからこそ、MR.BIGは日本中で愛される洋楽ハードロックバンドの地位を確立したのだろう。

プロモーションやソロでの来日も多く、つい最近もエリックが新進気鋭の日本人女性アーティスト、KOIAIのLi-sa-Xと佐藤奏、わかざえもんを従えてMR.BIGの曲を披露するなど、数えきれない。

そして、MR.BIGとして正真正銘最後となる今回の来日では、昨年起こった能登半島地震の復興を支援するために、チャリティ・プログラムやオークションが行われている。来日直前には彼らの思いを込めたシングル「いつまでも僕らの心の中に」(Forever In Our Hearts)を日本先行でリリースした。

最後まで、特別な国である日本と、最愛のファンへの想いを最も大切にした稀有な洋楽ハードロックバンド、MR.BIG。その絆は日本の地で永遠のものへと昇華していくだろう。

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