刹那の自然環境が育む結晶の奇跡。「ゲランドの塩」を訪ねて
フランス・ブルターニュ地方の沿岸に、まるで田んぼのように広がる塩田風景。遡ること10世紀、修道士たちが海水を太陽と風で蒸発させるために整備したシステムが、今も機能する奇跡の地がゲランドだ。動力を一切使わず海水の循環を司り、塩を収穫する職人は「パルディエ」と呼ばれる。千年以上前に確立された塩づくりの営みが、現代の私たちを魅了する理由に迫る。
千年以上前に確立された100%自然エネルギーの塩づくり
ゲランドの塩田地帯の中心で、古くから多くのパルディエ(塩職人)が住まうサラン村。雲ひとつない空の下、潮の香りに満ちた塩田の畦道を自転車で巡る。案内してくれたのは「ル・パルディエ・ド・ゲランド」の生産責任者、オリヴィエ・ド・ヴィルロンさんだ。吹きゆく風は心地よく、日光を遮る樹木のない塩田の日差しは肌に熱い。
ゲランドの塩田地帯の1割にあたる220ヘクタールを管理するブランド「ル・パルディエ・ド・ゲランド」の生産責任者、オリヴィエ・ド・ヴィルロンさん。自営や共同組合、借地の職人など契約する約100人のパルディエを熟知し、塩づくりのノウハウから経営マネジメントまで指導し、相談に乗るという。近年はパルディエの養成学校で教鞭も執る。
「海水、太陽、夏に吹く東からの乾いた風、そしてこの一帯の土壌が粘土層であること。これら4つの自然要素の重なりが、古代ローマ時代からゲランドで塩づくりが営まれる理由です」と、オリヴィエさん。氷河期の終わりに堆積した、海岸線としては極めて稀な遮水性の高い粘土層と、一帯が緩やかな窪地という地形が、海水の引き込みと塩分濃度の凝縮、結晶化を容易にした。
「潮の満ち引きと入り組んだ自然の堤防による湿地帯に、さまざまな用途の塩田が整備され、天候を見極めながら水門を開き、重力で海水を巡らせ、太陽と風で蒸発させる。その原理は二千年以上前から変わりませんが、10世紀に修道士たちが海水を蒸発させるのに最適な水循環計画を立てたおかげで、塩田は現在の形になったのです」
オリヴィエさんの言葉に耳を傾けながら見晴らす広大な塩田に、機械などの動力は皆無。中世の塩田の姿をほぼそのまま現代に伝える貴重な風景だ。
春から夏にフランスに渡るソリハシセイタカシギ。海水を引き入れた浅瀬で獲物を狙う。仏名アヴォセット・エレガントは、その貴賓ある姿を讃えて。塩田のエコシステムとして、他の生物とともに保護されている。
塩田脇に多く自生するサリコルヌ(シーアスパラガス)。シャキシャキした食感と塩味が海藻のような多肉植物。ミネラルも豊富な独特の風味で認知度も高まり、茹でたり、ピクルスにしたりと近年はレストランでの需要も増えている。
毎年6月から9月にかけて、月に2度の大潮時に海水を運河に引き入れ、水門を開けて最初の塩田を満たす。沈澱した泥を周囲の溝に集めたら、仕切りのスレード板の栓を抜き、次の塩田に海水を送る。天候を見定め、開栓のタイミングを微調整するパルディエの知見によって海水の塩分濃度を徐々に、計画的に上げていく。
3番目の塩田では、海水中の炭酸ナトリウムや硫酸カルシウム(強アルカリ性で強い苦味、ザラつきの元となる)など塩の味を損ねる成分を、それらが塩化ナトリウムよりも早く結晶化するタイミングを利用して沈澱させ、上澄みの濃縮塩水だけを次の塩田に送る。機械もフィルターも使わずに行うナチュラルな塩の精製だ。
そして、水流の調節と塩分濃度の均一化を図る4番目の塩田を経て、海水はついに収穫の田「ウイエ」へと向う。
上空から見る「ウイエ」。塩の収穫量で生計を立てるパルディエにとって、複数のウイエを一人で管理できるように設計されている。ウイエの所有者はその前段階の塩田や運河も共同所有し、整備、管理する。
大西洋から引き入れる海水の濃度は35g/1L。塩田と塩田の間につけた僅か数センチの高低差に導かれ、数日をかけてウイエに到達する頃には、およそ250g/1Lの高濃度になっているという。塩が結晶化する300g/1Lまでの最後の蒸発を促す塩田がウイエであり、パルディエたちはここで、性質も味わいも異なる2つの塩を採取する。
水面に浮く初期結晶「フルール・ド・セル」とミネラル豊富な「グレーソルト」
「快晴と乾いた東風の好条件がそろえば、朝のうちにウイエに張った塩水の表面に、陽が傾き始める夕刻の数時間だけ薄い膜状のフルール・ド・セル(塩の華)が現れます」とオリヴィエさん。日中に温められて塩分濃度を増した海水が、夕方の穏やかな風を受けて水面だけが蒸発したときに現れる、極めて軽い塩の結晶がフルール・ド・セル。塩化ナトリウムの結晶は立方晶系だが、一定の環境下で水面だけが結晶濃度に達したフルール・ド・セルのそれは、中心が空洞の逆さピラミッド型といわれる。
水深わずか2cmで結晶化を促すウイエに浮くフルール・ド・セルの収穫。表面の塩だけを注意深く採取する。一枚のウイエで1回に収穫されるフルール・ド・セルは2~5kg。約50kgのグレーソルトの収穫量と比べれば、その希少性が理解できる。
まだ完全な成長を遂げていない非均一なこの初期結晶は、束の間、水面に浮かぶものの、放置すれば時間とともに塩水全体の濃度は上がり、結晶の成長も進む。中心部分の空洞は消えて粗塩となり、底に沈む。この限られた時間内に、パルディエが「ルース」と呼ばれる道具を使い、表面の塩を慎重にすくい上げる。
フルール・ド・セルを収穫する専用の道具「ルース」。網状のフィルターで水を切りながら塩をすくい取る。棒の先端を固定せず、手の動きで角度が自由に変えられるよう工夫されている。
舌の上ですっと瞬時に溶け、鮮やかで繊細な味わいのフルール・ド・セル。その軽やかな口溶けは空気を蓄えた複雑な結晶構造に所以し、雑味のないピュアな風味は、不純物の少ない塩水の表層がもたらす洗練といえる。人工的な加熱をせず、最後まで塩田で塩の結晶を待つゲランドならではの、刹那の自然環境が育む結晶の奇跡、それが、フルール・ド・セルなのだ。
いっぽう、もう一つのゲランドの塩、グレーソルト(粗塩)は複雑でまろやか、旨みや力強さも感じさせる。
「フルール・ド・セルを収穫した翌朝一番の涼しい時間帯に、塩田の底に沈んだグレーソルトを収穫します」とオリヴィエさん。熟練のパルディエの一人、ファビアン・ペシューさんのウイエで、その手際を拝見する。
塩田の底に沈んだグレーソルトを、四隅から静かに、力強く押し出すパルディエのファビアンさん。
グレーソルトの収穫に使う「ラス」。5mの長い棒の先端につけた木板で、底をえぐらないように静かに波を立てながら沈澱する塩を押し出し、木板の反対面を使って手前に引き寄せる。
ウイエの一辺に半円状に突き出た場所にグレーソルトを引き上げる。ここで一晩水切りをした後、木製の一輪車で塩田脇の集積場に運び、円錐状に積み上げてさらなる乾燥を促す。
塩田の底の粘土層との接触を最小限に抑えながら慎重にラスを操作しての収穫だが、グレーソルトには微量の粘土が混ざる。それが薄灰色の仕上がりの理由であると同時に、何よりその粘土がミネラルの宝庫。カリウムやマグネシウム、カルシウムなどの微量元素が海塩の苦味や渋みを包み込み、塩の旨みを引き立てる。通常の精製塩は塩化ナトリウムが99.9%であるのに対して、ゲランドのグレーソルトは90%前後。残りの豊富なミネラルが、いかに塩の風味に多層的な深みをもたらしているかがわかる。
同じウイエから採取された2種の塩。まろやかで複雑な風味のグレーソルト(右)はパスタを茹でたり、煮込み料理に。口溶けが素早く、鮮やかな味わいのフルール・ド・セル(左)は料理の最後の仕上げに。舌で直接味わう機会に賞味したい。
伝承から養成へ。新規参入者が続くパルディエの仕事
「通常は、グレーソルトを収穫した翌朝の6時ころ、新たな塩水をウイエに満たします」とパルディエの日課を語りながら、塩田の脇に群生するマセロンの実やオビオンの葉をオリヴィエさんが差し出す。何世紀にも渡りパルディエたちが、作業の合間に口にしてきた塩田のスナックだと言う。
多年草のマセロン。「仕事合間の眠気覚ましにパルディエたちが噛む」というその実はピリッと香り高く、わずかな苦味が薬のよう。湿地の胡椒と名付けられた英語名はまさにぴったり。かつてはスープや郷土料理の香り付けに使われたという。
「塩田のチップス」とオリヴィエさんが差し出すオビオンの葉。肉厚でプチッとした食感と塩気のある味が、疲れた時のおやつに。乾燥するとパリッとチップス状になるという。右隣はサリコルヌ。
「ゲランドの塩」を名乗るには、中世に確立されたゲランドの優れた塩田機構や環境・生物多様性の保護に加え、パルディエによる手作業も不可欠な条件として、EUが定めるPGI(地理的表示保護制度)の規定の一条項となっている。
「人の手で収穫しなければフルール・ド・セルの繊細な結晶は壊れ、グレーソルトは、収穫時の塩田の底との接触加減で風味が変わる。なにより、あらゆる作業において自然条件を読み解き、対処する職人こそが必要なのです」とオリヴィエさん。
フルール・ド・セルの収穫に使うルースは、以前は栗材だったがカーボンファイバーやアルミに置き換えて軽量化を図り、1950年代までは女性たちが塩入りの30kgの木製容器を頭に乗せて運んだ作業も、一輪車による運搬になって久しい。しかし、「何百年も前から熟考を重ねて整えられた塩づくりの方法や道具に、いまさら足すも引くもないのです」と語る表情は自信に満ちる。
そんな塩田の担い手であるパルディエにも変化は訪れていた。
元来、ウイエは父から子へ継承されてきたが、1950年代以降、放棄されるウイエが見られるようになり、その再建に新たなパルディエの参入がここ数十年続いているという。現在、ゲランドで塩作りを担うパルディエの総数は約400人。その約1割を女性の塩職人(パルディエール)が占める時代になった。以前は伝承が頼りだったパルディエの養成も、学校が設立されて学べるように。パルディエを志し、転職してゲランドの外からやって来たファビアンさんも1年間学校で学び、今では多数のウイエを一人で管理する熟練の一人だ。
ル・パルディエ・ド・ゲランドの塩づくりを担う一人、ファビアン・ペシューさん。基本、ウイエは個人所有。50のウイエを持てば経営が成り立つといわれる独立したパルディエの中で69を所有し、粗塩は午前と午後に分けて一人で収穫に巡る。
「毎日同じ仕事をしながらも、同じ日はない」とファビアンさん。以前の会社勤めと比べ、自分でオーガナイズできるこの仕事に自由とやりがいを感じていると言う。だが、すべての決定権が自分にあるとは思っていない。
「自然、天候が僕の唯一の主人。その恵みと脅威に従いながら、やれる限りの仕事をするだけです」
かつてない気候変動に備え、次の時代に手渡す
ゲランドの塩田は、夏の間何日も雨の続いた2024年は過去40年で最悪の収穫を迎え、快晴の続いた2022年は誰もが過酷な作業に追われながらも大きな収穫を得たという。無類の塩田機構に、卓越のパルディエが労を惜しまず仕事に臨んでも、塩づくりの決定権は常に自然に委ねられる。世界を襲う気候変動の影響も予断を許さない。
太古より塩田地帯を守り続けてきたゲランドの入り組んだ自然堤防の一部。2010年の大規模なシンシア暴風雨がもたらした大災害を機に、その時の状況を基準にすべての堤防を60cmほど上げる作業が現在も進む。
目下、ゲランドが着手するのは、湿地帯と海を隔てる長く迷路のように入り組んだ自然堤防の補強工事だ。十数年前にブルターニュの沿岸地方を襲った大規模な暴風雨と高波が多大な被害をもたらした痛手から、かつてない自然現象のスケールを基準に堤防の高さを上げているという。
オリヴィエさんは「昔から海面より低いゲランドの土地は、時とともに進む海面上昇に対処すべく堤防を上げてきた。各時代のパルディエが将来のために施した仕事の上に現代の私たちがあり、次の時代のために今、備えているのです」と語る。
それぞれの時代に課せられた未来への存亡をかけた試みは、古より今に、パルディエからパルディエに受け継がれる。
食品の品質と個性あるテロワールを守るPGIほか、さまざまな認定を保持するブランド「ル・パルディエ・ド・ゲランド」の海塩。束の間、水面に浮かぶ希少な塩の初期結晶「フルール・ド・セル」(塩の華)は料理の仕上げに。
ミネラル豊富な「グレーソルト」(粗塩)。結晶が大きく、溶けるのに時間がかかるため、茹でたり長時間煮込む料理に適している。また加熱による結晶化を行わないことにより、風味のニュアンスとして重要な鍵を握る、海水由来のかすかな潮の香りも残存する。
◎アクアメール(ゲランドの塩 輸入代理店)
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