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「打ち言葉」の出現で多様化する文字の役割【声と文字の人類学】

NHK出版デジタルマガジン

「打ち言葉」の出現で多様化する文字の役割【声と文字の人類学】

 「声より先に文字がある」「文字記録が信頼されない」など、意外な事例に満ちた文字の歴史を紐解いた『声と文字の人類学』。構造主義をはじめとする文化人類学理論が専門の出口顯さんが、声に出して話し、文字を読むという日常的な営みについて、人文学の領域を横断しながら論じます。当記事では、本書の終章「打ち言葉と手書きの擁護」を特別公開いたします。

バリ島の貝多羅葉(ロンタール)

出口顯『声と文字の人類学』終章「打ち言葉と手書きの擁護」より

打ち言葉の出現

 電子メールやSNSなどのテクストのやりとりは、文字によるものという点で「書き言葉」に入るが、互いのやりとりが比較的短い時間で行われ、一回のやりとりで交わされる情報量も少ない媒体(LINE やXなど)においては、くだけた「話し言葉」に近いものも多く用いられている。

 二〇一八(平成三十)年に出版された、文化庁文化審議会国語分科会の『分かり合うための言語コミュニケーション(報告)』は、「こうした、話し言葉の要素を多く含む新しい書き言葉」を、「打ち言葉」と呼んでいる。情報機器における文字入力は、書き言葉としての従来の日本語表記とは異なるものを多く含んでいる。

 対面でのコミュニケーションでは、相手の表情とか声の調子という言語外メッセージをお互いに読み解きながら会話を進めていくが、書き言葉によるコミュニケーションにはこれらの情報が欠落している。それを補うため、打ち言葉では顔文字や絵文字が発達してきた(口承性に対する書承性の劣位を挽回する試みといえよう)。またローマ字入力の変換ミスがそのままネット俗語として定着していったものもある。おk(OKのこと)や、うp(up、アップロードのこと)などである。SNSでは、誤字脱字や文法上のミスを指摘する人は、「文法指摘マン」だと嫌がられる傾向にある。

 LINE などによる親しい相手とのやりとりでは、短い表現による迅速な返信が求められる。「了解」を「り」に短縮し、一つのメッセージを複数の句に分け(「明日の宿題教えて」を「明日の」「宿題」「教えて」のように)、異なるtalk に「分かち書き」することで相手が見やすいようにレイアウトすることもできる。

 私が非常勤講師で授業をした大学の学生の多くがLINE をするようになるのは、高校生(あるいは中学生)になってスマホを所有してからだが、最初はこの「り」が意味不明だったという。また、「(笑い)」を表すwww の模様が草を連想させることから、「(笑い)」やwww に代えて「草」を送るようになる。これらは一度覚えると何度も使ってしまうようになるという。

 Xのように字数制限がある場合も含めて、打ち言葉は短く、その場ですぐ返信するのが普通である場合、SNSの書き込みは緻密な論理による見解の表明ではなく、ある話題に対する感情表現になりがちである。そのため正しい書き言葉に基づく文章作成能力の低下につながるだけでなく、ある言語で今まで培われてきた書き言葉の質を弱体化させるおそれがあるとして問題視する見解は、洋の東西を問わず根強く存在する。とりわけSNS上での誹謗中傷的な書き込みが短い打ち言葉によるものであればなおさらである。

 しかし、打ち言葉と書き言葉(パソコンで文字を入力していても文章の調子が書き言葉と変わらない場合、これらは書き言葉に相当するとみなす)の正書法を混同する学生は少ないし、創造的な打ち言葉の使用に積極的な学生はスペルテストでも得点数が高いという、擁護派の見解もある。友人同士のLINE での言語表現をそのまま指導教員へのメールに使う学生は少ない。彼らはどのような場でフォーマルな書き方をすべきかを理解しており、正しいメールやレポートの書き方(というより打ち方)の作法を学びたがっていることが、学生たちからのレポートでわかった。またアルバイト先のグループLINE に同年配のバイト学生だけでなく、職場の上司も参加しているとき、目上の人間に友人同士で使う打ち言葉を使用することに気まずさを覚える学生もいる。

直筆の手紙

 打ち言葉に埋没する生活を送る学生の中には、手書きの手紙あるいはメッセージカードをやりとりすることを非常に重視している者もいる。

 女子学生Aは、大学に入学して一人暮らしになったとき、中学時代の友人と文通を始めた。手紙の内容は「最近嬉しかったこと」「気づいたこと」「自分と相手の環境がどう違うかなど、知りたいこと」「共有したい便利な情報」など、LINE でも連絡できることである。より早く連絡できるという点ではLINE が便利である。彼女の相手は、手紙を受け取った嬉しさをいち早く伝えたくてわざわざLINE で知らせてきたほどだ。

 しかし手書きの言葉には、LINE の打ち言葉にないものがある。書き手の筆跡、使う筆記具、消した跡など、書き手が意識していない情報を受け手が読みとることも可能になる。消した痕跡からは、書き手の心の動きも読み取れるように思えるほどだ。言い換えれば、フォント化された打ち言葉やありきたりの絵文字やスタンプにはない書き手の個性が、文字と手紙には現れるのである。

 彼女は便箋の裏に絵を描き添えることもしているのだが、「手元にある可愛い包装紙の絵」や「見てほしいアーティストの似顔絵」など、便箋に書いた内容とは関係がない絵を追伸のような感覚で描いている。書きたいことが沢山あって、枚数が五、六枚になってしまった時にふと裏面が寂しいことに気がついて、何か描いて白紙の部分を埋めようとしたのが始まりだそうだ。それはスタンプの絵文字にはない、彼女の個性や手間暇かけた痕跡が残ったものである。そのような手書きの手紙をやりとりすること、それは、交換する両者が、互いにかけがえのない特別な関係にあることを表している。そのためこの女子学生は自分の気に入った便箋を用意し、「文豪のように」万年筆で手紙を書いて、LINE で同じ内容を送った場合とは異なる印象や「特別感」を出そうとしている。

 手紙を受け取ったときは、返事を書くための便箋と封筒をあらかじめ用意しておいてから、手紙を読み、読み終わると同時に返事を書き出す。書き直す手間がLINE などより大きいため、書く内容をあらかじめ定めておき、「頭の中で既に校閲してから」一気に書き始める。訂正の手間を考慮するため、LINE に比べて書くときの注意度が増し、そのために文章表現も打ち言葉とは異なるものになっているという。

 別の女子学生Bは、中学生のときスマホを入手して最初の誕生日に、友人からプレゼントと共に手書きの手紙を受け取った。それはXでお祝いメッセージをもらうより遥かに彼女を喜ばせたという。打ち言葉はメッセージを受け取ったら瞬時に、きれいな字と書き直しがわからないような文章を相手に送ることができる。しかしこの女子学生にとって、手書きの文字は、どんなものよりもそのときの相手の心情を表す不思議な力がある。これ以降、彼女は、お祝いや伝言を残すときは手書きをするように心がけているという。高校卒業時に文通を約束した友人とは今でも手紙のやりとりをし、旅行に行ったときは絵葉書にその日の感想と近況を書いて送る。相手も同様にしている。「その手書きのメッセージは毎日のLINE よりも感情が伝わることは間違いないと、その手紙を読むたびに感じる」のだそうだ。

 建築を学んでいる彼女はCG画像より、著名な建築家のスケッチに魅力を感じている。図面の癖や消し切れていない書き損じは、「何年経っても色褪せない、建築に対するその建築家の活力」を感じさせるからである。そのため彼女自身も手書きにこだわり、設計図を描く課題では、パソコンのソフトウエアではなく鉛筆を使っている。太い線や細い線、点線などを使い分けて、建具や窓、壁を描き分けているという。

個性やアイデンティティの痕跡を、手書きによって残そうという試み

 表現力や文章の細かで緻密な展開に欠ける打ち言葉の時代でも、それのみに頼らず、相手への思いや配慮を込め長めの文章を推敲できる若い世代はいるのである。手書きの手紙やメッセージカードは、(貨幣を払えば誰でも同じものを簡単に購入でき、生産者や販売者の人格の痕跡をとどめることのない)商品ではなく、(顔の思い浮かぶ個性を持った相手との代替の効かないやりとりである)贈与の品なのである。パソコン万能のこの時代に手書きで図面を引くというのも、自らの個性やアイデンティティの痕跡を、他ならぬ手書きをすることによって残そうという試みなのである。

 打ち言葉が生活の大半を占めるようになっても、覚えておきたいことは手書きで紙に書き残すようにしているという女子学生Cもいる。手を動かして文字にする方が記憶に定着しやすいと感じるので、手書きを心がけているという。彼女も誕生日のメッセージカードや手紙は必ず手書きにしている。「手書きの文字は贈り主の感情やアイデンティティがこもっているように感じるため自分の気持ちを直接伝えたいときには手書きするようにしている」。

 短い打ち言葉のやりとりが無責任で攻撃的な感情表現につながるだけでなく、書き言葉としての日本語を壊しつつあると嘆くことはたやすい。しかし打ち言葉を駆使しつつも手書きの実践を忘れていない若い世代がいる。彼女たちの(パソコンのキーボードを叩いてはいたがけっして打ち言葉になっていない)文章は思慮深く理性的である。「日本語の乱れ」を嘆く前に彼女たちの実践をもっと丹念に掘り起こすべきではないのか。打ち言葉が日本語の書き言葉の伝統を壊していたとしても、それは大学生のような若い世代ではなく、世論をリードする発言をする年長の世代(例えば即座には理解できない見出し記事を書く新聞記者)によってであることを自覚すべきであろう。

著者

出口顯(でぐち・あきら)
島根大学名誉教授・放送大学島根学習センター所長。博士(文学)。1957年、島根県生まれ。専門は文化人類学。著書に『ほんとうの構造主義──言語・権力・主体』(NHKブックス)など。

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