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名手・吉村順三の「軽井沢の山荘」。“緻密な愛”で生み出す癒しの空間~愛の名住宅図鑑 21「軽井沢の山荘(吉村順三別荘)」(1962年)

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日本の建築史上、最も有名な別荘?(イラスト:宮沢洋)

「愛の名住宅」にふさわしいが、実は書きにくい吉村順三

南西から見た外観(写真:宮沢洋、2006年に撮影)

今回は、多くの読者が期待していたであろう吉村順三の登場である。

「愛の名住宅図鑑」というこの連載に、吉村ほどふさわしい建築家はいないかもしれない。筆者も大ファンだ。しかも、この名住宅を筆者は実際に訪ねたことがある。それなのに、なかなか筆が進まないのである…。

日本の建築史上、最も有名な別荘?(イラスト:宮沢洋)

2年前に書いた連載初回「“五原則”に惑わされるな! コルビュジエの出世作は屋上庭園がすごい ~ 愛の名住宅図鑑 01「サヴォア邸」(1931年)」
「専門家が『建築史』の視点で書く評論文では削られがちなものがある。それは、建築家がその家に込めた“愛”だ。それに触れずに書かれた評論は、建築家が住み手の生活をまるで考えていないかのような印象を与える。本連載では、『建築史上のポイント』と『建築家の愛』の両面から名住宅を解剖していきたい」。

それこそが吉村順三について書きづらい理由なのである。

吉村の建築は「建築史上のポイント」となるような試行や冒険が目につくことは少ない。誰が体験しても設計者の愛情やゆとりを感じて、心地いい。だから、書き手が建築の専門家であっても、“生活者への目線”をベースに論を進めようとする。ひと通り空間の説明をしたあとで、吉村の人間性を語って締めるのがお決まりのパターンとなってしまう。すでに多くの人が吉村の“愛”を語っているのである。

なので、筆者はその先を書くことにした。愛の“伝え方”についてである。いかに相手を愛していたとしても、それが全く伝わっていなかったら愛していないのと同じだ。かといって「愛している」と口にしたら嘘っぽい。

では、吉村はどうしていたのか。それを書いてみたいと思う。うまくいかなかったとしても挑戦心に免じてご容赦いただきたい。

吉村の答えは「そうすると気持ちがいいでしょう」

吉村は1908年生まれで1997年没。
筆者は残念ながら吉村本人には会ったことがない。写真からは強面(こわもて)の大巨匠のオーラが漂うが、温厚で包容力のある人だったようだ。教鞭を執った東京藝術大学や自身の設計事務所で多くの建築家を輩出した。その多くが、吉村の設計指導についてこんなエピソードを口にする。

「建築は解説してわかるものではなく、それ自身が感受性に響くものだと先生(吉村)は考えていた」、「弟子や編集者が設計の極意を先生に問いただすと、『だけど、そうすると気持ちがいいんだよね』と、なすすべもない答えが返ってきた」──などなど。愛があっても決して「どんなふうに愛しているか」を口にしない人だったのだ。

だが、天才的な感性だけで“気持ちのいい空間”を生み出す人ではなかったと筆者は想像する。後述するように、どちらかというと論理を積み上げ、それを客観視できる“理系タイプ”の人だった。

1階が2階よりも「やや小さい」絶妙な造形

記憶に残る絶妙な形(イラスト:宮沢洋)

「軽井沢の山荘」を見て、筆者がまず感心するのが全体の形だ。屋根は西に傾斜した大きな片流れ屋根で、2階は板張りの木造。

1階はコンクリート打ち放しで、2階よりもやや小さい。この造形、一度見たら記憶にすり込まれる。

1階が「やや小さい」という点が重要で、多くの建築家はこれを「すごく小さく」しようと頑張ってしまう。構造的にギリギリを攻めたほうが、専門家に褒められやすいからだ。

この山荘の片持ち部分は長い南側で2.5mほど。もしこれが、つくりやすさだけを重視して、1階・2階とも同じ大きさだったら、全く面白みのない形だ。逆に、2階が5mとか10mとか張り出していたら、外観を見た瞬間に“気持ちいい”という脳の回路は遮断される。いやもしかしたら、2階の片持ちがあと10㎝長くても、“気持ちいい”からは遠のくのかもしれない。

やりすぎでもなく、つまらなくもない“絶妙なバランス”なのだ。こういうのをプロポーション感覚というのだと思うが、吉村はこれをとにかく「多くの建築を見る」ことによって培った。

呉服商の家に生まれ、旅好きだった吉村は、子どもの頃から多くの建築のスケッチを描いた。東京藝術大学時代には京都の書院や茶室を実測して回った。

ただ見るだけではなく、測って記録したというのがすごい。膨大な名建築の空間データが頭の中にあったわけで、「設計の極意を」などというとぼけた質問に簡単に答えられるわけがない。

外観の記憶と結びつけて“体験を設計”する

森の中に飛び出していくような浮遊感(イラスト:宮沢洋)

メイン空間である2階の居間も確かに気持ちがいい。窓の大きさや天井の角度などに、「気持ちいい」と感じさせる寸法の裏付けがあることは間違いない。

この部屋を訪れた人は大抵、「森に飛び出していく」とか「空中に浮かぶ」という感想を口にする。その感覚は、2階が張り出した“外観の記憶”がベースになっていると思われる。考えてみてほしい。2階に上がってしまえば、どこから先が片持ちの床なのか、そもそも2階が片持ちなのかさえわからない。窓が大きいだけで森に浮かぶように感じるなら、どこのリゾートホテルでもそう感じるはずだ。

この居間で感じる浮遊感は、家に上がる前に「2階がせり出している」という記憶が刻まれ、それと内部の印象が結びつくことで生まれるのだ。モノではなく、人間の心理を設計しているともいえる。

居間にも勝る1階南側ピロティの心地よさ

なんという心地よさ!(イラスト:宮沢洋)

実は、ここを訪れた筆者が2階の居間以上に感動したのは、1階南側のピロティ(屋外テラス)だった。片持ちになった部分の下である。

これまで多くの建築を見てきた筆者だが、ここは断トツで“世界で一番気持ちのいいピロティ”だ。吉村はこの場所のためにこの別荘をつくったのでは?と思ったほどだ。

「ピロティ」は、ル・コルビュジエが掲げた「近代建築五原則」の1つである(連載初回を参照)。モダニズムのリーダーたるコルビュジエがそう言っているからということで、世界中にピロティを持つ建築が生まれた。だが、筆者は実体験としてピロティに気持ちよさを感じたことは少ない。多くは、外観の“びっくり感”のために生み出されたとしか思えないのだ。

ところが、この別荘のピロティのなんと心地よいことか。置いてあった木のベンチに腰をかけると、もう一生ここに居たくなるほど。理由の1つは、やはりコンクリートの片持ち部の奥行きが絶妙なのだ。庇として安堵感を与える程度の暗がりをつくり、支える柱が1本もないので森との連続感もある。

そして、いいスパイスになっているのが、コンクリートの壁に掘り込まれた四角い穴。薪を燃やす小さな暖炉だ。筆者が訪ねたのは暖かい時期だったが、それが暖炉だと気づくとほっこりする。と同時に、このピロティが「人」の居場所としてつくられものだとわかり、幸せな気持ちになる。

実際、吉村の家族はここで多くの時間を過ごしたという。ときにはプロの音楽家である妻や娘がコンサートを行うこともあった。

これは最高に違いない! 極小の「長州風呂」

小さな浴室が気になる…(イラスト:宮沢洋)

風呂好きの筆者(過去にはこんな本も執筆)が「これは最高に違いない」と思うのが、2階の浴室だ。図面で見ると1.2m×1.38mしかない。面積は1畳(1.82m2)よりも小さい1.66m2だ。

薪で沸かす長州風呂(イラスト:宮沢洋)

1981年の増築で1階にも浴室がつくられたので、利便性はそちらの方が高かったのだろう。しかし、図面を見るに、この2階浴室の狭さと高さは体験してみたくなる。

室内は板張りで、東側の壁の左側半分に縦長の窓がある。浴槽は約70㎝角の小さなもので、床置きではなく、床に埋め込まれている。浴槽の底にスノコ状の板が沈んでいる。「長州風呂」と呼ばれる直火焚きの風呂釜だ。

なぜ、浴槽が埋め込まれているかは断面図を見るとわかる。1階のユーティリティで人が立った状態で薪をくべられるようにしたのだ。風呂釜が小さいので、3回くらい薪をくべると湯は沸くとのこと。風呂の湯を抜く際には、ユーティリティにある蛇口をひねると、残り湯が洗い用のシンクで使えるようにした。

そういう合理性の一方で、空間体験も考え抜かれている。極限のように狭い浴室で、床に彫り込まれた長州風呂につかる。空間は上に伸びるのみ。東側の壁はスリット状のガラス窓。森の景色は居間で存分に体験できるわけだから、ここでは湯気に満たされた“光の筒”をゆったりと味わうようにしたのだろう。

吉村の緻密さは少年時代から

東側外観(写真:宮沢洋)

…といったように、自ら説明しない吉村の代わりに筆者がその技を読み解いてみた。
いや、筆者程度の知識でも読み解けるように、吉村がわかりやすくヒントを撒いておいてくれたのだ。吉村が実際にここに込めた技の100分の1、1000分の1かもしれない。

吉村の建築を語る人は、「理屈ではない」という論調になることが多いので、あえて理屈っぽい書き方をしてみた。成功したのかどうか自信がないが、吉村の緻密さの一端でも伝わっていれば幸いだ。

なお、記事の序盤に「吉村が理系的だ」と書いたのには、少年時代のこんなエピソードがあったからで、ご興味があれば読んでみてほしい。

恐るべき数学的構図!イタリアで発見された吉村順三少年時代の作品を解説(BUNGA NET)https://bunganet.tokyo/yoshimura12sai/

■概要データ
「軽井沢の山荘(吉村順三別荘)」
所在地:長野県北佐久郡軽井沢町(※この家は現在も個人の所有であり、公開はされていないので、決して敷地内に立ち入らないこと)
設計:吉村順三
階数:地上2階
構造:鉄筋コンクリート造・木造
敷地面積:1258m2
延べ面積:87.7m2(増築前/1990年に40.3㎡を増築)
竣工:1962年(昭和37年)

■参考文献
『小さな森の家 軽井沢山荘物語』(吉村順三著・さとうつねお撮影、建築資料研究社、1996年)
『日経アーキテクチュア』2006年9月25日号「巨匠の残像 吉村順三」

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