手作り豆腐が評判の川越『近江屋長兵衛商店』。食べ歩きにぴったりなおからドーナツは市民に愛される幸せの味!
にぎわいあふれる川越のメインストリート、一番街。風格が漂う江戸時代の蔵造りや、明治26年(1893)の川越大火の後に商人がこぞって建てたという、耐火性に優れた黒漆喰の蔵造りなど、目に入る景色が旅行気分をぐいっと盛り上げてくれる。時の鐘入口交差点に差し掛かると、これまたなんとも味わい深い町家建築が現れ、店先には「とうふやさんのおからドーナツ」の垂れ幕まで! 江戸時代末期に創業した『近江屋長兵衛商店』だ。
地元では「普段のおやつ」として人気! 豆腐屋のおからドーナツ
堂々たる入母屋(いりもや)屋根と、2階の千本格子。凛としたたたずまいに惚れぼれし、いつ頃できた建物なんですか、と思わず尋ねた。
「明治20年代、川越大火の後に建て替えられたようです。骨組みの部分に、上棟年を示す墨書きが残っていました」
そう教えてくれたのは、店主の細田貴大さん。「最初は豆腐屋ではなかったんです。創業当初は野菜や干物、いろんなものを扱っていたと聞いています」と話すその笑顔につられて、こちらもついにっこり。
手作り豆腐の専門店になったのは、実は20年くらい前だという。先代の姉が豆腐屋に嫁ぎ、それがきっかけだったとか。複数の味を楽しめるお豆腐盛りセットなど、店内で食べられるランチは観光客のあいだでも人気。北海道産の大豆が使われていて、自然な甘みやコクが感じられると評判を呼んでいる。
さて、本日の目当てはおからドーナツだ。食べ歩きしやすく、散歩のお供にぴったり! とはいえ、きっと受け取ってすぐに我慢しきれず、軒先でかぶりついてしまうんだろうけど……。
「よく来てくださるお客さまで、5個入りを買ってまず1個その場で食べてから、残りを持ち帰るという方もいらっしゃいます」
なるほど、それは名案。
1個90円と安価で、子供でも買いやすい気軽さがまたいい。
「おこづかいを握りしめて来てくれる近所のお子さまがいるのは、すごくうれしいです。幼稚園の帰りに寄ってくださる親子連れのお客さまも」
話を聞くうちに、そんな光景がパッと頭に浮かんできた。地元の人たちからも、普段のおやつとして愛されているのだ。
揚げたても、冷めてからもどちらも味わい深い
噛むごとに伝わってくる、おからの旨味。これを生かすため、全体の甘みを調整しながら生地を練るのだそう。表面をサクッと、中をふわっとさせるには、180℃の植物油でカラッと揚げるのが肝心。こまめに揚げ色を確認し、きれいなきつね色に仕上げる。
絶妙なタイミングでフライヤーから網を上げる細田さん。丸いドーナツがずらりと並ぶ様子は、甘党にとってはたまらない、壮観とさえいえる光景だ。随時揚げ、数が足りなくなると補充しているので、運がよければできたてに出合えるはず。早くも自分が食べるところを想像し、五感が活発化していく感じ。
もちろん、冷めても味わい深いから、前述の常連客の真似をして5個入りを買うのも手だ。残った分を持ち帰ったり、手みやげにするのもいい。むしろ冷めると甘みがより穏やかになり、素朴さが際立つなんて評判も。どちらも魅力的で甲乙つけがたい。
素朴な甘みに優しく包まれ、幸せなひととき
手渡してもらった1個に、すぐさまあむっとかぶり付く。やっぱり我慢なんてできるはずがなかったんだ。穏やかな甘みに心が和み、じわじわと体中が癒やされていく。頬張ったまま鼻で大きく息を吸うと、甘い香りとおからの風味がふわっと広がり、全身を優しく包み込まれるようだ。
時の鐘を見上げながら食べると、タイムスリップした気分も味わえる。まあ、江戸時代にはこのおからドーナツはなかったわけだから、当時の人々にちょっと自慢したくなるなあ。
ちなみに、時の鐘入口交差点を曲がり、かねつき通りに入ると、「鐘つきうどん きんちょう」「近長魚店」と2軒隣まで看板に同じ名前が刻まれている。「ご先祖さまが川越で商売を始めて、のちに暖簾(のれん)分けして3軒になりました」。そのご先祖さまがこのおからドーナツを食べたら、何て言うかな。
ごちそうさまでした、と声をかけると「ありがとうございます。ゴミはこちらでもらいます」と細田さん。食べ終わった後の包み紙をお願いして再訪を誓い、「いってらっしゃいませ」と送り出してもらった。
さてこの後はどこへ向かおう。かねつき通りを進んで時の鐘を見学しようか、それとも一番街に戻ろうか。まだまだ、川越散策は続く。
近江屋長兵衛商店(おうみやちょうべいしょうてん)
住所:埼玉県川越市幸町6-10/営業時間:10:30~17:00(食事は11:30〜15:00)/定休日:水(ドーナツのみ営業)・木/アクセス:西武鉄道新宿線本川越駅から徒歩10分
取材・文・撮影=信藤舞子
信藤舞子
ライター
北海道弟子屈町生まれ、札幌市育ち。現在は東京在住。雑誌、WEBメディアを中心に、街歩きや旅、日本の文化について執筆する。なかでもおやつには目がなく、近著は『東京おやつ図鑑 和菓子編』(交通新聞社)。レコードや着物も好き。