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江戸時代にヒューマニズムを実践した大政治家、保科正之公誕生物語(前編)【福島県猪苗代町】

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福島県西部に位置する会津地方。この地がかつて会津藩と呼ばれていた時代、初代藩主となった保科正之公の偉業について独自の研究を行った水野貴裕(みずの・たかひろ)さんが、このたび「保科正之公誕生物語」を自費出版しました。水野さんがどのようなきっかけで正之公の魅力に引かれたのか、出版に込めた思い、そして今後の展望についてお話を伺いました。本記事は前後編でお届けします。

水野貴裕(みずの・たかひろ)さん
1959年、福島県郡山市生まれ。1983年、東北学院大学経済学部を卒業後、金融機関に勤務。2019年に定年退職し、現在は福島県猪苗代町にて、会津藩初代藩主・保科正之公の研究に取り組んでいる。趣味はギターとスケッチ。

Q.今回の作品は、保科正之公が生まれ、兄である三代将軍家光公に認められるまでの物語を描いています。会津には多くの偉人がいますが、その中で水野さんが保科正之公に強い魅力を感じたのはなぜですか?

-保科正之公は、「人道主義」や「ヒューマニズム」といった言葉も概念もまだない時代において、民の幸福を追求した政策を実践した大政治家です。また、幕政と藩政の両方、すなわち現代でいえば、総理大臣と県知事の両方の職責を果たした近世第一の人物であると思います。私は、民のための政治に人生を捧げたそんな正之公の行動力と人柄に強い魅力を感じました。

【本記事中の画像一覧】

Q.今回出版された「保科正之公誕生物語」の執筆のきっかけを教えてください。

―前述したように、正之公はこれほど立派な人物であるにもかかわらず、その名及び功績は、あまり知られていないのが実情のようです。これは残念です。これほどの大人物を歴史の闇にいつまでも埋れさせたままでよいはずがありません。「保科正之公を知らずして江戸時代を語れますか?」と、真剣に世に問いたいとさえ思います。「まずは人々の心に正之公を誕生させることから始めなければならない」という思いが、「保科正之公誕生物語」を執筆する動機となりました。

正之公に由来する会津地方の郷土料理「高遠そば」(写真:福島県観光物産交流協会)

Q.保科正之公は、二代将軍・秀忠公の息子として生まれ、その後、高遠藩主・保科正光公の養子となりました。幼少期のどのような経験や環境、出来事が、後の正之公の成長につながったとお考えですか?

―将軍の子であれば、通常城か大名屋敷で生まれるものです。しかし、正之公は二代将軍秀忠公の子でありながら、嫉妬深い秀忠公の正室お江の方を恐れ、下町神田に住むお静の方(正之公の母)の姉婿・竹村助兵衛の隠居部屋でひっそりと誕生しました。

正之公は、お静の方が宿した秀忠公の二人目の子でした。最初の子はお江の方を恐れて水に流してしまったので、正之公も同じ運命となる恐れがあったのです。

しかし、正之公が無事この世に生を受けることができたのは、「産んで立派にお育て申し上げるべきだ!」と主張した神尾才兵衛(お静の方の弟)の存在や、老中土井利勝や武田信玄の娘である見性院と信松尼などの有力な保護者に恵まれたことです。このことは、自分も水子となる運命だったかもしれない正之公の心に、「命に対する慈愛の精神」が培われた要因の一つだろうと思われます。

正之公は三歳の頃から七歳まで見性院から学問の手ほどきを受けました。

一時は、正之公によって武田家再興を夢見ていた見性院でしたが、自分の願いよりも、正之公を武士として立派に育て上げるべきだと考えるに至り、かつて武田家家臣だった信州高遠二万五千石藩主・保科正光公の養子に出すことにしました。

会津若松市の親善交流都市:高遠町(現伊那市)の風景(写真提供:水野さん)

Q.高遠藩と正之公とはかなり深い絆で結ばれていたのですね。

―高遠藩は急峻(きゅうしゅん)な山あいにある小さな藩で、暴れ川には堤防を築き、質実剛健な気風を守り、その一方で民に優しい政治を行う藩でもありました。

1626(寛永三)年、正之公は16歳にして、保科家の菩提寺『建福寺』に通い、名僧鉄舟和尚に儒学を学んでいます。また、教育係の家臣とともに民の暮らしぶりを見て回って学んだことは、「民が安心して暮らせることが、藩にとってとても大切なことである。なぜなら、領民の協力があってこそ年貢がきちんと入ってくる。そしてそのお陰で藩が成り立っている。故に、政をする際には、民への慈愛の念をもって当たらねばならない」ということでした。

ここで経験したさまざまな事柄が正之公の人格形成に大きな影響を与え、この地で過ごした時間は、後に「民のための政」を遂行していく上で、大切な充電期間であったと位置づけることができます。

正之公が、普通に他の将軍の子の同様、城や大名屋敷で生まれていたなら、民と接する機会も少なかったはずです。正之公の幼い頃から青年期にかけて体験した苦労が、その後の日本にとっていかに大切なことであったか。このことを知る意義は大きいと思われます。

(後編へ続く)

昆愛

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