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中尾ミエ、伊東ゆかりと〝スパーク3人娘〟を結成し、1960年代に「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」などヒット曲を連発し、清潔なお色気で男性のハートを撃ち抜いた 園 まり「何も云わないで」

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中尾ミエ、伊東ゆかりと〝スパーク3人娘〟を結成し、1960年代に「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」などヒット曲を連発し、清潔なお色気で男性のハートを撃ち抜いた 園 まり「何も云わないで」

 歌手の園まりさんが、2024年7月26日に旅立った。一年近く病魔と闘っていたらしい。享年80。8月21日と23日の2日にわたって、BSテレ東の「プレイバック 日本歌手協会歌謡祭」で追悼番組が放送された。

 第一夜では、〝スパーク3人娘〟として一緒に活躍した中尾ミエ、伊東ゆかりと一緒に、コニー・フランシスが歌ってヒットした「ボーイ・ハント」や、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」などを後年3人娘としてコンサート活動を再開した時期に歌っているステージや、同じレコード会社だったポリドールの先輩でプライベートでも親交があった西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」や、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌っている映像、そしてオリジナルの「何も云わないで」「夢は夜ひらく」などの歌唱シーンが紹介された。「何も云わないで」は、歌手・園まりにとって初のオリジナル・ヒット曲だった。ゲストとして登場した中尾ミエは、「再結成して20年くらい一緒にやってきた。まりちゃんは、全部片づけて旅立った」とコメントしていた。その言葉からは、園まりがやるべき仕事を全うして逝った、というように伝わった。

 ゲストに伊東ゆかりを迎えた第二夜では、プライベートでの親交の様子を伊東が披露しながら、10代からの長い交流を振り返っている。2人で、「ヴァケイション」「大人になりたい」「砂に消えた涙」「ロコモーション」などをデュエットするステージが紹介された、園まりにとって最後の歌謡祭出演となった2023年1月3日のステージでも2人は反戦フォークソング「花はどこへ行った」をデュエットしていた。

 さらに、南こうせつが、かつて番組で「まりちゃんが大好きだった。声の質が情熱的だった。あのフワッとした雰囲気が好きだった」と語っている模様も紹介され、こうせつの言葉を受けた園まりがサプライズゲストとして登場して「逢いたくて逢いたくて」を一緒に歌っているシーンも紹介された。

 園まりは、〝歌のおばさん〟として人気があった童謡歌手・安西愛子に師事し、12歳で童謡歌手としてデビューした。元々はクラシック歌手を目指していたが、1960年にNET(現・テレビ朝日)のオーディション番組「あなたをスターに」で優勝し、翌年渡辺プロダクションに入社。62年に、「コーヒー・ルンバ」で知られるウーゴ・ブランコの日本語カバー曲「鍛冶屋のルンバ」でポリドールレコード(当時は日本グラモフォン)からレコード・デビューした。61年にやはりポリドールからリリースした西田佐知子によるカバー曲「コーヒー・ルンバ」が大ヒットしたことで、レコード会社としては〝二匹目のどじょう〟を狙ったのだろう。

 62年4月から放送されたフジテレビ系列の音楽バラエティ番組「森永スパーク・ショー」に出演し、中尾ミエ、伊東ゆかりと〝スパーク3人娘〟を結成、人気者となり、同年7月には、フジテレビ系列でミュージカル風ドラマ「レッツゴー三人娘」の放送もスタートした。3人娘はいずれも洋楽の日本語カバー・レコードを出していて、その中でも最大のヒットと言えば中尾ミエの「可愛いいベビー」だが、園まりも「マッシュ・ポテト・タイム」「太陽はひとりぼっち」「女王蜂」などをヒットさせている。

 64年10月リリースのオリジナル楽曲「何も云わないで」が、NHK「今日の歌」で放送され、園まりにとって初の歌謡曲ヒットとなった。作詞は安井かずみ、作曲は宮川泰が手がけている。宮川泰らしいオーケストレーションの編曲が効果的な華やかな楽曲である。その後、66年にリリースした岩谷時子作詞、宮川泰作曲、森岡賢一郎編曲のムーディな「逢いたくて逢いたくて」が、大ヒットとなり、園まりのその後の楽曲のベースとなった。あまり口を開かずに歌う、情感豊かな歌唱は、〝園まり節〟とも呼ばれ、当時のランキング歌謡番組に常連として名を連ねることになった。3人娘の中でも女性らしいしっとりとした雰囲気が個性となり、特に男性のハートをしっかりとつかむことになった。岩谷時子は、日本レコード大賞作詞賞を、森岡賢一郎は編曲賞を受賞している。同年9月にリリースされた「夢は夜ひらく」も大ヒットを記録し、追随するように各社競作で多くの歌手が「夢は夜ひらく」をリリースした。園まりヴァージョンは、美空ひばりや西田佐知子、さらにはヘレン・メリルも日本語でカバーしている。そして、70年には藤圭子が歌った「圭子の夢は夜ひらく」が登場するのである。その後も、B面ながらヒットした「何でもないわ」、「帰りたくないの」、「つれてって」、「愛は惜しみなく」とヒット曲を連発し、TBS歌謡曲ベストテン、TBS歌のグランプリ、東京12チャンネル「ただ今ヒット中!」、NHK歌のグランドショー、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」と、各局の歌謡番組で、ハイウエストのドレスの装いで歌う園まりの姿が見られた。

 歌のヒットにともない、主演映画も作られるようになり、66年には渡哲也、松原智恵子、和田浩治の共演で『逢いたくて逢いたくて』が、67年には高橋英樹、渡哲也、山本陽子の共演で『夢は夜ひらく』、杉良太郎、山本陽子の共演で『愛は惜しみなく』が、いずれも日活で映画化されている。2015年には振り込め詐欺のターゲットとなる老婆役で42年ぶりとなる映画『道しるべ』に出演していた。まさに、昭和は遠くなりにけり、といった感じだった。

 また、「小指の想い出」「女のみち」「ラブユー東京」など昭和にヒットした歌謡曲12曲を題材にした2007年の短編オムニバス映画『歌謡曲だよ、人生は』の第9話は園まりの「逢いたくて逢いたくて」で、『ウォーターボーイズ』の矢口史靖監督、妻夫木聡のコンビで制作された。

 66年、67年にはマルベル堂のプロマイド売上女性歌手第1位にも輝き、「月刊平凡」や、「月刊明星」の表紙にも数多く登場しているのは3人娘の中でも園まりならではである。「明星」では、66年6月号に舟木一夫と、12月号に三田明と、67年6月号に西郷輝彦と、68年1月号に舟木一夫と表紙を飾っている。

 NHK紅白歌合戦には1963年から連続6回出場しているが、63年と64年は〝三人娘〟として中尾ミエ、伊東ゆかりと一緒に出場し、初めて一人で出場したのは65年で「逢いたくて逢いたくて」を披露した。66年の対戦相手は舟木一夫で、「夢は夜ひらく」VS「絶唱」というこの年のヒット曲合戦という趣だった。園まりの代表曲と言えば「逢いたくて逢いたくて」か、「夢は夜ひらく」を紹介するところだが、園まりの歌謡曲人生のスタートという意味合いで、初のオリジナルヒット曲となった「何も云わないで」をクローズアップした。

 昭和で数えると2024年は昭和99年ということになる。テレビの歌謡番組を夢中で観ていた昭和40年代前半の中学時代。ブラウン管には、園まりの姿が映し出されていた。園まりは、間違いなく僕の昭和歌謡アルバムの1ページを飾る歌手だった。

文=渋村 徹 イラスト:山﨑杉夫

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