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#2 『古事記』を読む際に捨てさりたい認識――三浦佑之さんが読む『古事記』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#2 『古事記』を読む際に捨てさりたい認識――三浦佑之さんが読む『古事記』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

三浦祐之さんによる、『古事記』読み解き

歴史は一つではない――。

1300年にもわたり受け継がれてきた日本最古の歴史書、『古事記』。その文学性は高く、稲羽のシロウサギやヤマトタケルなど、日本人に愛されてきた物語が数多く収められています。

『NHK「100分de名著」ブックス 古事記』では、三浦祐之さんが、世界と人間の誕生を記した神話や英雄列伝を読み解きながら、日本の成り立ちや文化的特性を考えます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第2回/全4回)

古事記の内容と構成

 これから五章にわたって古事記についてお話しします。物語に入る前に、古事記とはどのような書物なのか、その全体像を見ていきましょう。

 まず内容と構成です。

 古事記はこの国の始まりから、歴代天皇の事績や系譜をつづった歴史書で、上・中・下の三巻から成ります。上巻には神々の時代が描かれ、中巻は初代天皇カムヤマトイハレビコ[神倭伊波礼毘古](神武天皇)から第十五代ホムダワケ[品陀和気](応神天皇)まで、下巻は第十六代オホサザキ[大雀](仁徳天皇)から第三十三代トヨミケカシキヤヒメ[豊御気炊屋比売](推古天皇)までの事績と系譜が描かれています。とはいえ、なんらかのエピソードが伝えられているのはそのうちの十三人に過ぎず、他の天皇は名前と系譜しか載っていません。三巻のうちの一巻が神代の話に割かれており、神話の比率が高いのが古事記の特徴です。

 次に、古事記がいつ、誰によって、どのような経緯で編まれたのかについては、結論からいうと、確たることはわかっていません。

 現時点で古事記の成立についての根拠となっているのは、巻頭に付されている「序」です。「序」によると、民部卿(民部省の長官)の太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)という人物が元明(げんめい)天皇の命によって三巻の巻物をまとめたとあり、とりかかったのは和銅四年(七一一)九月、完成した三巻を奏上したのは翌五年(七一二)正月となっています。

「序」に記されている古事記編纂の理由を以下にあげます。

 ここに、大海人天皇は次のごとく仰せになった。

 朕(わたし)が聞いていることには、諸々の家に持ち伝えている帝紀(ていき)と本辞(ほんじ)とは、すでに真実の内容とは違い、多くの虚偽を加えているという。今、この時にその誤りを改めないかぎり、何年も経たないうちに、その本来の意図は滅び去ってしまうであろう。これらの伝えは、すなわち我が朝廷の縦糸と横糸とをなす大切な教えであり、人々を正しく導いてゆくための揺るぎない基盤となるものである。そこで、よくよく思いめぐらして、帝紀を撰(えら)び録(しる)し、旧辞(きゅうじ)を探し求めて、偽りを削り真実を定めて後の世に伝えようと思う。

 この国の歴史は有力な家々に伝えられていて、おのおのの都合のよいように書き換えられている。このままでは真実がわからなくなる、と天武天皇(大海人天皇)は憂え、唯一の正しい歴史を後世に伝えようと決心した、というのです。

 こう続きます。

 ちょうどその時、天皇の側(そば)に仕える一人の舎人(とねり)がいた。氏(うじ)は稗田(ひえだ)、名は阿礼(あれ)、年は二十八歳であった。その人となりは聡明で、目に見たものは即座に言葉に置き換えることができ、耳に触れた言葉は心の中にしっかりと覚え込んで忘れることがなかった。すぐさま天皇は阿礼に命じて、自ら撰び定めた歴代天皇の日継ぎの伝えと、過ぎし代の出来事を伝える旧辞とを誦(よ)み習わせたのである。

 しかしながら、時は移り世は変わり、いまだその事業を完成させることはできないままであった。

 その当時の側近に、見たこと聞いたことの記憶にたいへん長けた稗田阿礼という人物がいたので、天皇はみずから口伝えで正しい歴史を教えました。しかし、その後天皇は亡くなり、事業は中途になったのです。

 ここに、名高き皇帝陛下は、旧辞が誤り違っているのを惜しみ、先紀(せんき)〈帝紀のこと〉が誤り乱れているのを正そうとして、和銅四年九月十八日、臣下、安万侶に詔(みことの)りして、仰せになった。

 稗田阿礼が誦めるところの、飛鳥の清原(きよみはら)の大宮に坐(いま)した天皇の勅語の旧辞を撰び録して献上せよ。

 このまま放っておいたのでは、歴史の誤りは正されず、せっかく天武天皇の口伝を暗誦した阿礼も老いて死に、元も子もなくなってしまう。そこで、案じた子孫の元明天皇〈皇帝陛下〉は、阿礼が天武天皇〈飛鳥の清原の大宮に坐した天皇〉より聞き覚えたこと(勅語の旧辞)を書物にするよう太安万侶に命じたというのです。

 この「序」に従えば、古事記がいつ、どういう理由によって作られたのかは明らかなのですが、詳細に検討すると、この序文にはいろいろな点からしてあやしいところがあります。

不自然な「序」

 たとえば文書のスタイルです。古文書には決まった書式があるのですが、古事記に付いているのは「上表文(じょうひょうぶん)」であり、書物が完成した時にそのいきさつを交えて君主に奏上する文章です。これに対して、「序」は書物のはじめにこれから述べることの内容を説明するものですから、多少重なるところがあるとしても、目的が違います。ただし、中国でも両者は混同されているという調査もあって、今ある古事記の「序」は「上表文」だったとは断定できませんが、古事記が、「序」といいながら「上表文」の体裁をもつ文章を置いているのはいかにも不自然です。それが、古事記「序」は本文とは別に、後から付け加えられたのではないかと考える理由の一つです。

 また、古事記をまとめた太安万侶は民部卿で、正体がはっきりしているのですが、天武天皇の口伝を「誦習(しょうしゅう)」したという稗田阿礼はまったく得体がしれません。実在かどうかもあやぶまれます。

 そして、古事記成立に関する何よりも大きな疑問は、日本書紀との関係です。古代の歴史書としては、もう一つ別に日本書紀という正史があります。こちらは古代ヤマト王権が公式の歴史書として編纂したものであることがはっきりしています。天武天皇の十年(六八一)、天皇が臣下や皇子たちを集めて編纂の大号令をかけ、その後、幾多の曲折を経て、元正天皇の治世の養老四年(七二〇)に全三十巻、神代から第四十代の持統天皇までの事績を記した大集成が完成しました(同時に「系図一巻」も奏上されたが現存しない)。

 歴史書の編纂を命じたのと同じ年、天武天皇は法律の制定も臣下に命じました。当時のヤマト王権は世界に通用する律令国家として歩み始めており、民衆の反対を受けることなく律令制度を確立するためには、自らの支配に正統性がなくてはなりませんでした。そこで、しっかりした歴史と法律をもつことが必要になったのです。この二つはいわば〝国家プロジェクト〟として、車の両輪のごとく並行して推進されました。

 このような時代背景を考えると、古事記の「序」で語られていることが、いかに不自然かがわかります。天武天皇という同じ一人の帝が、同じ時期に、公的には「日本の正式の歴史書を作れ」と皇子や臣下一同に号令しつつ、一方では稗田阿礼という側近一人を私的に召して、自分が正しいと思っている歴史を口伝えで教え、暗誦させていたことになるからです。国家の頂点に立つ者が、このような矛盾した二重性をもつことはあるのでしょうか。

 また、古事記と日本書紀は同じ国の歴史をつづったものでありながら、その内容には大きな隔たりがあります。日本書紀は正史ゆえ、諸外国を意識して天皇の統治の正統性を主張していますが、古事記は必ずしもそうではありません。正統であるはずの天皇が悪役になっているようなところがいくつもあります。たとえば、天皇に殺されたり敗れたりした側の心情を同情的に描いていたりして、ヤマトという国家の始まりと歴史を語るのであれば、完全な統一体としての国家の歴史になりきっていないと思わせる部分が目立ちます。

 古事記の「序」は本文が書かれたのと同時にではなく、ずっと後の平安時代初期〈九世紀初頭〉に作られたのではないかとわたしは考えています。それは、この頃に刊行された『弘仁私記(こうにんしき)』という書物〈学者が官人たちに日本書紀の講義をした際の記録〉に、古事記の「序」の一部が引用されているのが認められるからです。ここではこれ以上立ち入りませんが、「序」を引用したのは当時、刑部少輔という役職にあった多人長(おおのひとなが)で、太安万侶の子孫と考えられる人物です。このあたりに古事記「序」の秘密が隠されていそうです。

 ともあれ、古事記から「序」を取り去ると来歴が不明になって、フラフラとさまよえる書物になってしまうことも事実です。しかし、だからこそ見えてくるものもあるのではないでしょうか。つまり、古事記を国家とか権力とかいったものからいったん切り離し、虚心に読んでみる。すると、おのずと物語そのもののおもしろさを味わうことになり、隠されていた意味のようなものが浮かび上がってくる。これが存外に大事なのではないかと、わたしは考えています。古事記も日本書紀も、天皇家を称賛するために書かれた歴史だと考える近代以降に生じた認識をいったん捨てさるところから、古事記の読みは始められるべきだとわたしは考えています。古事記はほんとうに天皇家を賛美しているのかという疑問符をつけながら読まないと、そのおもしろさは理解できないと思うからです。

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著者

三浦佑之(みうら・すけゆき)
千葉大学文学部教授を経て、立正大学文学部教授。千葉大学名誉教授。専門は古代文学・伝承文学。2003年、『口語訳 古事記』(文藝春秋)で第1回角川財団学芸賞受賞。著書に『古事記講義』『あらすじで読み解く 古事記神話』(以上、文藝春秋)、『古事記のひみつ 歴史書の成立』(吉川弘文館)、『古事記を読みなおす』(ちくま新書、第1回古代歴史文化みやざき賞受賞)、『村落伝承論(増補新版)』(青土社)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■「100分de名著ブックス 古事記」(三浦佑之著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*本書における『古事記』の引用は著者による現代語訳です。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2013年9月に放送された「古事記」のテキストを底本として大幅に加筆・修正のうえ再構成し、新たに読書案内を収載したものです。

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