インタビュー連載「経営の要諦」第1回:東レ株式会社 日覺昭廣代表取締役会長
新たなインタビュー連載「経営の要諦」では、各業界の経営者に企業経営で重視していることを聞いていく。初回は東レ株式会社の日覺昭廣会長。創業以来受け継がれている従業員を大切にすること、長期視点、現場主義の重要性を語っていただいた。
話し手:日覺 昭廣(東レ代表取締役会長)
1973年東レ株式会社入社、2001年エンジニアリング部門長工務第2部長、2002年取締役、2004年常務取締役、2006年専務取締役、2007年代表取締役副社長、2010年代表取締役社長、2023年代表取締役会長(現)
一丁目一番地は従業員を大切にすること
――会社経営で最も重視されていることは何ですか。
日覺会長:企業は社会の公器であり、社会貢献が最大の使命である。その一丁目一番地(優先課題)は、社会を構成する従業員を大切にすることだと考えている。東レは創業以来、人を『経営の根幹』と位置付けており、私も実践してきた。
1980年代後半に、東レは米国でビデオテープ用のフィルム工場を立ち上げた。しかし、やがてビデオテープ市場そのものがなくなった。工場は作るものがなくなり、危機的な状況に陥った。ここで従業員を解雇するのが米国では一般的だろう。しかし、それをしなかった。本社から人とお金を送り込み、現地の従業員を育成して、新たなフィルムを開発、十数年たって高収益企業となった。当時の米国人担当者は今、その会社の経営者になっている
東レの別の米国子会社の社長も、従業員が辞めることは少ないと言っている。『人に投資する』という会社の考えが影響しているのだろう。欧米では人を比例費でとらえ、業績が悪くなると従業員を解雇して調整弁とする。従業員も、会社のそういう姿勢をみて、会社が傾きかけるとすぐに転職する傾向にある。東レに限らず、粘り強く雇用を守るのは日本企業全般に言えるのではないか
素材産業には長期的な視点が必要
――東レが強みとしている革新的な素材の開発には、長い年月を要します。経営視点で、これをどのようにとらえていますか。
日覺会長:素材は、基礎的な製品で、技術の蓄積がないと改良も革新もできない。開発には10~20年はゆうにかかる。今ある最良の技術や製品を集めてニーズにあったものを提供する、組み立て産業とは違い、長期視点で人を基本とする経営が重要となる。スティーブ・ジョブズも『即戦力になるような人材なんていない。だから育てる』と言っている。会社のビジョンや理念を理解し、腰を据えて同じ方向に向かっていく。日本企業、特に素材産業はそうやってきたし今も続けている
炭素繊維の開発にも時間がかかった。1971年に商業生産が始まったが、当初から用途として狙っていた飛行機は基準が厳しくなかなか採用されない。その間、ゴルフクラブのシャフト、テニスラケット、釣りざおに用途を広げていった。地道に実績を積み上げて、ボーイングの厳しい要求に応えられるようになり、炭素繊維が採用された大型旅客機『777』が就航したのは1995年だった
海水淡水化に使われる『逆浸透膜』も同様だ。東レは1960年代の終わりころから水処理膜の開発をしていたが、当初はまだ需要も少なくコストも高かったので、半導体などの工場で超純水を作る用途で展開し利益を稼いだ。その間に開発を進め、コストダウンにも成功して、1980年代には海水淡水化の用途に本格的に投入するようになった。現在は世界の海水淡水化の半分以上で東レの逆浸透膜が使われている
最近では、ナノデザインという新たな繊維の技術を開発した。繊維の断面をナノレベルで制御でき、今までにない機能を付与したり、これまでと全く異なる風合いの布を作ったりできる。100年近く繊維の開発を手掛けてきたが、まだ新しいものが出てくる。素材産業に長期視点が欠かせないことを示すよい事例である
『開発に長い年月をかけられる日本の会社がうらやましい』と、米デュポンのチャールズ・ホリディ元会長に言われたことがある。3~4年で事業としてものにならないと自分の立場が危うくなるからだ。欧米では株主資本主義が台頭しており、短期でもうけを出さないといけないという風潮が強い
欧米の株主資本主義に追随する日本
――株主資本主義の現状をどう見ていますか。
日覺会長:欧米では株価を重視し短期的な利益を志向してきた。ところがリーマン・ショックなどでその弊害が顕在化してきたことから、米国では公益性の高い企業を認証する制度『Bコーポレーション』が広まった。さらに2019年には、米経済団体のビジネス・ラウンドテーブルが多用なステークホルダーに配慮するとした声明を出している。このように株主資本主義を見直す動きが出始めていたが、最近はトーンダウンしているようだ
金融緩和で行き場を失ったお金が株式市場になだれ込み、一部企業の株価を上げて、それがもてはやされている。これはバブルだ。例えば、素材で言えば、素材そのものの価値が急激に上がるわけがないし、素材メーカーの企業価値が乱高下するようなことはおかしい。しかし、それを是とする方向に動いている。特に日本はそうだ。上場企業は株価純資産倍率(PBR)の改善を要請されている。欧米が是正する方向に動きつつあるのに、日本は欧米に追随しようとしている。利益を上げるのは重要だ。だが、単に利益を上げるのではなくその先に社会貢献がなければいけない
日本企業は以前からSDGsやESGに取り組んでいる
写真:炭素繊維のサンプル(手前)
――近年、叫ばれている「SDGs」や「ESG」についてはどのようにお考えですか。
日覺会長:日本企業はずっと前からSDGsやESGに取り組んできた。今も取り組んでいる。欧米がSDGsをアピールする背景には、株主資本主義の反省から社会貢献を重視しないといけないという問題意識がある。それはそれでよいことだが、当たり前のこととして取り組んでいる日本がそれに飛びつくのは情けない。ESGも欧米は投資としてとらえている。投資と結びつけないと大きな運動にならないからだ。投資が目的なのはおかしい。本来の目的は社会貢献ではないか
『日本人にとってルールは守るもの』であり、『欧米人にとってルールは作るもの』という考え方の違いがある。スポーツもそうだが、欧米人は彼らが有利になるようにルール形成をする。日本はそれを一生懸命に守ろうとする。どうしてなのか。明治維新以来、欧米の先端技術を取り入れて、欧米の方が優れているという先入観があるのではないか。日本は高い技術力を持っている。真の意味で社会をよくしようという考えは日本の方が強い。長寿企業も日本が一番多い。日本企業はもっと自信を持ってほしい。日本のよさを世界に発信し、ルール形成にも積極的に参画すべきだ。東レは東レとして人を大切にするという経営スタイルを世界に広げることで、社会貢献を図っている
――長期視点や人を基本とする経営は株主からも理解を得られていますか。
日覺会長:素材で社会を変えていくという東レの考えは、多くの株主から賛同いただいている。長期保有で応援してくれる株主もいれば、会社の理念やビジョンとは無関係に短期的な利益を求める株主もいる。時価総額や企業価値も大事だが、社会貢献の度合いを基準に企業を評価する制度があるとよい。短期保有の株主と長期保有の株主で配当に差をつけるという仕組みも有効かもしれない。今はあまりにも短期志向の投機家向けの仕組みになっている。対策が必要だ
あらゆる出発点は現場にある
――現場主義を重視されているとお聞きします。その背景を教えてください。
日覺会長:あらゆる出発点は現場にある、と考えている。現場の実態をとらえないまま対策をしても課題の解決にはつながらない。現場を軽視して世間一般の通説に流されるのもよくない。あるべき姿を目指して改善を進めたり、新しいことを成し遂げたりするには、歴然たる現実が横たわる現場が重要になる
東レに入社後、工場配属を希望して生産現場に入っていたことがある。そこで本社の従業員が、実態とかけはなれた一般論を持ち込んで物事を進めようとしたことで現場が混乱に陥る場面を見かけた。こうした出来事をきっかけに、現場を知り尽くしている従業員の言葉に重みを感じるようになった。経営する立場になっても、現場をしっかり見るようにしている
米国とフランスに10年駐在したが、両者の気質は全く違う。国ごとの気質や慣習、バックグラウンドを理解すれば、それに応じて有効な施策が打てる。こうしたことも現場に出ないとわからない
「価値に見合った価格設定」が今後の課題
――次代の経営者に求められることは。
日覺会長:日本では、消費者が安くてよいものを求め、企業は安くてよいものを作ろうと努力し、実際に作ってきた。日本が世界をリードしていたときはそれでよかったが、今は各国の技術レベルが上がり、世界中でよいものができるようになった。普通はよいものは高く、安物は悪い。日本だけが安くてよいものを追求し、ふたを開けると日本人の給与が安くなった。このままだと貧しい国になってしまう。経営者は考え方を変えないといけない。価値を訴求して見合った価格で売る。利益を上げて給与を増やさないといけない
特に日本は中小企業が多い。中小企業全体で稼ぐ力の底上げが必要だ。日本繊維産業連盟の会長として、各地域を支える中小企業を視察しているが、規模が小さくデジタル変革(DX)投資ができていないのが実態だ。個社ではじり貧になってしまう。会社の垣根を越えて連携し、DXなどで効率化を進めたり、海外に展開したりする必要がある。
一部で後継者難の課題を抱えている企業があるが、世代交代が進み、中には若い経営者もいる。若い人は他社との協業に前向きなケースも多い。ぜひ、積極的に連携してほしい
執筆者:フロンティア・マネジメント株式会社 池田 勝敏