#3 過酷な収容所と「生きるための無感動」――諸富祥彦さんが読む、フランクル『夜と霧』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
諸富祥彦さんによる、フランクル『夜と霧』の読み解き
“何か”があなたを待っている。 “誰か”があなたを待っている。
ナチスによるホロコーストを経験した心理学者フランクル。彼は強制収容所という過酷な状況に置かれた人間の様子を克明に記録し、「人間とは何か」という普遍の問いにひとつの答えを見出そうとしました。
『NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧』では、人は何に絶望し希望するのかについて、そして時として容赦なく突きつけられる“運命”との向き合い方について、諸富祥彦さんの解説で探っていきます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第3回/全4回)
第2回はこちら
収容所での〝最初の選抜〟
アウシュヴィッツ強制収容所は、数ある収容所の中でも「絶滅収容所」として格別に恐れられていました。フランクルがアウシュヴィッツに送られたときの印象では、九五パーセントの人は到着後まもなくガス室で毒殺されていたようです。フランクルは運よく針の穴に糸を通すような残り五パーセントの中に入ったのです。
それは入所後の〝最初の選抜〟で決められ、幸運なことに、生き残ったフランクルは、数日後にドイツ南部のダッハウ強制収容所の支所に移されました。さらにその後、発疹チフスの病人収容所であるテュルクハイム収容所に移動し、そこで終戦を迎えます。
フランクルが幸運だったのは、アウシュヴィッツ収容所にいたのがわずか数日間であったことでしょう。
「絶滅収容所」「ユダヤ人問題の最終解決のための収容所」などと呼ばれていたアウシュヴィッツ収容所での拘留期間が短かったことが、フランクルが生きながらえることができた最大の理由です。
では、そのアウシュヴィッツ強制収容所とはどのようなところだったのでしょうか。フランクルたちが貨車に詰められ運ばれてきたところから見ていきましょう。
まずは、アウシュヴィッツの停車場に貨車が到着した場面です。
そして列車はいまや、明らかに、かなり大きな停車場にすべりこみ始めた。貨車の中で不安に待っている人々の群の中から突然一つの叫びがあがった。「ここに立札がある── アウシュヴィッツだ!」各人は、この瞬間、どんなに心臓が停まるかを感ぜざるを得なかった。アウシュヴィッツは一つの概念だった。すなわちはっきりとわからないけれども、しかしそれだけに一層恐ろしいガスかまど、火葬場、集団殺害などの観念の総体なのだった!
(『夜と霧』霜山徳爾訳 みすず書房、84頁)
フランクルたちは行く先も知らされず、ここに運ばれてきたのです。当時、アウシュヴィッツには、各地から毎日数千人のユダヤ人が連行され、そのほとんどが金品を奪われてガス室で大量虐殺されていました。あるいは銃殺されたり、飲まず食わずで強制労働させられたり…… 。さらには、想像を絶する人体実験なども行われていたのです。
フランクルたちは貨車から追い立てられ、長い長い行列を組まされ、選抜を担当する親衛隊将校の前に、一人ずつ押し出されていきました。
愈々(いよいよ)今や彼(ナチスの将校=引用者注)は私の前に立っている。長身、痩せ型で、粋で、申し分のない真新しい制服──エレガントな手入れの行き届いた人間であり、寝不足で疲れ、全くみじめに見えるわれわれの憐れな姿と遠い隔りがあった。彼は無関心な様子でそこに立ち、右の肘を左の手で支えながら右手をあげ、そして右手の人差指をほんの少し──或いは左、或いは右と(大部分右であったが)──動かして指示を与えるのであった。われわれの中の誰も、この一人の人間の人差指の僅かな動きがもっている意味を少しも予感しなかった。──或いは左、或いは右、概ね右──愈々私の番になった。(中略)
夕方にわれわれは人差指のこの遊びの意味を知った。それは最初の選抜だったのだ!
(同87‐88頁)
フランクルはそこで「概ね右」の人たちと別れ、数少ない「左」のグループに入れられました。それは後述するように、フランクルが文字通り、九死に一生を得た瞬間でした。
しかし、次の瞬間にフランクルは、何よりも大切なものを失うことになります。
これだけは手放したくないと、拘束される前に書き続けていた著作の原稿を上着の胸ポケットにひそかに隠し持っていたのですが、必死の懇願にもかかわらず、「糞くらえ!」と罵倒されるとともに奪い取られてしまったのです。
原稿どころかメガネとベルトを除くすべてのものを没収され、体中の毛という毛まですべて剃り落とされたフランクルは、その後シャワー室に追いやられました。
人々は全裸で整列します。そしてそのシャワーヘッドから出てきたのは── 水でした! 毒ガスではなく水が噴きだしてきたことに、半ば死を覚悟していた彼らは歓喜の声をあげたのです。
その日の夕方、フランクルは、古参のある被収容者より、二、三〇〇メートル離れた所内の煙突の一本から煙が立ち上っているのを示され、「お前さんと一緒に来た仲間は、あそこで天に昇ってる」と言われ、そこではじめて自分がからくも助かったことを理解します。フランクルは「労働用」に選抜されたのでした。
ここに至って彼は、収容所とはつまりこのような場所なのだということを悟ったのでした。
生きるための「無感動」
こののち、フランクルはアウシュヴィッツ収容所からダッハウ収容所の支所へ移送されます。しかし、そこもアウシュヴィッツに比べればまし、というだけであったにすぎません。
ダッハウもまた、過重労働、飢餓、拷問、人体実験、伝染病などがはびこっている「この世の果て」のような場所でした。
それでも彼らが喜んだのは、フランクルたちが運ばれたダッハウ収容所のその支所にはアウシュヴィッツのように「一度に何百人も殺せるガス室」はなかったことでした。ガス室がないということは、たとえ処刑が決まったとしても、すぐにガス室に連れて行かれることはないということです。つまり、アウシュヴィッツのようなガス室のある収容所行きの輸送団が編成されるまでは処刑はないのです。
その違いがフランクルたちを歓喜させました。強制収容所はそれほど悲惨な場所だったのです。
そのような非情のきわみの場所で生きていくため、フランクルたちは外の世界では考えられないような知恵をさまざまに身につけていきました。
たとえば、入所後間もない夜、古参の被収容者がそっと忍び込んできて、素晴らしい知恵を授けてくれました。その彼はそっと「ひげを剃れ」「真直ぐ立って歩け」と教えてくれたのです。なぜか。収容所では衰弱していたり、老いているようにみなされることは、即刻、処刑されることを意味していたからです。
身体が貧弱で労働力にならないとみなされたら、ほとんど間違いなくガス室行きです。ひげを剃り、姿勢をよくして歩けば、そうしないより若くて元気で労働が可能であるようにみなされたのです。
そのためその古参の被収容者は、ガラス片でも何でもいいから道具を見つけてひげを剃れ、ガラスで剃ってできた引っかき傷で血色もよく見えるはずだ、だからひげを剃ってくれる者を見つけたら自分の最後のパンと引き換えにしてでも剃ってもらえ、と教えてくれたのです。なんとも生々しい忠告です。
人間の心身というのは、いざとなると想像以上の適応能力を発揮するものです。フランクルたちは寒い季節に夜具がなくても風邪もひかず、糞尿や汚物で汚れきった場所でも平気で眠ることができるという、外の世界では考えられない図太さを獲得していきました。
なかでも、人間が極限状態に置かれた時に表れる精神の変化としてフランクルがもっとも注目したのは、多くの人が何を見ても、何に触れても、何も感じない「無感動」「無感覚」「無関心」状態になっていったことでした。
収容所生活もまだ日が浅い頃には、誰もが目の前に展開されていることは異常なことなのだという認識を持っていました。しかし、日が経つにつれて、これはとくに異常なことではない、この状態がここでは当たり前であり、この先も変わることなく続いていくのだと感じるようになったのです。
収容所でのあまりに悲惨で受け入れがたい状況を生きぬいていくために、いちいち驚かない、嘆かない、怒らない、悲しまないという防衛策を人々は身につけていったのです。できるだけ心の揺れを少なくして、失望したり傷ついたりしないようにする。それが収容所を生き抜くための最良の方法であることを理解していったのです。
フランクルもある時、自分自身もいつの間にかたいへんな「感情の鈍麻(どんま)」状態に陥っていることに気づいて驚きます。少し引用しましょう。
スープの桶がバラックに持ち込まれた。(中略)私の冷たい両手は熱いスプーンにからみついた。私はがつがつと中味を呑みこみながら偶然窓から外を覗いた。外ではたった今ひき出された屍体が、すわった眼を見開いてじっと窓から中を覗き込んでいた。二時間前、私はこの仲間とまだ話をしていた。私はスープをまた呑み続けた。もし私がやや職業的な興味から私自身の無感覚に自ら驚嘆したのでなければ、この体験は私の記憶に止まらなかったであろう。それ程すべては感情を失っていたのである。
(同103頁)
死体を──しかも、ほんの二時間前まで話を交わしていたその人の死体を──見ながら食事をするなど、平時には考えられないことです。
しかしフランクルは、もし自分が精神科医でなく、そうした状態への強い関心を抱いていなかったならば、自分がそんな異常なまでの無感覚になっているということにすら気づかずに終わっただろうと言っています。これが、強制収容所の現実なのです。
私たちは悲しい時は泣き、おかしい時には笑います。頭にきた時には怒ります。それがごく自然なことです。
しかし、すべてが悲惨な収容所の中では、自分の心を守るためにも、そのようなことをいちいち感じない状態になる必要があります。その手段が、「無感動」「無感覚」「無関心」だったのです。フランクルは、これを「心の装甲」と呼んでいます。
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著者
諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)
明治大学文学部教授。教育学博士。臨床心理士。時代の精神と闘うカウンセラー。日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事など幅広く活躍。フランクル関連の著書に『「夜と霧」ビクトール・フランクルの言葉』(コスモス・ライブラリー)、『どんな時も、人生には意味がある。── フランクル心理学のメッセージ』(PHP文庫)、『人生に意味はあるか』(講談社現代新書)、近刊に『悩みぬく意味』(幻冬舎)、監訳書にV.E.フランクル『〈生きる意味〉を求めて』(春秋社)などがある。
http://morotomi.net/
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■「100分de名著ブックス フランクル 夜と霧」(諸富祥彦著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における『夜と霧』引用部分はV・E・フランクル著、霜山徳爾訳『夜と霧── ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)を底本としています。ふりがなは、すべて編集部で付しました。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年8月と2013年3月に放送された「フランクル 夜と霧」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに姜尚中氏の寄稿、読書案内、年譜などを収載したものです。