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朝ドラ「虎に翼」が記憶をよみがえらせた御茶の水、駿河台界隈。改めて50余年前、GARO(ガロ)が歌った「学生街の喫茶店」を辿ってみたくなった

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朝ドラ「虎に翼」が記憶をよみがえらせた御茶の水、駿河台界隈。改めて50余年前、GARO(ガロ)が歌った「学生街の喫茶店」を辿ってみたくなった

 NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」で、たびたび東京・御茶ノ水の聖橋(ひじりばし)のシーンを目にした。ドラマのモデルといわれる寅子(伊藤沙莉)こと日本初の女性弁護士、三淵嘉子が明治大学で学んでいた頃(1930年代)行き来し、橋上から展望できる美しいニコライ堂のドームとともに、神田駿河台、さらに古書店が軒を連ねる神保町まで、ドラマの重要な舞台ではある。聖橋の上からはJR総武線、中央線が並走し、東京メトロの丸ノ内線が斜めに交差していて、朝ドラの放送以前から絶好の撮影スポットといわれていた。御茶の水・神田・駿河台は、三淵が通った明治大学をはじめ、中央大学、専修大学、法政大学、順天堂大学、日本大学など後の有名大学の発祥の地であったし、さかのぼれば明治時代中期には100を超える学舎があったという。現在は建物こそ立派なビルになっているが、各種専門学校、予備校が立ち並ぶようになって全国から若者が集まる「学生街」と呼ぶにふさわしい街であることに変わりはない。

 
 1960年代後半から神田・駿河台一帯が学生ゲバルトによって焦土と化してしばらく後、本来はロックグループだったGARO(ガロ)の3枚目のシングル「学生街の喫茶店」がリリースされたのは、1972年(昭和47)。ボクはすでに長かった髪を切り社会人となって、もう若くはないさ、と嘯(うそぶ)いていたし、学生運動が下火になり駿河台に静寂が戻っていた頃のことだった。初めて耳にしたフォークソング風の歌謡曲「学生街の喫茶店」に、数年前の懐かしい思い出が重なったのである。

 
 まだ駿河台界隈は静かでボクは遊び盛りのませた高校生だった。聖橋口と反対側の御茶ノ水橋口改札を出るといきなり角に交番がある交差点で、横断歩道を横切って進むと、左側に当時まだ珍しかった「ジロー」というピザの美味しいイタリアンレストラン兼ショーケースでケーキも売っていた店があって、その先を行き左に曲がると、看板もない豪奢な門扉を構える「コペンハーゲン」というレストランがあった。分かりやすくいえば、文京区音羽の鳩山会館や北区西ヶ原の古河庭園にあるような瀟洒な洋館の建物がレストランとして開放されていたのだった。暖炉もある部屋の設えをはっきりと記憶している。誰が建てたものだったのか、あるいは外国人の住まいだったのか、よほどの資産家の邸宅であったことは確かで、現存していれば、文化財になっているだろうに。ゆったりとした広い芝の庭には、いくつか丸テーブルが設けられていて、日除けの大きなパラソルが開いていることが多かった。お洒落で静かに語り合えるビアガーデンのようになっていた。その庭でチキンバスケットの唐揚げを初めて体験しながら生ビールを飲んでいた生意気な高校生がボクだった。館内のレストランへは敷居が高くとても手が出なかったのだ。実はここで不良っぽい先輩が彼女を連れていて、バッタリ出くわしたことがあった。同学年なのに年上で留年組にもかかわらず、この世の女子とも思えない可愛い彼女を連れていた。瞬く間に恋してしまったが、しばらくすると雑誌の表紙を飾っていて驚かされたことを覚えている。当時の「コペン」をご記憶の向きがいたらぜひ語り合いたいが、もう60年近く前の話である。その「コペン」からわずか100mほど先に、明治大学女子部の校舎があった「男坂」の急な階段に出くわすのだ。三淵嘉子が上り下りしたなどと知る由もない1966~7年ころのことである。

 
 なぜかくも駿河台について事細かく振り返るのか。実は「学生街の喫茶店」を作詞した山上路夫(作曲:すぎやまこういち)は、楽曲の舞台となった喫茶店がどこなのか、特定していない。駿河台下に向かって明治大学近くの喫茶店「丘」という説が有力なのだが、ボクは名曲喫茶風な雰囲気と、店の片隅で聴いていたボブ・ディランがどうにも釈然としない。当時御茶ノ水駅界隈には「ウィーン」や「ルノワール」など純喫茶風というのもあったし、今は路地裏の「ミロ」、「穂高」は健在だが、この詞に似合うのは1950年に洋画材商が開業していたお洒落な喫茶店「レモン」だと今でも信じて疑わない。JR御茶ノ水駅と並行する通りにあって、「穂高」も軒を並べている。後に画材小売店が併設され「レモン画翠」(本店)と名乗るようになるが、現在1階は画材や文具だけの小売店になっている。ボクの知っている「レモン」は店の1階の半分以上が喫茶店だった。左手が御茶ノ水駅、右手はガラス越しに見える道路の脇で、いつもの二人の客席の指定席ではないのだろうか、と勝手に解釈していた。(飲食店のレモン画翠は駿河台に移転してイタリアンとなっている)

 ところで、GAROのメンバーの3人のうち堀内護、日高富明はすでに亡く、ボクと同い年の大野真澄はもちろん健在で立派にソロ活動しているが、実は「学生街の喫茶店」が大ヒットしていた時代の3人の顔やそれぞれの個性をまじまじと知ったのは、1973年暮の第24回NHK紅白歌合戦だった。フォークソング・グループが紅白に出場すること自体、初めてだったのか、とにかく珍しいこととして話題になった。70年代の学生文化の象徴としての楽曲を、さすがお堅いNHKも認めざるを得なかったのか、あるいは学生運動の炎も下火になり、時は流れた~という詞の印象から、NHKも安心して出場を促したのか。前年の6月リリースとはいえ、当初はA面「美しすぎて」のシングルB面の楽曲だった「学生街の喫茶店」は数カ月後にはA面B面を逆転させるほどになる。有線放送のリクエストを受けはじめてから、翌年の2月、オリコンのシングルチャートで1位となり7週連続1位の大ヒットしたのだ。年末の第15回日本レコード大賞大衆賞、第6回日本有線大賞新人賞を受賞という輝かしい実績をひっさげて紅白出場を果たした。紅組白組の派手な衣装のなかで長髪3人組のGAROはいつもの裾の広がったジーパン姿だったように記憶している。ただ、見事なアコースティックギターの捌きとリードヴォーカル・大野の張りのある声とともに、3人の個性的な声質がきれいなハーモニーとなって、場内がシーンとして聴き入ったことは覚えている。この年の紅白初出場は、森昌子「せんせい」、八代亜紀「なみだ恋」、麻丘めぐみ「私の彼は左きき」、三善英史「円山・花街・母の街」、ぴんから兄弟「女のみち」、アグネス・チャン「ひなげしの花」、郷ひろみ「男の子女の子」、やはり初出場でGAROと対抗した紅組はチェリッシュが「てんとう虫のサンバ」だ。フォークソング系歌謡曲の出場が、いかに珍しかったかがうかがえるし、もしくはテレビ出演を拒否する姿勢がフォークグループの潔さと思わせていた時代だったのか。

「学生街の喫茶店」の詞は、男の若き日の恋愛の回想である。

 
 好意をもっていた女友達とのふれあい、喫茶店「レモン」の壁の名画に囲まれて、訳もなくお茶を飲みながら語り合った思い出。学生運動華やかなりし喧騒の中で、喧々諤々と議論を交わすには不釣り合いなあまりにも静かな佇まいだった。時々、ボブ・ディランの「風に吹かれて」が流れて耳を傾けることもあったよね。その「レモン」で、今こうしてひとり片隅に座って窓の外の枯葉舞う街路樹を眺めながら、実はあの頃、愛だなんて知らずに君と語り合ったのに、サヨナラも言わずに別れてしまったな…。ふっと、ドアを開けて君が入って来るような気がしてくるが、そうか錯覚か、もう…時は流れた、のだ。

 
 振り返れば、長い人生、男といわず女といわず数々の出会いがあり、それが愛だとは知らず、サヨナラも言わず別れた人々がいかに多いことか。時は流れた、君と、君と…。

文=村澤次郎 イラスト=山﨑杉夫

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