祭りだからじゃない!?「土崎港曳山祭り2024」で炸裂する「土崎らしさ・湊魂(みなとだましい)」【秋田県秋田市】
北前船(きたまえぶね)の寄港地であった港町・土崎(つちざき)。JR東日本奥羽本線土崎駅から歩いて4分のところにある「土崎神明社(つちざきしんめいしゃ)」の例祭・曳山(ひきやま)行事(通称:土崎港曳山まつり)が2024年7月20日と21日に行われました。
コロナ禍で2年祭りの開催が中止となり、2023年の開催時には、現地を訪れ町の人たちの「崎っ子(ざきっこ)」気質を感じた筆者。町と人に長い年月をかけて受け継がれてきた「湊魂(みなとだましい)」の存在を知った筆者が捉えた、「土崎らしさ」を読者の皆さんにお届けします。
(2023年執筆記事はこちら→曳山と人に感じる、「崎っ子気風」。夜8時に始まる「戻り曳山(もどりやま)」で祭りは最高潮に!【秋田県秋田市】https://thelocality.net/tuchizakiminatohikayamamaturi/)
◆海抜約20mから上がる波動
土崎へ向かう途中の道路にて。海抜約37m。
筆者の自宅から土崎神明社までは約12km。かつての「羽州街道(うしゅうかいどう)」である旧国道を自転車に乗って土崎の町へ向かう途中、秋田城跡(あきたじょうあと)に近づくにつれ海抜は上昇し、ペダルをこぐ脚は重く、息づかいは荒く鼓動は早くなり、遠くに聞こえるお囃子(はやし)を耳にすると、自身の波動も上がります。
祭り会場へ行く途中に見える、軒先に飾られた提燈(ちょうちん)や庭の草花の彩りが、鮮やかな色彩の曳山を想起させます。
◆車輪の跡に嗅覚がさえる
パッと目に飛び込んで来たのは、曳山が通った車輪の跡。黒ずむコンクリートの路面に残る油の匂いを感じた筆者はその時、「土崎の祭りにやって来たんだ」という気持ちになりました。
大脳の奥深くに刷り込まれた祭りの記憶に、さっき感じた匂いが塗り重ねられるようです。
曳山を運ぶ木製の車輪の回転を良くするために使われる軽油は、普段の生活ではなじみが少ないですが、独特なその匂いは、車輪がきしむ音と共に祭りでの「土崎らしさ」を象徴しています。
◆大会所で神様に出会う
自転車を将軍野一区(しょうぐんのいっく)の大会所方面に走らせた筆者は、中にまつられる神様に出会うことができました。
しかも、大会所向かいには筆者が3年間通った「秋田市立土崎南小学校」があって、10歳の自分が歩いた通学路が懐かしくてつい、近くに駐輪して大会所のドアをノックしたのでした。
中からは、将軍野一区で総務長を務める根布谷勉(ねぶや・つとむ)さん(73)がやって来て、突然ながらもお話しを伺うことができました。
曳山を48回連続で奉納している将軍野一区は、6月中旬に曳山の土台部分を作り替えたが、その作り方を知る人は少なく、様々な準備に労力を要するうえ、途絶えず奉納し続けることは容易ではないと、根布谷さんは言います。
◆「湊魂」という土崎気質を知る
筆者が印象的だった曳(ひ)き子、囃(はやし)し手、踊り手、そして曳山を観る多くの人たちの明るく元気な姿について根布谷さんは「それは祭りだからでしょうねぇ?」と笑いながら答えます。
確かに、多くの人はハレの日の祭りでは普段の日と比べて意気揚々となるのでしょうが、土崎の人たちは日頃から活気に満ちており、年に一度の曳山祭りで人々の内にあるエネルギーが一気にあふれれ出るのだと、筆者は感じます。
「土崎らしさと言えば、湊魂(みなとだましい)だなぁ」と、後からやって来た副総務長の阿部(あべ)さんが教えてくれました。
「土崎の人は気性が荒いと言われることがあるが、土崎はかつて北前船の寄港で栄えた港町。漁獲や商売などで日々懸命に忙しく働くから、気が荒くならないと生活できなかったのかも」と根布谷さんは話します。
◆湊魂は、わたしにもあった!
大会所を後にして筆者が向かったのは、10歳の自分が過ごした町内。町内の家々に提燈は見当たらず、薄曇りのひっそりした雰囲気でした。
筆者は、当時住んでいた貸家の近くで自転車に乗る練習をした道路に着くと、側溝に車輪がはまってなかなか乗れない当時の自分の「やってやろうじゃないか!」という負けん気は、「土崎らしさ・湊魂」と似ていることに「ハッ!」と気づき、嬉しさを覚えたのでした。
◆参考資料◆
・『土崎港曳山まつり 特集号』
2024年7月19日 秋田魁新報社 発行
・『第53号 港曳山祭りのしおり』
2024年7月20日 土崎経済同友会 発行