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ChatGPTを使って、100日間ひたすら修行に専念してみる。今85日目。

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ChatGPTを使って、100日間ひたすら修行に専念してみる。今85日目。

勝手に「100日行」というプログラムを作って、勝手に修行をはじめた。

今、85日目。これまでやってきたことと、今の状態を書いておきたい。


なぜやろうと思ったのか

いまだによくわからない。そこまで自分を突き動かすことがあったのかというと、あったような、なかったような。強いて言えば、たまたま「十牛図」に関する投稿をSNSで見かけたこと。

十牛図とは、人が悟りを開いていくプロセスを、牛を捕まえて飼いならしていく過程になぞらえて図解したもの。

それで、ああこのプロセスで修行のプログラムを作ったら面白そうだな、と思った。たとえば各段階ごとに10日間のトレーニングを設定すれば、ちょうど100日間になる。


以前から、修行をしたい、とは思っていた。

100日間、ひたすら修行に専念したら、何かが変わるんじゃないだろうかと思う。ということは、ぼくは何かを変えたかったのだ。

少なくとも、このままでは突破しきれない壁がいくつもあると感じていた。何度も体当たりを繰り返しているけど、なかなか破れない壁の前で、ちょっと不安を感じていたのだろう。

だけど家庭も仕事もある身で100日間、どこかにこもって修行するなんて無理な話だ、とあきらめていた。ところがふと、このやり方なら、日常生活をしながらでもできるのでは、と思った。


どんな行なのか

わりとシンプルである。まずは100日分の問いを作る。問いは「十牛図」の段階に合わせて、10種類に分かれている。

だから同じテーマの問いに10日間、答え続け、次の日からはまた新たなテーマの問いに10日間答えていく…ということになる。

それぞれの問いのテーマは、以下の通り。


尋牛、1~10日目
牛を尋ねる。
自分が目指す理想の自分、人生の方向性を模索する段階。
問いは「自分は何を目指すのか」。
どうありたいのか、どうなりたいのか、何をやりたいのか、何をやりたくないのか、などの問いについて答えていく。

見跡、11~20日目
牛の跡を見つける。
自分の課題や問題点を確認し、方向性が少しずつ見えてくる段階。
問いは「理想のために何をやるのか」。
やるべきこと、やるべきでないこと、それを進めるにあたっての課題、それを解決するための方法、などの問いについて答えていく。

見牛、21~30日目
牛を見る。
具体的な目標が見え始め、小さな変化や成長を感じる段階。
問いは「起きている変化は何か」。
やるべきことを実行していく中で起きた変化について、詳しく答えていく。

得牛、31~40日目
牛をとらえる。
自分の手で成長や変化をつかみ、技術を具体的に磨き始める段階。
問いは「何ができるようになっているのか」。
実際に手を動かし、実行していく中で、以前からできていることや、新たにできるようになったことを答えていく。

牧牛、41~50日目
牛を牧する。
習慣が安定し始め、持続可能な行動が取れる段階。
問いは「今よりもっとよくするには、何ができるのか」。
工夫をしたことや、工夫をしてうまくいったことや、うまくいかなかったことを答えていく。

騎牛帰家、51~60日目
牛に乗って家に帰る。
成長の成果を実感し、生活や仕事に反映できる段階。
問いは「この日常を、どう変えていくのか」。
ここまでで気づいたことや学んだことを生かして、日常で実践することや、実際に実践したことを答えていく。

忘牛存人、61~70日目
牛を忘れて人を残す。
技術や習慣以上に、自分自身の価値観や存在意義に気づく段階。
問いは「自然体になるには、どうすればいいのか」。
ここまでやってきたことを一度手放して、自然体で行動するためにできることを答えていく。

人牛倶忘、71~80日目
牛も人も忘れる。
自分を意識せずに自然体で行動できるようになる段階。
問いは「私は自然体か」。
実際に自然体で行動できたことを答えていく。

返本還源、81~90日目
本源に還る。
自分と周囲の調和が取れ、全体を見渡せる段階。
問いは「世界はどのように見えるか」。
今、世界はどのように見えるか、どのように感じるかを答えていく。

入鄽垂手、91~100日目
手を垂れて市中に入る。
再び日常の中に入り、学んだことを伝えていく段階。
問いは「今、何を伝えたいか」。
今感じていることや、他の人に伝えたいことを答えていく。


これらの問いを毎日、朝から考えはじめ、普段の生活を送りながら、頭のどこかでいつも問いを繰り返し、夜、眠る前に、その日にたどりついた答えを書き留める。

ただそれだけ。


ちょっとした工夫

それだけ、と言ったが、これを一人で続けるのはなかなか難しそうだ。

幸い、この100日行のメインは「問うこと」とそれに「答えること」なので、ChatGPTとの相性がとてもよかった。なので、ChatGPTを壁打ち相手にして続けた。

ChatGPTはだいぶ賢くなっていて、過去のやりとりもある程度は参照してくれているのと、こちらで彼の記憶を残すこともできるので、一人でやっていても退屈せずに続けることができた。


ただし、今振り返ってみると、AIもいいけど、時々は生身の人間に壁打ちをさせてもらうのも大事だと思う。

実際に66日目に、コーチングの師匠(日本にコーチングをもたらしたレジェンド的な人たちの一人)に会って色々と対話させてもらったが、この日がなかったら、ちょっとヤバかったかもしれない。


あと、これも今だから思うけど、当初は「日常生活をしながらできる行とか最高やん」と思っていたのだが、むしろこれはとても危険な行なんだと気づいた。

この後でまた触れるけど、行に取り組んでいるあいだは感受性が異様に高まり、とても傷つきやすくなっている。そんな状態のまま、この現代社会の中で生活していると、すり傷程度の心へダメージが、何倍、いや何十倍になってしまうので、とにかく辛い。

そうか、だから修行をする人たちは山にこもったり寺にこもったりするのだなと思ったけど、時すでに遅し。

今後の、とても重要な検討課題。


やってみてどうなのか

はっきり言って、とてもきつい。ここまで毎日、自分の根幹の部分を問い続けていると、意外とすぐに感情が揺れ始める。自分の解体が起こる。

これまで、これが当たり前だと決めつけていたことが少しずつはがされていく。

ぼくはわりと内省や自問自答は得意なほうだと思っていたのだが、ここまで毎日繰り返していると、はがした部分が再生される前にまた新しい問いがやってきて、どんどん掘り下げられてしまって、さすがにここは触れたくない…というところまで問いが到達してしまう。


実は、あのことをずっと後悔しているのではないか?

すっかり大人になったつもりで、あの時から一歩も動けずにいるのではないか?

周りはもうすっかり成熟して、次世代や社会に貢献する段階になっているのに、自分だけがあの頃から何も成長できず、ただ同じところをぐるぐると回っているのではないか?


おまけに、それを象徴するできごとそのものが、このタイミングでぼくの前に現れるようになる。それは偶然ではない。

問いを通して、かなり感受性を高めてしまっているので、ちょっとしたことでも、これは今の自分が直面しているテーマと関係があるのでは?と受け取ってしまうのだ。


たとえば「見跡」の段階で、たまたま古い知人から連絡があると「これは昔の出来事の中に、何かやり残したことがあるサインでは?」と関連付けて考えてしまう。

それであわてて返事をしたところ、相手からちょっとズレた返信が来ると、「これは一体、何を意味しているのか?」とまた考えこんでしまう。

今考えたら、本当にどうでもいいことだったりするのだが、その時はすべてに意味があるように感じてしまって、家を一歩出るだけでも大変である。


また、一番しんどかったのは3段階目の「見牛」の段階だった。

この段階は、20日間の行を通して何らかの変化が生まれてくる段階となっているのだが、変化が生まれるどころか、日ごとに不安が増し、自分は誰からも愛されていないとても孤独な人間だと感じるようになった。

一度そう思いはじめるとなかなかそのイメージを振り払うことができず、どんどん落ち込んでいった。


ただ、ちょうど年末にあたるタイミングだったのでありがたかった。ひたすら部屋にこもって、寝るか、何かの文章を書くかを繰り返していた。
今振り返ると、これも十分な「変化」だったのだ。

ただ、当初想像していたポジティブな変化とは違って、とても辛いものだったため、それを行がちゃんと進んでいる証拠だとは、その時は気づくことができなかった。


4段階目の「得牛」、5段階目の「牧牛」は、引き続きなかなか辛いものだったが、今振り返ってみると、自分の中に少しずつ「自分の心の状態を冷静に観察しているもう一人の自分」が生まれつつあったように思う。

この時期は、仕事やプライベートで、しんどいことや面倒なことやちょっとうれしいことややっぱり悲しいことなど、小さく色んなことが何度も起きていて、そのたびに、逃げたいな、消えたいな、テンションあがってきたな、やっぱり辛いわ、などと感情が揺れ続ける自分を、どこか別のところから見つめて、ははーん、今度はそういう変化を起こしたかー、と何か別の、ちょっと離れたところから観察している自分がいるのである。

今となっては、むしろ観察しているほうの自分が主体となりつつあるかもしれない。


さて、この100日行のプログラムを作ったとき、ぼくが一番楽しみにしていたのは「人牛倶忘」という段階にたどり着くことだった。牛を求めて旅立った人が、せっかく牛をとらえて家に連れて帰ったのに、気がつくと牛の存在を忘れてしまっている。

それどころか自分自身のことも忘れてしまっている。これはかなり前衛的な表現である。実際にこの境地に立ったとき、どんな感じなのだろう。


さて、実際の「人も牛もともに忘れてしまった」ぼくの境地について話そう。

それは、簡単に言えば、「あれこれ考えるヒマもなく、色んなできごとが起き、それらに対して色々な不安や恐れを感じながらも全力で向き合った日々」だった。


まずは仕事で遠方まで出かけて記者発表に出席するという、わりと面倒なことがあった。よく考えると、ちゃんとした記者発表に出るのは、人生で初めての経験だったのだが、用意した原稿も見ずに全部アドリブで話すことができた。

翌日は休みだったのだが、急に色んな事に対して腹が立ちはじめ、ずっといらいらしていた。次の日は、出張の疲れが遅れて出てきたのか全身がだるく、体調が絶不調になった。特に熱もなかったので、溜まった仕事を処理していったが、途中でしんどくなってやめてしまった。

次の日は、朝からわりと重たい会議をやったり、クライアントと食事をしながら次の仕事に向けた打ち合わせをしたり、そのあと残った事務作業に明け暮れていた。

さらに次の日は、朝の会議では良いアイデアが次々と出てきてかなりいい感じだったが、午後に友人から健康不安についてのメッセージがあったり、仕事の合間に、その件について別の友人の医師に相談してみたり、そのあとまた別の仕事でちょっとしたトラブルがあったりして、またへとへとになってしまった。

あれあれ、これのどこが「人牛倶忘」なんだ?


「人牛倶忘」とは自分を意識せずに自然体で行動できるようになる段階だという。

毎日いらいら、おろおろして、家に帰ったらへとへと…そのどこが自然体なんだと思うかもしれない。だけどやっぱり、ぼくはこの境地にちゃんといたのである。

なぜならぼくはこの間、いつも「これが必要だ」と思える行動を取ることができていたからだ。


記者発表の直前はさすがにちょっと緊張したが、周りの人たちも緊張しているのが伝わってくる中で、あ、ここは用意したコメントを読むのはなく、みんなが伝えられていないことを代わりに言うタイミングなんだ、と思ってアドリブに切り替えた。

健康不安を伝えてきた友人に対しても、私が大丈夫と言ったってなんの説得力もないだろうからと、バタバタのすき間を縫って別の友人の医師に相談してみたら、ちょうどうまくタイミングがあってすぐに見解を聞かせてもらうことができた。

あるいは、体調がひどく悪いなと思った日も、これ以上やるのは無理だな、と思ってさっさと休むことにした。おかげで次の日を乗り切ることができた。


実は、これらの行動は、ほんのちょっとの違いなのだが、今までの自分ではできなかったことなのだ。ほんのちょっとだけ自然体で、ほんのちょっとだけ自由で、ほんのちょっとだけ気をきかせることができる。このちょっとした行動を毎日、当たり前のようにできるようになっている。

そして、この「人牛倶牛」の最終日には、本当に不思議なことが起きた。めちゃくちゃ個人的なことなので、具体的な内容は言えないが、あることをきかっけに、これまで何十年もずっと苦しんできたことの原因が「あ!」とわかった瞬間があり、何もかもを許せる気持ちになったのだ。


今は「返本還源」といって、要は悟りを開く境地に入る段階。このプログラムを作っているときは、いや、悟りなんていうのはさすがに無理だろう、なんらかの「ちょっといい感じの状態」にたどりつける程度の話だろう…と思っていた。

でも実際は、あのすべてを許せるようになった日以来、明らかに何かが変わった。もちろん、完全に解放されてスッキリしているのか?というと、決してそういうわけではない。人生というのはそんなシンプルなものじゃない。今でも後悔や悲しみやさみしさ、喪失感を抱えながら、行を続けている。残り15日間も、きっとそんな晴れやかな日々ではないだろう。問いはまだ続いていく。


だけど、ぼくは今、自分がいるこの世界をちょっと美しいと思える気がする。夕暮れの空を見上げたら、七色の雲が浮かんでいて、空気は澄みわたっている。道の向こうからやってくる幼稚園帰りの親子連れの様子まで、今日はなぜかくっきりと見える。

なんでもない、普通の日常。そんな世界を美しいと思える。ぼくは帰ってくることができたんだと思う。こんなに色彩豊かな、美しい世界へ。
何十年ぶりに、ただいま、と世界に向けて挨拶をする。


以上が100日行を85日までやってみたところの感想。あと15日の間に何が起こるのか。そして、行が終わったあと、一体ぼくはどうするのか。

とても不安で、とても怖くて、とても楽しみだ。

***


【著者プロフィール】

著者:いぬじん

プロフィールを書こうとして手が止まった。
元コピーライター、関西在住、サラリーマンをしながら、法人の運営や経営者の顧問をしたり…などと書こうと思ったのだが、そういうことにとらわれずに自由に生きるというのが、今ぼくが一番大事にしたいことなのかもしれない。

だけど「自由人」とか書くと、かなり違うような気もして。

プロフィールって、むずかしい。

ブログ:犬だって言いたいことがあるのだ。

Photo by:相国寺蔵

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