エネルギー爆発!【石黒瑛土ビリー】~”世界水準のダンサー” 四者四様のビリーを観る②〈ミュージカル『ビリー・エリオット』上演中〉
1984年、炭鉱閉鎖に対抗するストライキに揺れるイギリス北部の町を舞台に、バレエ・ダンサーを目指す少年と彼を取り巻く人々を描き、大ヒットした映画『リトル・ダンサー』。エルトン・ジョンが音楽を手がけたそのミュージカル版『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』は、2017年の日本初演以来広く愛される作品となっている。三度目の上演となる今回も、長期トレーニングとオーディションを勝ち抜いた子役たちが大活躍。主人公ビリー・エリオット役で4人が日替わりで登場するが、世界各地のミュージカル『ビリー・エリオット』カンパニーにも携わってきた演出補 エド・バーンサイド氏と振付補 トム・ホッジソン氏は、開幕直前インタビューで彼らを「世界水準のダンサー」と評している。4人のビリーのうち、石黒瑛土が主役を務める回を観劇した(7月31日17時半の部、東京建物Brillia HALL)。
石黒のビリーは共演者とのセリフのやりとりが実に弾んでいる。相手のセリフにヴィヴィッドに反応し、どんなヴィヴィッドな反応が返ってくるのか楽しみにして相手にセリフを投げかける。生の舞台におけるつっこみ、つっこまれのその相互作用を楽しむ姿が、観ていて非常に楽しかった。それだからこそ、彼がお父さん(この回、演じたのは益岡徹)に自分はバレエをやりたいのだと生の感情を思いきりぶつける際も感情移入しやすく、その流れからの一幕ラストの「Angry Dance」での感情を爆発させながらの踊りに心に迫るものがあった。ダンスをしている時はどんな気持ちになるのかを尋ねられ、その理由を歌い踊る二幕の「Electricity」も、観客に語りかけるかのようにセリフを発する姿、そして自分自身のすべてを出し切るかのようなパフォーマンスに心打たれた。生き生きとステージに躍動するタップダンスも印象的。その一方で、舞台にたたずんでいる姿に何とはなしにペーソスが感じられるのがおもしろい。
そんなビリーを見守る益岡徹のお父さん役の演技には、妻を亡くし、炭鉱閉鎖による失業の危機にある彼自身、ビリーがバレエをやりたいと言い出せなかったように、人になかなか心を打ち明けられずにいたんだろうな……と思わせる、不器用な優しさがあった。
ウィルキンソン先生役の安蘭けいは2020年公演に続いての出演。登場ナンバー「Shine」の歌と踊りからコメディセンスがはじける。100パーセントの幸せに満たされているとは言い難いであろう人生を、ウィルキンソン先生はそのユーモアセンスでもってかわして生きてきたのではないか……と想像させるものがある。バレエ教室でカウントを取るとき、安蘭のウィルキンソン先生は「ファイブシックスセブンエイト」を「ファイブシックスセブネイト」と発するのだが、その「セブネイト」の発語にはどこか投げやり感も漂う。自分のバレエ教室という王国の中では女王然として生きてきた彼女が、ビリーという才能あふれる少年、他者に出会ったことで、少しずつ変わっていく。その意味で、この作品が、ビリーのみならず、ウィルキンソン先生の、そしてやはりビリーのバレエへの情熱に打たれて変化を遂げるお父さんの成長をも描く物語であることが示される。
安蘭のウィルキンソン先生がビリーとの別れの場面において、ビリーを、そしてビリーの才能を深く愛するからこそ、ここにとどまっていてはいけないときっぱり告げる様に、厳しく深い大人の愛を感じさせられた。ストライキに燃える男性たちがバレエをさげすむ言動を見せたときに食って掛かる様にも、社会が大変なときに芸術が果たすべき役割を考えさせるものがある。
根岸季衣が演じるビリーのおばあちゃんは、踊りは上手いが飲んだくれの甲斐性なし男との長年の結婚生活という峻厳な人生を生き抜いてきた人間の尊厳を感じさせる演技を見せた。
取材・文=藤本真由(舞台評論家)