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【平成の春うた】スピッツが持つ中毒性「チェリー」の歌詞に登場する油断ならない表現

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1996年04月10日 スピッツのシングル「チェリー」発売日

リレー連載【昭和・平成の春うた】VOL.12
チェリー / スピッツ
▶︎作詞:草野正宗
▶︎作曲:草野正宗
▶︎編曲:笹路正徳&スピッツ
▶発売:1996年4月10日

約161.3万枚を売り上げた不朽の名曲「チェリー」


春のうたには名曲が多い。と、私は勝手にそう思っている。夏秋冬にもそれぞれ素晴らしい楽曲やヒット曲はたくさんあるが、春のうたには “季節モノ” という領域を超越した普遍的な名曲が多い気がしてならないのだ。

スピッツの代表曲「チェリー」も、その1つと言えるだろう。リリースは今から29年前の1996年。約161.3万枚を売り上げた “スピッツ3大ミリオン” の一角にして、色褪せることのない不朽の名曲だ。ちなみに残りのミリオン2作は「ロビンソン」「空も飛べるはず」。いずれ劣らぬスタンダードナンバーぞろい。この3曲を挙げただけでも、スピッツがいかに偉大なバンドであるかが伝わるだろう。

「チェリー」に話を戻そう。タイトルからして、いわゆる “桜ソング” かと思いきや、そう単純な話でもないようだ。歌詞には、「♪春の風に舞う花びら」というフレーズがあるが、これだけで桜だという確証を読み取ることはできない。また、サウンドと歌詞から浮かんでくるイメージは早春の芽吹いた若草色。

もちろん個人差はあるだろうが、少なくとも私にとって「チェリー」は “春うた” であるが、“桜ソング” ではないという認識だ。どちらかといえば春という季節の持つ希望や、無垢な若々しさといったイメージに強く結びついているように感じられる。ちなみにスピッツはその後、2005年に「春の歌」というタイトルの楽曲を発表している。力強くも爽やかな、「チェリー」と並ぶ春うたの名曲である。

ライブハウスでしのぎを削ったスピッツとミスチル


「チェリー」がリリースされた1996年は、いわゆるCDバブル時代。とにかくヒットチャートが元気な時代だった。ビートの効いたダンスミュージックを特徴とする小室サウンドが音楽シーンを席巻する中で、ある種アコースティックかつシンプルなロックサウンドで強い支持を集めたのが、Mr.Children、そしてスピッツの2大バンドだった。

両者はほぼ同世代で、アマチュアの頃には同じライブハウスでしのぎを削った、いわばライバル同士の関係性。先にブレイクしたのはミスチルだったが、後を追うようにしてスピッツも「ロビンソン」の大ヒットで一躍トップバンドの仲間入りを果たすと、続くシングル「涙がキラリ☆」は惜しくもミリオンには届かなかったが、90万枚以上のヒットを記録した。

両ヒット曲を収録したアルバム『ハチミツ』は自身初のチャート1位、そしてミリオンヒットを達成。また以前リリースしたシングル「空も飛べるはず」がドラマの主題歌に抜擢され、2年越しでのミリオン突破を果たすなど、スピッツの勢いは社会現象的なミスチル人気に匹敵するものがあった。そして1996年4月、「涙がキラリ☆」以来、約1年ぶりの完全新曲としてリリースされたシングルが「チェリー」だった。

自然体を貫いたスピッツの勝負曲


バンドにとって、より高く跳ねるための、俗っぽい言い方をすれば “勝負曲” ということになるが、スピッツはあくまで自然体を貫いた。肩肘張らず、気負いなく。「チェリー」はメロディの抑揚が少なく、まるで陽春の暖かさのように軽やかな楽曲だ。

ただし、切なさや悩みを抱きつつも、希望を胸に進むことを表現したかのようなサビのコード進行や、歌詞の文学性はスピッツらしい一筋縄ではいかない奥深さに溢れている。ノンタイアップでのミリオンヒットという快挙を成し遂げたのも納得の完成度を誇る。

とりわけ歌詞は読めば読むほど深い。冒頭、歌い出しの「♪君を忘れない」という一行で、これが終わった恋の歌であることをさりげなく印象づける。「♪二度と戻れない くすぐり合って転げた日」と、失ってしまった尊い日々に想いを馳せつつ、“君” のいない未来を想像する主人公。この表現が絶妙だ。

 きっと 想像した以上に
 騒がしい未来が僕を待ってる

生活から仕事、恋愛に至るまで人は自分の行く末を知ることはできないが、草野マサムネはそれを​​「♪騒がしい未来」と表現する。希望も不安もひっくるめて、人生はいつも “騒がしい” のである。彼の生み出す文学的な歌詞は、いつだって絶妙だ。

誰しもが共感できる表現を紡ぎ出す草野マサムネ


単にワードチョイスが美しいとか、比喩が巧いというのではなく、ちょうどいいスケール感で、誰しもが共感できる表現を紡ぎ出す。このことにかけて、彼の右に出る作詞家はいないとさえ思う。

「愛してる」の響きだけで
 強くなれる気がしたよ
 ささやかな喜びを
 つぶれるほど抱きしめて

歌詞を読むだけで自然とメロディを口ずさんでしまうほど有名な、邦楽史に残るこの名フレーズ。難しい言葉は使わず、ごくシンプルな言葉を使ったミニマムなフレーズだが、主人公の “君” への愛情が痛いほど伝わってくる。これも、やはり絶妙だ。

一方で、「♪つぶれるほど抱きしめて」という表現にはある種の冷淡さが垣間見える。日常の中で “ささやかな喜び” はつい当たり前のものとして享受しがちだが、そうしたなんでもない瞬間こそがかけがえのない幸せだったのだと、大抵は失って初めて気付くものである。

だが「チェリー」の主人公である “僕” は、やがてこの幸せに終焉が訪れることを、“君” と過ごしながら薄々分かっていたのかもしれない。だから今のうちに、ささやかな幸せや喜びを、つぶれるほど強く抱きしめておくのだ。いつかこの日常が遠い日の思い出になったときのために。

スピッツが生み出した世代を超えて共感される名曲


もちろんこれは解釈のひとつに過ぎないが、スピッツの楽曲の歌詞にはこうした油断ならない表現が頻繁に登場する。一見、優しくて可愛らしいスピッツの世界観だが、よく聴けばそう容易いものではない。そうした刺激が絶妙に効いているからこそ、彼らの音楽は中毒性があるのかもしれない。「チェリー」はその最たる例と言えるだろう。

若い頃は失恋ソングとして共感していたものが、人生経験を重ねるうちに、日常の尊さや、永遠に続くと思っていた時間の儚さを歌った楽曲として心に響くようになる。名曲というのは時を経て聴き返すたび、新たな発見があるものだ。

そんな「チェリー」は、29年という時を経てもサブスクの再生回数ランキング100位以内に登場するなど、驚異的な支持を集める。春の訪れとともに、また今年も街では「チェリー」が流れ、人々の心に寄り添うことだろう。季節の歌でありながら、季節を超えた普遍性。これこそが「チェリー」の真髄であり、スピッツという稀有なバンドが生み出した、世代を超えて共感される名曲なのである。​​​​​​​​​​​​​​​​

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