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デビュー40周年【少女隊】今こそ再評価!80年代では珍しい女性3人組アイドルグループ

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1984年08月28日 少女隊のデビューシングル「FOREVER〜ギンガムチェックStory〜」発売日

少女隊40周年!デビュー曲は「FOREVER~ギンガム・チェックStory~」


1983年にオーディションでミホ(藍田美豊)、レイコ(安原麗子)、チーコ(市川三恵子)の3人で結成された少女隊。当時はソロがほとんどだったアイドル界だが、渡辺プロのソフトクリームや、やはりデビュー準備中だったセイントフォー、もっとマニアックなところでは、ラジオ番組から生まれた Lady oh!(元・ラジオっ娘)やオレンジ・シスターズなど、にわかにガールズグループが登場し始めた時期でもあった。キャンディーズやピンク・レディーのフォロワーたちも落ち着いて久しく、男性グループのイモ欽トリオやシブがき隊の活躍が図らずとも影響を及ぼしていたのかもしれない。

少女隊というと、総額40億円といわれた破格のプロモーションばかりが語られてしまいがちだが、純粋な視点で見れば、優れた楽曲が数多いトリオアイドルだった。デビュー曲となった「FOREVER〜ギンガム・チェックStory〜」は、1984年8月28日に日本フォノグラム(現:ユニバーサル ミュージック)からリリース。同時にロサンゼルス録音のアルバム『少女隊Phoon』、12インチシングル「ESCAPE」、オールアメリカロケのビデオ『少女隊Phoon』もリリースされるという異例の大攻勢で、いち早くファンになった人たちは財布の紐が緩みっ放しでさぞかし大変だったろうと思う。

ただし、初期はテレビをはじめとするメディアに露出しないという戦略があったそうだから、実際に本人たちが出向くプロモーションはほとんど無かったのではないだろうか。シンガーソングライター系のアーティストがテレビ出演を拒むのは珍しくなかったが、アイドルには決して適した展開ではなかったことは、スタート時点でのつまずきに明らかであった。作詞:亜伊林、作曲:都倉俊一による「FOREVER〜ギンガム・チェックStory〜」は、曲の完成度からして、本来ならもっと売れてもおかしくなかったはずである。12インチシングル「ESCAPE」にも、この曲のリミックスヴァージョン「FOREVER」が収録された。

デビューアルバム「少女隊Phoon」は都倉俊一プロデュース


「FOREVER〜ギンガム・チェックStory〜」が冒頭に置かれたデビューアルバム『少女隊Phoon』は都倉俊一プロデュースの下、全10曲が亜伊林と都倉俊一のコンビ作品によるものだった。アメリカの一流ミュージシャンたちが参加してロサンゼルスのスタジオでレコーディング。話題性も抜群だったのだが、彼女たちにとって不運だったことのひとつに、デビュー前に放映される予定だった江崎グリコのCMが、例のグリコ・森永事件の影響で延期になったのがある。そこでのセリフ “一心同体、少女隊” がデビュー時のキャッチフレーズと思われがちであるが、実際には “胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ” というのが正式なキャッチフレーズだった。

1985年に入ってすぐに出されたセカンドシングル「お元気ですか?マイフレンド」は、やはり都倉俊一の作曲で、東宝で公開された主演映画『クララ白書 少女隊PHOON』の主題歌となった。氷室冴子の小説を原作とした青春映画は、山口百恵やたのきんの作品も撮っていた河崎義祐監督がメガホンをとった。当時劇場で観て、期待以上に楽しめた憶えがある。3人が一所懸命に取り組んでいる様子が伝わると共に、ストーリーも起伏に富んだ秀作なのだ。ちなみに当初のお目当ては同時上映の吉川晃司主演作『ユー・ガッタ・チャンス』だったのだが。

「ザ・トップテン」に初ランクインした「素直になってダーリン」


3枚目のシングル『素直になってダーリン』では、作詞を秋元康が担当し、プロモーションの方向も積極的なメディア露出に切り替えられる。結果、日本テレビ『ザ・トップテン』に初ランクイン、続いての夏曲「渚のダンスパーティー」も好評で次第に人気が上昇してきたのだが、ここでまた予期せぬ展開が。デビューから1周年となる1985年8月に、メンバーのチーコが椎間板ヘルニアの悪化により脱退し、新メンバーのトモ(引田智子)が加入することとなったのだった。そのタイミングでレイコが負傷し、テレビ番組のレギュラーがキャンセルになるなど、最初の1年は何かとアクシデントに見舞われた。

TBSのドラマ『夏・体験物語』に中山美穂と共にレギュラー出演し、挿入曲となった5枚目のシングル「Bye-Byeガール」が『ザ・ベストテン』にランクインすることが出来た。これがチーコがメンバー時代最後の曲となり、次作「ハレーロマンス」はトモ参加の第1作として宣伝にも力が入れられた。76年周期の出現で1986年2月に観測が予定されて話題になっていた、ハレー彗星をテーマにした作品であった。1986年秋にはレコード会社をフォノグラムからポリドールへと移籍、さらに1年後には東芝EMIへ移籍(3社とも現在はユニバーサルミュージックに統合)してリリースが続いた。

1986年と1987年には東南アジアツアーを成功させるなど、香港、タイ、シンガポールなどアジア各国での人気が高かったらしい。1989年に解散した後はそれぞれソロ活動するも、ミホとトモは引退。レイコは声優の道に活路を見出だしてゆく。

“1999少女隊" として再結成


解散10年後の1999年には、妊娠中だったミホを除く、レイコ、チーコ、トモの3人で “1999少女隊" として再結成され、デビュー曲の「Forever」をセルフカバーした。ベスト盤『少女隊 Complete Singles Forever 1984-1999』がリリースされた2016年、かねてから少女隊の活動を高く評価していたSUEMITSU & THE SUEMITHのライブにゲストとしてオリジナルメンバー4人が勢揃いしたのは記憶に新しいところ。「Forever」と新曲「Shooting Star We Are」を披露して長年のファンを歓喜させた。

最後に念のため記しておきたいのは、少女隊がデビューしたのは、少年隊のレコードデビューより1年以上も早かったということ。決して二番煎じではないのだ。というわけで、少女隊デビュー40周年おめでとうございます!

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