待たせるくらいがちょうどいい
ソトコトペンクラブから「気軽にたのしく投稿してほしい!」とお題が出た。その一つであった「あなたのまちにあるオモシロ看板み~せて!」というお題を見た瞬間、ピンと一つのお気に入りを思い出した。
「ゆっくりじゅんびしているので14:00~になります。」
看板……と言うのか張り紙と言うのか。
そこには「ゆっくりじゅんびしているので14:00~になります。」と書かれていた。2023年の1月に開催された「エディットKAGAMIGAWA」のフィールドワークで、高知市の中心商店街を歩いているときに見つけたパン屋のような小さなお店のドアに貼られていた。
当時カフェスタッフとして働いていた私は、不意に飛び込んできたこの手書き文字に立ち止まる以外の選択肢を持ち合わせていなかったし、撮らなくちゃと思う前にスマホを取り出して撮っていた。
この看板を見た瞬間「それでいいんだ」と思ったのだ。
パン屋だと朝早くからだし、カフェなら昼前、遅くとも昼過ぎから開いているところがほとんどなのではないだろうか。当時所属していた店舗も開店は11:00だった。だというのに、この店は14:00。お店の雰囲気的に夜遅くまでやっていそうな雰囲気はない。しかも、この日は「ゆっくりじゅんびしている」のである。
どんな理由でゆっくり準備しているのか私に知る術はないが、理由は何であれ、ゆっくり準備していい選択肢を持っていることに私の心は至極溶かされた。
それでいいと思えなかったのに、それもいいと思えた
大災害や事故など、自分の手には負えない事態が起こらない限り、何が何でも時間通りに店を開く。たとえお客さんがほとんど来ない時間帯が分かってきていたとしても、早く開けたところでお客さんが来ないとしても、だ。少しでも遅れたら、目には見えないお客さんから非難されるに違いないと心の内で少し怯えていた。自分はとんでもないことをやらかしてしまった! と必要以上に自分を責めてしまう。
だから、この看板を見るまでは「ゆっくりじゅんび」なんて論外に思っていた。
でも、このお店は「ゆっくりじゅんび」を選択している。まだ誰もいない店内は綺麗に掃除されていて、きっと根強いファンもいるんだろうなと想像できた。ゆっくり準備をして、いつもよりもお客さんを待たせたとしても、待ってくれる人たちがきっといるのだ。
それって、とても素敵なことじゃないか?
24時間営業じゃなくても、都合の良い時間や曜日に営業していなくても、それでも行きたいと思わせる。「ゆっくりじゅんび」する日があっても受け入れてくれる周りとの関係。それはきっと、ただお洒落だとか、美味しいとか、そういうものだけでは構築できないものなんじゃないか。長い時間の中、或いはお店にいる少しの時間の一つひとつの関わり合いが、そういう温かな心のゆとりを作っているんじゃないだろうか。
そんな今の私たちに大切なものを育めるなら、こんな看板を表に出してもいい。なんなら待たせるくらいがちょうどいいのかもしれない。お店に限らず、触れ合ったあとに心のゆとりが自然と増やせるような、そして内側からじんわりと温めるような、そんなコミュニケーションを抱きしめて、「ごめん待った?」と言う日があっても、そのあとに充足感に包まれる時間をお互いに過ごせるようになりたい。
そう思わせてくれた名前も知らないお店の看板の話。