8児のパパ小児科医・ゆび先生「子どもは医者を継がなくてもいい」子育ても夫婦関係も円満にした“そもそも論”とは?
0~16歳まで4男4女8児のパパで小児科医の「ゆび先生」インタビュー第1回。YouTubeやTikTokでも人気を博すゆび先生がSNSを始めた理由、医師を志したきっかけ、子育てを通じてわかった「そもそも論」とは。全4回。
【写真➡】ゆび先生の奥様から子どもまで“10人家族”を大公開!0歳から16歳まで4男4女8児のパパで小児科医の「ゆび先生」こと田本直弘さん(43/鳥取県米子市在住)。看護師のひかちゃんと一緒に発信するYouTubeチャンネル「ゆび先生&ひかちゃんねる」が話題で登録者数7万7000人、TikTokのフォロワーは17万人を超える人気ぶりです(2024年11月現在)。
正しい医療情報を幅広く伝えるだけでなく、大家族の日常も発信する大人気インフルエンサードクター、ゆび先生にインタビューしました。
●ゆび先生PROFILE
小児科専門医・YouTuber・TickToker 田本 直弘(たもと・なおひろ)。米子市生まれ。2012年「医療法人田本会 米子こどもクリニック」開院。4男4女8児のパパ。
動画配信のきっかけはコロナ禍
──ゆび先生と看護師のひかちゃんのチャンネルが子育て世代を中心に大人気ですが、動画配信を始めたきっかけを教えてください。
ゆび先生:動画で配信を始めたのは、コロナ禍の2020年でした。鳥取県米子市で「米子こどもクリニック」という小児科をやっているのですが、そこの外来で100人診察すると、100人の親御さんに同じことを説明しているなと気づいたんです。
それならまとめて正しい医療情報を出したほうがいいんじゃないかということで始めました。看護師におもしろい子がいて、それが相棒の“ひかちゃん”なんですが、「一緒にやろうぜ!」となりました。
最初はマスクの付け方、手の洗い方、風邪とは何かといった医療情報だけを伝えていましたが、エンタメ性がないのでつまらなかったんです。だから登録者数も伸びない。より幅広い層に正しい医療情報を届けるにはどうしたらいいかを考えて、おふざけ路線も入れるようにしたら登録者数が伸びました。
例えばインフルエンザの検査薬でお馴染みの長い鼻の綿棒は、どう検査すれば痛くないか、あの手この手でふざけながら検証していく動画とか(笑)。
それからうちの子どもたちにも登場してもらって、子どもが調子悪いときの診察、予防接種の反応といったリアルな様子も撮るようになりました。もし患者さんを映すとなると、保護者の同意が必要になってきます。でもわが子なら大丈夫。子どもたちは楽しんで出演してくれています。
お話を聞いたゆび先生こと田本直弘さん。 オンライン取材にて。
──なぜニックネームが「ゆび先生」なのでしょうか。
ゆび先生:「ゆび先生」の由来は、僕の親指が太いからです(笑)。これ、YouTubeのために作ったニックネームではなくて、医師になる前の学生時代からのあだ名なんですよ。どちらかというと指が太いことはコンプレックスだったんですが、覚えてもらいやすいし、みんなからもそう呼ばれていたので動画でも「ゆび先生」にしました。
弟妹も医師…親に 「医者になれ」と言われて育った
──そもそも医師を志したきっかけは?
ゆび先生:きっかけは両親の影響でした。僕の父は歯科医です。じつは父方も母方も歯科医が多い家系なんです。そうなると米子市内に親戚の歯医者さんがたくさん増えてしまって。そんな状況もあって、幼いころから両親には医師になるよう言われて育ち、ずいぶん勉強させられました(笑)。
小学6年生の卒業文集にはすでに「医師になりたい」と書いていました。それから地元の公立中学、県立高校へ進学し、大学は鳥取大学医学部です。僕には弟と妹がいますが、きょうだい3人とも医師です。
でも昔から子どもが好きなので、小学校の先生になりたいと思った時期もありました。子どもたちって、大人に対してタメ口じゃないですか。「これやってー」「あそんでよー」というふうに。上下関係のないフラットな人間関係が僕は好きなんです。だから大学時代のバイトはキャンプのリーダーや家庭教師をやっていました。
“教育パパ”だった自分が変わった理由とは
──子どもたちにも医師になってもらいたいと考えていますか。
ゆび先生:今は医師になってほしいとは思っていません。実は子どもがまだ3人のころ、僕は教育パパで、3人とも全員医師になってもらいたいと考えていました。
熱心に通信教育や将棋を習わせていたこともありましたよ。でも圧をかけてやらせたものって嫌いになっちゃうんですよね。4人目が生まれてからそういう教育はやめました。なぜか今でも上の3人は医師になりたいって言ってくれているようですが。
──子どもが増えていくにつれて、教育への考え方が変わっていったのでしょうか。
4人目の三女(7)が生まれたことで、ガラッと考え方が変わりました。もともと子どもは3人でいいと思っていたんです。僕も妻も3人きょうだいなので。
ところが4人目が生まれて人生設計が崩れました。いろんなことがコントロールできなくなって、「あれ?」ってなったんです(笑)。いい意味で力が抜けたんですね。
それから、こうするべきだという「べき論」から抜け出して、「そもそも論」で考えるようになりました。
そもそも子どもが生まれてきたときって、生まれてきてくれただけでありがたいって思っていたはずなのに、そのうち「こうするべきだ」と子どもにいろいろ求めるようになっていました。
「9時までには寝るべきだ」「ちゃんと靴はそろえるべき」「座ってごはんを食べるべきだ」というように。でも待てよ、と。生まれてきたときのあの気持ちはどこ行ったの? おかしいよね? と自分に問うようになりました。
そのころから妻に対する考え方も変わって、夫婦関係も良くなったんです。妻とは同じ大学の野球部で、卒業後に結婚しました。僕が25歳、妻が23歳のときでした。
結婚生活も長くなると、好きって言わなくなってきますよね。でもそもそも結婚したときの妻への気持ちはどこ行ったの? と、“そもそも論”で考えていくと「好き」という原点に戻るんです。だから今が一番仲いいですね。夫婦げんかもほとんどありません。子どもたちもパパとママは仲がいいって思ってくれています。
その影響か、きょうだいげんかもほとんどありません。1歳と3歳の物の取り合いのけんかはありますよ。でも上の子たちのけんかは見たことがないです。取っ組み合いのけんかはゼロです。
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仲良しなパパとママを見て、のびのび育つゆび家の子どもたち。次回は、4男4女・大家族の家事分担、仲良し家族でいられる秘けつについてインタビューします。
取材・文/大楽眞衣子
※記事内の年齢は2024年11月21日時点のものです