80年代から活躍、山川恵津子の編曲家としてのスタートは?
ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務める「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日~金曜日15時30分~17時)、7月15日の放送に編曲家の山川恵津子が登場した。1980年代から活動し、手がけた曲は1000曲以上。小泉今日子の「100%男女交際」で日本レコード大賞編曲賞の受賞もしている山川が、編曲家としての経歴を振り返った。
長野智子「いま発売されている(音楽雑誌)『レコード・コレクターズ』の8月号で『時代を決定づけたサウンドを分析する』という特集が組まれているんです。3組の特集なんですけど、ポリスと山川恵津子さんとフランク・ザッパ! すばらしいですね」
山川恵津子「最初はインタビュー記事だけだったと思うんです。もう少し特集を組めそうです、と編集の方からご連絡いただいて、でも送られてくるまで中身はわからなかったんですよ。こんなことになっているとは、という(笑)」
長野「そうだったんですね。『多くの名曲をその手腕でさらに輝かせた名編曲家に聞く』というサブタイトルです。きょうは僭越ながら私たちが聞かせていただこうと。今(BGMで)流れているものも山川さんが編曲されていますね」
山川「東北新幹線で『Up and Down』、私の詞・曲……歌もそうですね。鳴海寛とのユニットが東北新幹線で、この曲は1982年のリリースで。自分たちでできることは全部、ということでヤマハの制作の方からお話をいただいて。曲、演奏、アレンジ……できることを全部。初めてのスタジオレコーディングのようなかたちで、こんな大それたことを」
長野「それは思い出深いですね! 当時の山川さんが影響されたアーティスト、ミュージシャンは?」
山川「特にない、というとウソになるんですけど誰かを追いかけた、みたいなことはなかった。でも編曲家にはなりたいと当時から目指していました。作曲でも作詞でもフロントのシンガーでもなく、アレンジャーをしたいと」
長野「この曲は作詞作曲もされているとのことですけど、いまでも全然古くない!」
山川「シティポップという言葉で再評価されていますけど、確かに古くはないですね。当時のものってサウンドもメロディも洋楽の影響をすごく受けていて。どこの国も発展途上だったと思いますけど、日本もフォークからニューミュージックというものに、歌謡曲からポップスに変わっていくときだったと思うんです。実験的な感じがしますよね」
長野「ああ~……! いい時代ですよね。当時を思い起こすと八神純子さん、大橋純子さん、山下達郎さん……、すごく洋楽を吸収された方々が活躍されていましたね」
山川「そういう方々が出始めたころに、私も。少し遅ればせで、ですけど」
長野「今名前を出した方ともご一緒されていたんですよね?」
山川「そうなんです。レコーディングに呼んでいただく機会がありまして。たぶん大瀧詠一さんも山下達郎さんも、売れなかった東北新幹線のアルバムをどこかでいち早く聴かれて、それでお声がけくださったんだと思います」
このあとは山川が大瀧詠一、筒美京平らとのエピソードを語り、リスナーからの編曲に関する質問メールにも回答した。