「パスしたいのは大切にしてきた“マインド” 」|ストリートボールチーム『大阪籠球会』が取り組むバスケを通じた能登半島復興支援
ストリートボールチームとしては珍しい、『パフォーマンスチーム』と3vs3の『プレーヤーチーム』にわかれて活動している『大阪籠球会』。単にバスケットボールをするだけではなく、東日本大震災や能登半島地震の際には現地に赴き、バスケットボール大会を開催するなど、社会貢献活動も積極的に行ってきました。
「継承したいのは“マインド”です。」そう語るのは、来年で20周年を迎える「大阪籠球会」の創設メンバーであるISE(田辺正峰)さん。(以下、ISE)
NBAでの日本人初の前座パフォーマンスや、東日本大震災・能登半島地震における復興支援など、大阪にとどまらず精力的に活動を続けてきた大阪籠球会。ISEさんが20周年のその先に継承したい“マインド“とは?
はじめは文化祭のノリで
ーー来年で結成から20周年を迎える大阪籠球会の結成当初のお話を聞かせてください。
ISE)最初は大きな志を持って始めたわけではなく、文化祭のノリで仲の良いメンバーと一緒にバスケイベントを開いたことがきっかけです。結成が2005年なので、まだSNSもほとんどなかった時代でしたが、友人たちを呼び集めて開催したイベントに、なんと700人も集まりました。
それだけ多くの人が集まると活動も盛り上がり、自分たちも楽しくなってきて、その勢いで活動を続けてきました。こうして、ノリで始めた活動に『大阪籠球会』という名前がつき、メンバーが増えていく中で2015年頃から現在のように『パフォーマンス』と『プレーヤー』を分ける形へと発展しました。
ーーノリを大切にする関西人らしい結成エピソードですね。ISEさんご自身は、結成当初から関わっていらっしゃるのですか?
ISE)そうですね。高校を卒業してから、6年ほどはサラリーマンをしていたのですが、24歳のときに柔道整復師の専門学校に通い始めました。たまたまそのタイミングで大阪籠球会が結成され、それからずっと関わっています。今は、整骨院で働きながら、パフォーマンスチームや全体の運営に携わっているのですが、ほかのメンバーも教師や消防士やサラリーマンなど多彩なメンバーがそろっています。
結成当時の活動の様子
ーーこうした多彩な職業のメンバーが集まると時間を合わせて練習するのは大変そうですね。
ISE)パフォーマンスチームに関しては、普段は集まって活動はしていないのですが、『京都大作戦』などの大きなイベントが近づくと集まって活動をしています。一方で、プレーヤーチームに関しては『SOMECITY』というリーグに所属して優勝を目指しながら活動しているので、最低でも週に1回以上は集まって練習をしています。練習は、夜の10時〜12時くらいにかけて行っているので、なかなかハードですね。
次の日朝から仕事があったり、奈良から大阪まで来たり、それぞれ事情はありますが、大人になると誰かが無理をしないと集まることはできません。それでも、それぞれのメンバーはバスケが大好きですし、試合にはお客さんがお金を払って観に来てくれるので、そこに対する責任や楽しさがあってみんな頑張れるのだと思います。
大阪籠球会のプレイヤーチームのメンバーたち
心が動けば
ーー2018年に日本人初のNBAでのオープニングパフォーマンスを行ったと伺いました。どのような経緯で、このチャンスを手に入れたのですか?
ISE)2016年にシアトルを訪れたことがすべての始まりでした。そのときもパフォーマンスができるかどうか確証がない中で渡米したのですが、思い切って直談判をした結果、なんとNBAのオフシーズンに開催されるサマーリーグの試合前にパフォーマンスの機会を得ることができました。そして、その場で生まれたつながりを大切にしながら「NBAでショーをしたい」という熱い想いを伝え続けた結果、2年後の2018年、ついにNBAでのパフォーマンスが実現しました。
ーーその熱量と行動力がすごいです。
ISE)僕らみたいな無名のチームがNBAでパフォーマンスをしようと思ったら、日本で地道に10年やっても絶対に無理だったと思います。だったら、心が動いて「やりたい」と思ったときに、とりあえずアメリカに行くという行動をするほうが早いです。行かないことには何も始まらないと思います。
これは、僕も大切にしていることですし、大阪籠球会に根付いてる大切な“マインド”です。
ーー実際にNBAの舞台で2018年にパフォーマンスをされた際の気持ちはどうでしたか?
ISE)それはもう嬉しかったです。だって、バスケを始めるきっかけになったNBAの舞台に自分が立っているんですよ!小学生や中学生のころまでは、「NBA選手になりたい」と思っていましたが、高校生や大人になると自分より上手い人をたくさん見て「自分には絶対無理だ」と思ってしまいました。そうして諦めてしまった舞台に、まさか大人になってから立てるとは思っていませんでした。
夢にまで見たNBAコートでのパフォーマンス
ーーNBAのコートから見たまわりの景色はどうでしたか?
ISE)コートからスタンドを見てみると、僕らのサポートをしてくれているアパレルメーカーのAKTRの方や友人の姿が目に入りました。自分がその舞台に立てたことも嬉しかったのですが、それ以上に日本からたくさんの人が応援に来てくれたことが嬉しかったです。
渡米する前には、高校のOB会が壮行会を開いてくれたり、みんなでお金を集めて渡してくれたりもしました。大阪籠球会のスタートの際もそうでしたが、自分たちが「やりたい」と思って行動したことに対して、応援してくれる人たちがいてくれることは本当にありがたいです。
ーー大人になってからNBAの舞台に立つというスポーツの夢を叶えたわけですね。部活動を引退した瞬間にスポーツとの関わりを絶ってしまうことが多い日本において、大阪籠球会のような存在はとても貴重だと思います。
ISE)そうですね。日本の部活動はどうしてもかしこまり過ぎていて、スポーツをライフスタイルに落とし込んでいくことができていないと思います。さらに、大人になると自分でスポーツができる場所を見つけて、チームや人を探さないといけません。そうなると、大人になってからスポーツをするハードルはどうしても高くなってしまいます。
そういう意味では、大阪籠球会のようにスポーツをライフスタイルに取り入れて、大人になっても本気でバスケを楽しんでいる姿を発信していくことは価値があると思っています。
バスケを通じた能登半島復興支援
ーー石川県能登半島地震に対する復興支援の活動についてのお話を伺いたいです。
ISE)2024年の4月と6月に能登を訪れました。実は、飲食店を営むメンバーの一人は、地震が起きてから2〜3日後にはすでに能登に向かっていました。そのメンバーから現地の状況を聞いているうちに、「チームとしても何か行動しないといけない」と感じ、能登半島の珠洲市で活動しているミニバスの方々と連絡を取り始めました。
2011年の東日本大震災のときに、同じような支援活動をしていたことが今回とても役に立ちましたね。ただ今回の能登半島地震では、自分たちで手ぬぐいを作り、それを売った売り上げでボールとゴールを購入するという形で支援活動をしていました。
ーー大阪籠球会らしい復興支援ですよね。
ISE)そうですね。正直、僕らは有名でもないし、お金をたくさん集められるわけでもありません。よくあるフレーズかもしれないですけど「できる人ができることをやる」ことがすごく大事だと思うんですよ。自分たちは、パフォーマンスが武器なので、現地でパフォーマンスをして、子どもたちと直接しゃべる。
ただ物を送るだけよりも絶対にそのほうが子どもたちは喜んでくれます。ボールやゴールを送るだけの支援だと、「そもそも誰が送ってくれたの?」ってなってしまうので。
先ほどのNBAの話とも同じですが、「現地に行く」ということは、チームとして大切にしていることなので、東日本や能登に直接行くことは、僕たちにとってある意味で自然な流れでした。
能登の子どもたちと現地で触れ合いました
若手に継承したかったのは“マインド”
ーー能登半島で活動をされて、子どもたちの反応はどうでしたか?
ISE)これはどこに行っても同じなのですが、どれだけ大変な状況であっても、子どもたちは元気なんですよね。でも、被災地では最初に体育館が避難所になってしまいます。体育館は、本来子どもたちが好きなことに夢中になって身体を動かせるはずの場所です。小中学生のときに好きになったものを奪われることは、子どもにとって非常に大きなストレスになります。
そういった状況で僕らが現地に行って、バスケのゴールとボールを届けて、バスケが大好きな子どもたちに元気にバスケを楽しんでもらう。一時的でも、こうして楽しい時間を作ることが大切だと思っています。子どもが元気にしていると、保護者はうれしいですし、家に帰って話のネタがあるだけでも気持ちは変わってくると思います。
僕らは“きっかけづくり”みたいな感じで小さいことかもしれないけど、できることはやろうという想いでこれまでも活動をしています。
ーーこの活動を通してチーム内での変化はありましたか?
ISE)既存のメンバーは、今まで経験してきたことなのでこういう活動の目的や効果は理解をしています。しかし、新しく入ってきたメンバーにとっては初めての活動です。『京都大作戦』や『SOMECITY』などの人前に出る表の活動に関してはこれまでに共有できていましたが、今回の能登半島の復興支援のような活動に関しては、若手と共有できていませんでした。
チームに入るときに「うちはバスケだけをやるチームじゃないよ。」ということは伝えていたものの、実際には経験していなかったので戸惑う若手もいましたね。だから今回は多少無理をしてでも、復興支援に来てほしいということを若手には伝えて現地に来てもらいました。
若手メンバーには活動を通じてマインドを伝えていきます
ーー若手のメンバーにこの活動を共有したかった理由を教えてください。
ISE)「何か起きたときに、すぐに現地に行ってできることをする」という“マインド”を継承しておきたかったんですよね。この先、30年以内に南海トラフの地震が起きる可能性などが出ています。例えば、20年後に起きたときに僕らは今のようには身体的な理由で動くことができません。しかし、今回能登に一緒に行ったメンバーのRIKUは現在26歳で、20年後にちょうど僕と同じ年くらいになります。そのときに、今回この経験をしているからできることをやっていると思います。
これを口だけでどれだけ伝えていても、なかなか伝わらないと思います。それこそ100回言うより、1回行ったほうが早いと思うので。そして、“マインド”さえ継承できていれば、自分たちがいなくなっても活動は継続・発展していくと思います。そういう意味で、今回若手のメンバーと活動を一緒にできたことはとても大きな財産です。
20周年のその先へ
ーー来年で結成から20年を迎える大阪籠球会ですが、今後実施していきたい活動などはありますか?
ISE)まずは、20周年に企画しているイベントを成功させたいです。しかし、何をもって“成功”とするのかが大切だと思います。ただ多くの人が集まるだけのイベントだともったいないので、この20周年をきっかけに新たな繋がりができるようなイベントにしていきたいですね。まだ構想段階ですが、籠球会のメンバーがやっているスクールの選手たちと今回訪問した能登のミニバスのチームや2011年に訪問した東北のチームが大阪に集まって、対戦したり交流したりできると面白いなと思っています。
自分たちだけが楽しむだけのイベントではなくて、僕らを使っていろいろなことが生まれていくようなイベントにしたいです。いつどこで災害が起こるかも分からない状況なので、20周年イベントに参加してくれた人たちが、「大阪籠球会みたいに、自分にできることをバスケを通じてやってみようかな」と思ってくれたら最高です。
先ほどの若手への「マインドの継承」のように、大阪籠球会以外の人に対しても、大阪籠球会が誰かのために行動を起こす勇気を生むきっかけになれると、とても嬉しいです。
ーー結成当初は「自分たちが楽しむため」に始めた活動が、20年を経た今、楽しむことに加えて「誰かのために行動し続ける」チームとなり、これからも成長しながら歩んでいく 。そんな大阪籠球会の歴史を感じることができました。本当にありがとうございました。
写真提供:大阪籠球会