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能登輪島 炊き出し:被災者の体と心を温めた、地元有志の奮闘――試し読み【新プロジェクトX 挑戦者たち】

NHK出版デジタルマガジン

能登輪島 炊き出し:被災者の体と心を温めた、地元有志の奮闘――試し読み【新プロジェクトX 挑戦者たち】

 情熱と勇気をまっすぐに届ける群像ドキュメンタリー番組、NHK「新プロジェクトX 挑戦者たち」。放送後に出版された書籍版は、思わず胸が熱くなる、読みごたえ十分のノンフィクションです。本記事では、書籍版より各エピソードの冒頭を特別公開します。ここに登場するのは、ひょっとすると通勤電車であなたの隣に座っているかもしれない、無名のヒーロー&ヒロインたちの物語――。『新プロジェクトX 挑戦者たち 5』より、第三章「能登輪島 炊き出し10万食――地震と豪雨 地元を支えた食の力」の冒頭を特別公開。

能登輪島 炊き出し10万食――地震と豪雨 地元を支えた食の力

手探りのスタート

元日の能登を襲った大地震

 2024年元日の午後4時10分、石川県能登地方が大きく揺れた。震源の深さ16キロメートル、マグニチュード7・6(暫定値)の「令和6年能登半島地震」である。輪島市と志賀町で最大震度7を記録したほか、能登地方の広い地域で震度6以上を計測した。
 被害は甚大だった。消防庁の発表(2025年1月28日時点、2024年6月3日の余震による被害を含む)によると、この地震で亡くなった人の数は515人(うち災害関連死287人)。輪島市では、現在も2人が行方不明だ。
 住家は6461棟が全壊、2万3336棟が半壊。浸水や一部破損まで含めれば、数えきれないほどの被害が出た。また、最大約4万4000戸で停電、最大約13万5000戸の断水が発生するなど、ライフラインも大きな被害を受ける。
 能登の地理的条件が、救助活動や復旧を難しくしていた。半島という地形的制約に加え、丘陵が多く平野が少ないことも手伝って、能登地方の道路ネットワークはもともと限られている。そこに地震による道路の寸断が重なって、能登は「陸の孤島」と化してしまったのだ。
 とりわけ能登半島の大動脈ともいえる国道249号の寸断は、救出作業や救援物資の輸送に大きな影響を与えた。避難所の人々は寒さと空腹に苦しみ、SNSでは、「水や食料が底をついた」という被災地の声が溢れていた。
 この状況に黙っていられず、立ち上がった者たちがいた。自身も被災し大きな被害を受けた、地元住民たちである。料理人とその仲間たちを中心とするグループは、実にのべ10万食におよぶ炊き出しを作り続け、被災者たちの体と心を温めた。
 これは、突然日常を奪われたなかで、即断で行動した人々の「勇気」と「結束」の物語である。

避難所での一幕

 日本海に面した石川県輪島市は、春の曳山祭や夏の輪島大祭などの祭りが多く、地域のつながりが深い。住民たちはさまざまな集まりに参加しては、一緒にご飯を食べるなどして親交を深めた。
 輪島の中心部にある重蔵神社は、1300年の歴史を誇る奥能登の古社である。輪島の守り神「重蔵さん」として、地元の信仰を集めてきた。朝市発祥の地、輪島のキリコ祭りの中心地としても知られる。
 2024年の元日、神社には初詣の人々が集まっていた。21代目にあたる禰宜の能門亜由子は、その日の穏やかな陽気をよく覚えていた。
「すごくあったかくて、例年にないぐらい気候がよかったです。関東のお正月かなと思うくらいで、『今年はいい年になりそうだね』とみんなで言っていました」
 ところが、午後4時10分に様子は一変する。観測史上では7回目となる震度7の激しい揺れが、輪島を襲ったのだ。重蔵神社は拝殿や社務所などが全壊し、本殿も半壊の被害を受けた。鳥居は2007年の能登半島地震で倒壊し、2020年の再建時に震度7の地震でも倒れない耐震化を施していたが、土台が地盤からはがれて倒壊してしまう。
「建物が古かったので、最初に震度5強の地震が起きたタイミングで、職員や参拝者の方を建物の外に避難させました。それからすぐに震度7の地震が来て、もう立っていられない感じでした。蛇かナマズがいるんじゃないかというくらいに地面が波打っていて、四つん這ば いになっていました。振動で砂煙が立ち上がるなか、目の前の建物が、パタパタと紙のように倒れていきました」
 気がついたときには、津波警報のサイレンが鳴り響いていた。みなが声をかけ合いながら、高台へと避難する。能門も母を連れて高台へと向かった。足が悪い母は「もうここで置いてって」と弱音を口にしたが、郵便局の車に乗せてもらって高台まで避難した。
 一帯の人々の避難所となったのは、市立輪島中学校。能門は毛布とお茶を1本もらい、気温4℃の寒さの中で一晩を過ごした。
「みなさん、着の身着のままで来た感じでした。昼間はとても暖かかったですし、私も初詣の装束姿のまま来たので、夜はとにかく寒かったです」
 能門が身を寄せた輪島中学校では、市役所の職員がゴミ袋にハサミを入れて首と腕を通す穴を作り、寒さをしのぐための上着代わりとして配っていた。その光景を思い出すだけで、能門は涙が出てきてしまう。
「ゴミ袋を何百枚も切って、お年寄りを見つけると、寒いんで着てくださいって駆け寄っていました。その様子を見て、これはもう自分たちでできる人がやらないと誰も助けに来てくれなそうだと判断しました」
 この日、輪島に住む誰もが、不安のうちに一夜を過ごした。

地震から一夜明けて

 震災当日の夜、街のほうからあがった火の手が次第に大きくなっていた。その火は、輪島の象徴とも言える「輪島朝市」の街並みへと広がった。
 能登の象徴を守るべく、消火隊が懸命に消火活動を行った。だが、地震による断水で消火栓が使用できないばかりか、近くの川の水位も極端に下がっていて取水できない。また、道路の寸断によって、近隣の消防隊も駆けつけられなかった。数々の悪条件が重なって、約300棟、およそ5万平方メートルが焼損した。
 輪島朝市が火の海になっている光景に、避難所にいた能門はショックを受けた。
「500メートルぐらい先が火の海で、水がないから消火できないというのを聞いて、重蔵神社も火の海になるのではないかと覚悟しました。朝までに消火できなければ、輪島という街が丸々無くなってしまうのではないか。そんな悲しみを覚えました」
 一夜明け、津波注意報が解除されたので能門は神社に戻った。神社には奉納された米が大量にあったので、「おにぎりぐらいは作れるのでは」と思いたち、親戚の子と一緒にバールで壁を壊し、そこから取れる分だけの米を取った。
 幸いにして神社脇の居住スペースは電気が通じていたので、炊飯器を使うことはできる。能門は、近所の女性たちと一緒になっておにぎりを作り、配れるだけ配った。近所のガス販売店や飲食店の協力も得ながら、能門はひたすらおにぎりを作り続けた。
「被災して大変な状況でもお腹は減りますから、元気になるには、やはり食べるのが大事だなと思いました。少しずつ近所の人や地域の人が集まってきて、だんだんとそれが大きくなっていきました」
 被災者たちは、能門たちが作ったおにぎりをおいしそうに頰張った。絶望に暮れていた輪島の人々の顔に、少しだけ笑顔が戻った瞬間だった。

本格プロジェクト始動

能登に魅せられたフレンチシェフ

 住民たちによる自発的な炊き出しの動きは、別の場所でも起こっていた。その中の1人に、フレンチシェフの池端隼也がいた。
 池端は1979年、輪島市の生まれ。料理を作って人を喜ばせたいという思いから、高校卒業後は大阪の辻調理師専門学校で学んだ。その後、大阪のフレンチの名店で5年ほど修業すると、フランスへと渡り、ブルゴーニュの星付きレストランなどで研鑽を積んだ。
 帰国後は大阪で店を開くつもりだった。しかし、あるとき輪島に帰省した池端は、能登の食材の素晴らしさを実感する。能登半島は海の幸や山の幸が豊富で、能登牛や能登米、メバル、ブリ、サザエ、アワビ、甘エビ、山菜、地酒など、この土地の名物を挙げるときりがない。
「食材もそうだけど、輪島には伝統工芸があって文化も深く、土地のスペックが高いと感じていました。世界中から人を集めているレストランの場所と比べても、輪島のほうが素晴らしいなと思い、お店を出すことにしました」
 2014年、池端は輪島でフレンチレストラン「ラトリエ・ドゥ・ノト」を開く。店は輪島塗の塗師屋の工房をリフォームした日本家屋で、築年数は約100年。奥には蔵も併設されていた。
「輪島では、フレンチはそんなになじみがあるわけではありません。だから最初は、『あの店はつぶれるだろう』という噂もありました。だけど少しずつ口コミが広がり、地元の方だけではなく、海外の方を含め観光客が来るようになっていました」
 2021年、池端の店はグルメガイト「ミシュラン北陸特別版」で1つ星を獲得。やりたいことが次々と出てきて、「これからが勝負だな」と考えていた。その矢先、震度7の地震に見舞われた。
「その日はスタッフと一緒に、車で気多大社(石川県羽咋市)に行っていました。初詣を終え、輪島に帰る最中に地震に遭いました。目の前で道がバキバキと割れ始め、山が揺れているのを見て、これはただ事ではないと感じました」
 とても輪島に戻れる状況ではなく、池端たちは穴水町の消防署で一晩を過ごした。消防署には、同じように自宅に帰れなくなった住民たちが集まっていた。停電のため暖をとることができず、みなが凍えるような思いをしていた。池端は電気自動車に乗っていたので、消防署からケトルを借りてお湯を沸かし、備蓄されていたカップ麺にお湯を注いで、避難していた人たちに配って回った。
 次の日、池端たちは通常なら30~40分で帰れる道を、3時間かけて輪島に戻った。市内に入って目に飛び込んだのは、火災や倒壊でぐちゃぐちゃになった街並みだった。幸い自宅と家族は無事だったが、築100年の店は大きく損壊。正面は何とか原形をとどめていたが、中はつぶれていた。
 池端は、ただただ悔しさを嚙みしめた。

炊き出しの始まり

「大晦日に営業を終えて、掃除を済ませたときの頭の中でいるから、ただただ呆然とするばかりでした。でも一番つらかったのは、生産者のみなさんや能登の自然もやられてしまったことです。ここにお店を開こうと思ったのも、山や自然、生産者の方々など、この土地のすべてが素晴らしいと感じたからです。だからこそ、悔しいという気持ちが湧いてきたのかなと思います」
 悲嘆にくれる池端の目に飛び込んだのは、営業のために仕入れていた食材。いずれも生産者が手塩にかけて育て、大切に届けてくれたものだった。池端はすぐに決断した。
「この食材で、炊き出しをしよう」
料理人の自分が今やるべきことは何か――そう自分に問うたとき、真っ先に浮かんだのが炊き出しだった。いつまでもぐずぐずしていられない。被災者たちに温かい食事を提供しよう。変わり果ててしまった店内で、池端はすぐに動き始めた。
 正月から営業する予定だったので、店内に食材がたくさんあった。使えそうな調理器具を片っ端から引っ張り出し、ガスとカセットコンロを用意すると、近所の料理人に声をかけた。近くで料亭「のと吉」を営んでいた坂口竜吉、イタリア料理店「オリゾンテ」のシェフである惣領泰久。近くの駐車場に集まり、最初の炊き出しを始めた。
「多くの家が倒壊し、あいている店もほとんどなかったので、市民のほとんどが食事も満足にできない状況でした。そうしたなかで、『自分ができることはこれしかない』という思いで、スープを作り続けました。水がなかったので、備蓄していた炭酸水も使いましたし、クランベリージュースやコーラも入れるなど、色々と工夫しながら作りました。外部から食材が供給されるまでは、近くで飲食店を営む方々が食材を届けてくれました」
 池端らが作ったスープは、寒さと空腹に打ちひしがれる被災者に安らぎを与えた。近くの小学校で配ると、「この2日間、何も食べていなかった」という人から、ほっとした声がもれた。翌日も、別の中学校でスープを配り続けた。中には「本当にありがとう」と涙を流しながら喜ぶ人もいた。
「しばらくはこれをやっていこう」
 池端はそう心に決めた。今はお店のことをどうこう考えるのではなく、目の前で困っている人を助けたい。車中泊をしながら、池端は青空の下のキッチンに立ち続けた。

心を支えたスープ

 池端が炊き出しをしていると、そこに知り合いが偶然通りかかった。父親とともに鮮魚店を営む中小路武士だった。
 中小路にとって、魚は生まれたときから身近な存在。子どもの頃から御用聞きの手伝いをして、高校卒業後は金沢の市場で働いた。その後、輪島に戻り、水揚げされた魚を地元の飲食店やホテルなどに卸してきた。新型コロナウイルス感染症で打撃を受けたが、それを乗り越えて、ようやく少しずつ商売ができるようになった矢先の地震だった。
「その日は娘と2人で家にいましたが、強い揺れが収まるのを待って高台に避難しました。店の様子を見るために戻ってきたとき、中に置いていたものが全部散らばっていて、魚やカニがいた水槽も水もれしており、どうすることもできませんでした」
 店をどうするか考える余裕はなかった。お客さんや家族の安否を自分の目で見ないと気が済まない。泣きながら自転車をこいで街中をまわった中小路は、変わり果てた輪島の姿に言葉を失った。
「1日の夜から、お客さんのお店や焼失した朝市などを見て回りました。困っている人が何人もいたので、見かけたら助けていました」
 中小路が池端たちの炊き出し現場を通りかかったのも、自転車で街を見回っているときだった。池端に「一緒にせんか?」と声をかけられ、「自分も何か人のためになることをやりたい」と二つ返事で引き受けたという。
 最初は野菜を切る作業から始めた。ガス販売店でプロパンガスを確保し、温かいスープを作った。炊き出しの活動に参加していると、塞いでいた気持ちが少し楽になった。
「あそこで炊き出しに参加していなかったら、自分は駄目になっていたかもしれません。やりたいことも見つからず、この先何をして生きていけばいいのかも考えられない状態でした」
 池端らの炊き出しチームは、みなが地震で被害を受けていた。正月用の鴨肉を手に炊き出しに加わった「のと吉」の坂口竜吉。街の中心部の大規模火災で伯父を亡くし、自身も梁の直撃を受けて腰を骨折していた。オリーブオイルを持って駆けつけた惣領泰久。自宅を兼ねた店舗が地盤隆起で傾き、全壊認定を受けていた。
 みなが散々な状況のなかで、必死になって炊き出しを続けた。炊き出しの活動は、料理を食べる人だけではなく、池端たち作る側の心の支えにもなっていた。

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