いま40代50代のおじさんは2000年代の出来事をあまり覚えてないらしい【つるんとした2000年代論】
マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオが語り合う番組。
11月16日(第602回)の放送は「つるんとした2000年代論」をお送りしました。
タツオ:2000年くらいからだいぶ記憶がぼんやりしていると思うんです。お二人は1970年生まれですから、70年代、80年代、90年代の記憶はわりとはっきりしているほうだと思うんです。
鹿島:80年代が10代で、90年代が20代でわかりやすいですから。
マキタ:我々はね。
鹿島:だからすぐに言えますけど、たしかに2000年代以降はつるんとしています。
タツオ:つるんとしている?(笑)
鹿島:よく覚えてないな。
マキタ:俺は個人史は覚えてるよ。
タツオ:2000年から2010年くらいの忘れそうなことを教えてほしいなと思って。
マキタ:社会的な事象のことですか?
タツオ:個人的なことでもいいですよ。忘れられないこと。
マキタ:俺は2000年は30歳ですよ。その2年後の2002年には人の子の親ですからね。そんなの俺らの周りだと、俺だけですよ。
タツオ:芸人仲間ではそうだね。
マキタ:俺らの仲間ではね。だから、「俺は全然違うところに行ったな」と自分でも思いました。あと親も2010年までの間に亡くなっています。自分の実の母親と、義理の父親も亡くなっているんです。で、俺のその時期はもっとも仕事がなくて、自分でライブハウスを巡ったり、CD作ったり、それを売り歩くためのツアーをやったり、イベントを開催してフェス的なものをやり始めたり。事務所にも一応所属したんです、2002年くらいから。だけど、自分でそういうことをやらなくちゃいけないっていうことで、今から振り返ると暗黒期です。なにも仕事がないから。だけど、めちゃくちゃ充実しているという変な実感があった。
タツオ:30代の10年間が。
マキタ:やることが結構あった。タツオ、夢しかなかった。
タツオ:アハハハハッ!
鹿島:夢とパンをかじって。
マキタ:いや、俺はパンは食べないんだよ(笑)でも、俺は2010年から売れ始めるんですよ。「あっ、風向きが変わり始めたな」って。
鹿島:列車が止まってね。
マキタ:苦役だったからね。
タツオ:『苦役列車』は2010年?
マキタ:違います、あれは2011年です。
鹿島:その前の年だったか。
マキタ:俺は2010年あたりからだんだん仕事が上り調子になってきているんです。だから、2000年からの区切りの10年というのは最悪な時期からだんだん上り始めたくらいのことを体験しているという実感もありますね。
(TBSラジオ『東京ポッド許可局』より抜粋)