岩崎宏美「聖母たちのララバイ」7年1か月に及ぶ “火曜サスペンス劇場” との黄金時代
2時間ドラマの誕生と「火サス」の独自性
1977年7月、テレビ朝日は土曜のプライムタイムに、新たな試みとして『土曜ワイド劇場』をスタートさせた。それは、映画と同じ約2時間の尺を持つ単発ドラマを毎週放送する枠だった。 当初はジャンルが固定されていなかったが、次第にミステリーやサスペンスが主軸となり、「西村京太郎トラベルミステリー」「江戸川乱歩の美女シリーズ」「女弁護士 朝吹里矢子」「三毛猫ホームズシリーズ」などのシリーズ作品が生まれていった。
『土曜ワイド劇場』の成功を受け、1980年には日本テレビが『木曜ゴールデンドラマ』、1981年には『火曜サスペンス劇場』と2つの2時間ドラマ枠を作った。さらに1982年には、TBSが『土曜ワイド劇場』と同時間帯にぶつけるかたちで『ザ・サスペンス』をスタートさせた。その後、フジテレビも参入し、2時間ドラマは供給過多の時代を迎えることになった。最盛期は、1989年10月から1991年3月にかけてで、この時期には最大8枠の2時間ドラマの放送枠が存在していた。そこまでいくと、それぞれの枠がオリジナリティをアピールすることが困難になっていた。そんななかで、当初より際立った独自性を誇っていたのが『火曜サスペンス劇場』… いわゆる “火サス” である。
火サスは当初より主に3つの特徴を打ち出し、他の2時間ドラマと差異化を図っていた。第1の特徴は、人間ドラマに重点を置いた制作方針だった。ミステリーのスリルや謎解きの面白さに依存するのではなく、登場人物の葛藤や心理描写を深く掘り下げたストーリーが展開された。
第2の特徴は、オープニングの立体的な番組ロゴが動くアニメーションと、インストゥルメンタルの曲だ。当初「夢のセレナーデ〜ミッドナイト・クライシス」という曲が使用されていたが、1983年5月より「火曜サスペンス劇場 フラッシュバックテーマ」に変更された。2時間ドラマのパロディなどで頻繁に引用される不穏な雰囲気を醸し出す曲は後者である。また、これらの曲はCM前後のアイキャッチとしても使用され、一部のメロディが流れることで、視聴者に強い印象を残した。
ラストシーンで流れる「聖母たちのララバイ」
そして、火サスの第3の特徴が、テーマ曲(番組上の呼称)として毎週同じボーカル入りの楽曲を使用したことだ。これは新しかった。テーマ曲はオープニングでごく一部が、そしてエンディングではたっぷりと流された。2時間ドラマは、毎回キャストや物語が変わるが、番組最後に同じ楽曲を印象的に流すことで全体に統一感をもたらした。結果、視聴者はどの作品を見ても火サスを強く意識するようになり、枠としてのブランドが定着していった。
当時、先発の2時間ドラマではエンディングでボーカル入りの曲が流れることはなく、オリジナルの劇伴が使用されていた。また、通常の1時間枠の連続ドラマではラストに “終” “つづく” といった文字が表示され、その後に画面が切り替わって曲が流れるのが一般的だった。しかし、火サスは、ラストシーンの芝居が続いている状態で曲を流し始め、そこにスタッフロールが流れていくスタイルを採用した。今でこそ一般的になったが、これは火サスが広めたスタイルである。そしてそのテーマ曲として用意されたのが、岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」だった。
新たなテレビドラマのスタイルを演出した岩崎宏美が歌う火サス主題歌
ここからは「聖母たちのララバイ」から始まる岩崎宏美の火サス歴代主題歌を振り返ってみたい。
【1981年9月29日〜1983年4月26日】
「聖母たちのララバイ」
作詞:山川啓介 / 作曲:木森敏之・John Scott / 編曲:木森敏之
火サスが始まった1981年秋、デビュー6年目の岩崎宏美は22歳を迎えていた。今日、22歳といえば現役バリバリのアイドルの年齢だが、22歳の岩崎宏美は “脱アイドル” を意識し、大人のポップスシンガーとしての路線を歩んでいた。火サスの制作者サイドは、そんな彼女にテーマ曲を歌う歌手として白羽の矢を立てた。
とはいえ、後のテレビ界でよくあったタイアップとは事情が異なっていた。「聖母たちのララバイ」は岩崎宏美のシングル曲として企画されたものではなく、ドラマオリジナルのテーマ曲として制作されていた。したがって、当初はフルコーラスでの構成ではなく、レコード化も予定されていなかったとされる。しかし、反響が大きかったことから、フルコーラスにブローアップされ、シングルとしてリリースが決定した経緯がある。
この曲は、傷ついた人を包み込むような母性的な愛と、人生という旅における癒しを歌っている。火サスのテーマ曲として、事件や悲劇に巻き込まれた者や、やむなく罪を犯した登場人物の哀しみや苦しみに寄り添うような曲として印象を残した。
「聖母たちのララバイ」は発売2週目にしてオリコンの週間シングルチャートで1位を獲得。オリコン集計で80万枚を超える大ヒットを記録し、1982年のオリコン年間シングルチャートでは3位にランクイン。さらに、『第13回日本歌謡大賞』を受賞。岩崎宏美は年末の『第33回NHK紅白歌合戦』では、紅組のポップス歌手として最後に登場し、「聖母たちのララバイ」を歌い上げた。
前作のイメージを踏襲し連続ヒットを記録した「家路」
【1983年5月3日〜1984年6月26日】
「家路」
作詞:山川啓介 / 作曲・編曲:木森敏之
「聖母たちのララバイ」のヒットが追い風となり、火サスは安定した視聴率を維持していく。その躍進に岩崎宏美の存在は不可欠であり、1983年5月にはテーマ曲が一新されたが、またも岩崎宏美の曲が起用された。テーマ曲第2弾として、前作と同じ作家陣による続編的なイメージの「家路」である。この曲は「聖母たちのララバイ」よりもテンポが速いが、物語性を感じさせるメロディが印象的なバラードだ。しっとりとしたオーケストレーションに、岩崎宏美の力強くも繊細な歌唱が際立っている。火サスとの相性も抜群で、事件や人間ドラマの余韻を引き立てる役割を果たした。「家路」はオリコン週間シングルチャートで4位を記録し、『第25回日本レコード大賞』で金賞を受賞している。
いくつかのフックが仕掛けられた第3弾「橋」
【1984年7月3日〜1985年6月25日】
「橋」
作詞:山川啓介 / 作曲・編曲:木森敏之
1984年7月からは岩崎宏美の「橋」が新しいテーマ曲となった。過去の2曲と同様に人生や愛、別れといった普遍的なテーマを扱いながらも、よりダイナミックな構成が特徴的な楽曲となっている。また、大胆な転調やサビの高音パートなど、いくつかフックが用意されており、ドラマチックな展開と相まって聴く者の感情を揺さぶった。岩崎宏美は「橋」リリース後にデビュー時から所属していたプロダクションから独立するが、火サスは引き続き彼女の曲を起用し続けた。
都会的なムードで火サスを演出した「25時の愛の歌」
【1985年7月2日〜1986年9月30日】
「25時の愛の歌」
作詞:山川啓介 / 作曲・編曲:木森敏之
第4弾テーマ曲の「25時の愛の歌」は、これまでと同じ作家陣によるものだが、過去3曲よりも都会的な雰囲気をまとった楽曲に仕上がった。歌詞では、“25時" という時間が象徴する深夜の孤独や切なさが描かれ、都会の片隅で生きる人々の心情を繊細に綴っている。アレンジも華やかで、シンセサイザーを駆使した響きが特徴的であり、夜の街を思わせるムードが漂う。
本作は当時流行っていた12インチシングルとしてリリースされ、「聖母たちのララバイ」「家路」「橋」など、過去の火サステーマ曲も収録された。これにより、シリーズを通じた楽曲の変遷を楽しめるコレクション性の高い作品となっている。
新たな作家陣による新たな火サスの世界 「夜のてのひら」
【1986年10月7日〜1987年11月24日】
「夜のてのひら」
作詞:来生えつこ / 作曲:筒美京平 / 編曲:武部聡志
5曲目となるテーマ曲では、作家陣が変更となった。作詞は繊細な心理描写に定評のある来生えつこ、作曲はヒットメーカー筒美京平、編曲は当時新進気鋭だった武部聡志が担当している。斉藤由貴の楽曲などで注目を集めていた武部によるアレンジは、シンセサイザーを効果的に活用した洗練されたサウンドが特徴的で、これまでの火サステーマ曲の流れとは一線を画している。
歌詞では、夜に揺れ動く女性の心情が描かれ、愛の儚さや孤独感が繊細に表現されている。メロディは抑揚がありながらも流麗で、AOR的な雰囲気もある。それでいて、火サスの世界とも親和性が高く、事件の余韻や登場人物の心情をより深く印象付ける楽曲として機能した。
5年のブランクを経て岩崎宏美が火サスに復帰した「愛という名の勇気」
【1992年10月13日〜1993年9月28日】
「愛という名の勇気」
作詞:大津あきら / 作曲:安部恭弘 / 編曲:萩田光雄
1987年11月をもって、岩崎宏美の楽曲は火サスのテーマ曲から外れ、その後の約5年間は杉山清貴、柏原芳恵、竹内まりや、真璃子がバトンを引き継いだ。そして、1992年10月、火サスに約5年ぶりに岩崎宏美の楽曲が復帰した。
岩崎宏美は1988年に結婚し、芸名を一時的に “益田宏美” と改めた。「愛という名の勇気」はその名義でのシングルとしてリリースされた。火サスサウンドを意識したアレンジが施され、歌詞では “愛" というテーマを軸に、人と人との絆や支え合うことの大切さが描かれている。岩崎宏美の持つ包容力のある歌声は、ここでも人間ドラマを重視した火サスのストーリーと調和した。
火サスと岩崎宏美の7年1か月の歴史
最後に改めて、火サスのテーマ曲として採用された岩崎宏美の楽曲を整理する。
①「聖母たちのララバイ」575日
②「家路」421日
③「橋」358日
④「25時の愛の歌」456日
⑤「夜のてのひら」414日
⑥「愛という名の勇気」351日
合算すると2,575日、約7年1か月に及ぶ。 この間、火サスからは緒形拳主演「名無しの探偵シリーズ」、桃井かおり主演「女検事・霞夕子シリーズ」、真野あづさ主演「弁護士・高林鮎子シリーズ」、浜木綿子主演「監察医・室生亜季子」、「六月の花嫁」などの人気シリーズが生まれていった。こうしたシリーズ作品の強化が火サスの新たな独自性となっていった。
岩崎宏美の楽曲は番組のイメージを決定づける大きな役割を果たした。そして、その影響は火サスだけにとどまらなかった。他局の2時間ドラマも火サスを模倣し、ボーカル入りの曲をエンディングで使用する形式が定着したのである。一方で火サスはその後も2時間ドラマ戦争に勝ち残り、2005年9月まで長く放送が続くことになる。そして、今もCSやBSなどでエンドレスに再放送が繰り返されている。
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