沖縄ステーキの定番 ”A1ソース”実はイギリス産!そして悲報…沖縄では販売休止に!!?ステーキと60年を振り返る
沖縄のステーキと共に長く愛された、あのA1ソースが販売休止に。その理由と惜しむ人たちの声を取材した。
イギリスで誕生 国王からA1の称号
男性客 「相変わらず酸っぱい。これがおいしいんだよ」 女性客 「家にはあります。絶対あります」 男性客 「やっぱりこれが無いと物足りない」
酸っぱくて濃厚、独特のその味わいが沖縄県民に親しまれてきたA1ソース。200年前にイギリスで誕生し、国王から最高級を意味する「A1」の称号が与えられた。
沖縄県内では年間14万本売れるほど人気だが、今回ある問題が浮上した。
2024年10月10日、販売休止の影響で残り少なくなった商品を買い求める人たちの姿があった。
女性客 「お肉を焼いたら必ず使うので無いと困ります。沖縄ではあるものって感じなので」 男性客 「これしか使ってなかったので。小さいときから使っているから、無くなるのは悲しいな」
フレッシュプラザ ユニオン 赤嶺店 大浜永慎 店長 「昨日20ケース入荷して、現在7ケース。ケースで購入される方もいます。県民の皆さまが愛したソースでもあるので、早めの輸入再開を望んでいます」
販売休止の理由は?
30年間、沖縄県内で唯一輸入しているのが湧川商会である。 湧川商会 仲松義光さん 「ステーキにかけるときは、サラッとじゃなくてポトポト落ちるじゃないですか。それがどういう原因か分からないいですけど調べた結果、増粘剤が溶けてしまっている。それで水みたいな感じで、ちょっと傾けただけで、どばっと出る状態」
見た目が通常品と違うという声がいくつかあったため、A1ソースの出荷元のイギリスのメーカーと協議した結果、原因がはっきりしないことには出荷を止めますとなり、やむなく休売となった。
原因不明の粘度の低下。販売再開の目途は立っていない。
A1ソースが広まった背景は
今でこそ沖縄県民のおなじみの味となったA1ソースだが、そのきっかけはアメリカ統治下の沖縄にあった。 徳富清次さん 「キャラウェイ高等弁務官の時にAサイン制度ができました」
1950年代にコザで開店したニューヨークレストランを継ぎ、沖縄ステーキ文化の礎を築いた徳富清次さん。
徳富清次さん 「給料日の1日と15日、金と土曜日はとっても忙しい。Aサインバーは朝8時オープンです。オープンしたらレストランはいっぱい飲んで騒いで。ステーキにA1ソースは必ずあった。もうたっぷりかけて食べる(米兵)もいたよ」 アメリカのステーキ店などにはA1ソースが置かれている。
徳富清次さん 「アメリカ人が食べるものはみんな上等なんですよ。アメリカのステーキにA1ソースをかけたらおいしんだよって話して、そういう形で普及したんだと思うよ」
本土復帰の頃にはステーキ店の創業が相次ぎ、沖縄県民も気軽にステーキを食べるようになった。 徳富清次さん 「こどもの日だとか母の日になるとね、家族でステーキを食べに来ました。親がA1ソースをかけると『お父さん、私にもかけてちょうだい』って、食べていましたよ。家族でおいしく食べてくれたらね、こんなにうれしいことはないですよ」 ステーキと共に愛されて60年。徳富さんにはある想いがある。 徳富清次さん 「A1ソースを輸入ものじゃなくて、沖縄県内で作って県内の人に愛してもらいたい。それが望みです」
湧川商会 仲松義光さん 「お客さまの残念っていう声もいっぱいあるので、沖縄県民にこれだけ浸透して、やはり新商品をA1に近づけるではないですけど、それに変わる商品をいま開発中です。これは、私どもの使命だと思っているので」 A1ソースの思い出を胃袋に。わったー(私たち)島の新たな“わん(私)”のソースが生まれようとしている。