舞台『No.9』×石井琢磨コラボ連載、第3弾は崎山つばさ&中尾暢樹の“兄弟”トーク~兄・べートーヴェンは暴君!?
世界的な天才音楽家、ベートーヴェンの激しくも悲しい波乱万丈の半生を、彼の楽曲と共に描いていく舞台『No.9 ―不滅の旋律―』。白井晃演出、稲垣吾郎主演で今年4度目の上演を果たすこの舞台の、絶賛稽古中の現場に人気ピアニストの石井琢磨が潜入! SPICEでは、クラシック系ユーチューバーでもある石井さんと、ベートーヴェンを題材とし、2人のピアニストとコーラスが生演奏する舞台『No.9』の特別コラボレーション連載を掲載中だ。
第1弾の白井晃(演出)、第2弾の剛力彩芽に続き登場するのは、今回が初参加となる崎⼭つばさ(カスパール・アント・カール・ベートーヴェン役)&中尾暢樹(ニコラウス・ヨーハン・ベートーヴェン役)だ。石井、崎山、中尾と世代の近い3人による“弟トーク”も交えつつ、べートーヴェンの弟を演じるふたりの視点から語る舞台『No.9』の魅力に迫った。
べートーヴェンが生きた時代の人々の暮らしに思いを馳せて
石井:おふたりとも今回が作品初参加だそうですね。まずは意気込みをうかがっていいですか?
崎山:過去3回上演されているので、空気感、雰囲気はもうすでに出来上がっているようにも思います。稽古最初の読み合わせのときにも、進むにつれてみなさんが少しずつ過去の公演を思い出していくような感覚があって、自分はその中に飛び込むというか、何とかしがみついて食らいついていく、みたいなところが一番大きいですね。プレッシャーも感じていたんですけど、日々稽古をやるうちに楽しさも増えています。今は靄がかかっていたものがだんだんと少しずつ晴れてきたようだ……みたいな状態です。
中尾:ベテランの先輩方に多く囲まれている現場なので、自分が勉強できること、その中で伝わってくることを大事にしたいなと考えています。4度目の上演ですが、あれだけのベテラン俳優さんたちがこうして再演を重ね同じ芝居をすることってあまりないと思うので、ここまで積み重ねられたものプラス、4年を経ての新たな引き出しというか、みなさんがさらにその先を目指している姿を間近で見れる楽しみは大きいですね。
崎山:(演出の)白井(晃)さんは「キャストも変われば作品も変わる」と何度も仰ってくださっていて、再演といえども新しいものを作っていこうという部分が多いことが刺激になっています。僕ら新たなキャストも、踏襲する部分と新しく作っていく部分とってすごく自由にやらせていただいてますし、いろんなチャレンジができて楽しいです。キャストの方々と“演劇でセッション”するみたいなところも結構多くて、そこもすごく演じる楽しさに繋がっています。
石井:白井さんの稽古場は「自由度の高い演技をしていい」、みたいな空気感がある現場なんですね。
崎山:そうですね。もちろん枠組みは決まってはいるんですけど、その中でどう動くかとかは。特に僕ら兄弟はリアクターというか、相手に対応していく芝居が多いので。
中尾:(大きく頷く)
崎山:僕らが相手の言動をどう感じているか、どう聞いてるのかっていうのが、今の段階ではすごく大事になってきていますね。それって正解がないというか。
石井:「正解がない」わかります……! 僕はピアニストとしてクラシック音楽を中心に演奏させてもらっていますが、もう本当、「正解がないなぁ」と思うんですよ。弾いているとき、ベートーヴェン(=作曲家)に直接電話して「どんな気持ちでした?」って聞きたい!って思うときもあります(笑)。
崎山・中尾:(笑)
石井:この『No.9』の物語は史実に基づいてる部分もあり、一方で「if」のストーリーの部分もあると思うんですけど、やっぱり、演じるときには関連した歴史だとかも勉強されるんですか? それとも、お芝居の場合には、逆にあんまり作り込まないでいった方がうまくいったりするものなんでしょうか?
崎山:時代背景とかはもちろんちゃんと調べます。それに国も違えば文化も違うので、そこの染み込ませ方とかはやっぱりどうしても知識で補わないと、些細な動きとかにも出てしまったりするので。
石井:ああ、確かにそうですよね。
崎山:(ヴィクトル・ヴァン・ハスラー役の)長谷川(初範)さんとも「この時代の人たちは何を食べてたのかな?」って「今みたいな繊細な食事でもないだろうから、朝食でもガーっとパワーがあったりすると思うんだよね」とか、そういうちっちゃいところから考えて、積み重ねて、その時代をこの芝居の中で生きるには……というお話なんかもしましたね。
中尾:大事ですよね。そこはもう「焼鮭とご飯」とかじゃなく(笑)。
崎山:そうそう。朝定食を食べてきた人には見えたくないよねという気持ちはあります(笑)。
石井:ピアニストも作品に向き合うとき当時の生活とかに気持ちを寄せることがあるので、音楽家と俳優さん、やはり通ずるものがあるんだなぁと思いました。
兄・ベートーヴェン像のヒントは稲垣吾郎さん自身の姿から想像することも
石井:今回、おふたりは兄弟役。べートーヴェンのふたりの弟を演じられますが、僕、おふたりの役どころってすごく難しいと思うんですよ……! べートーヴェンの人生において欠かすことはできない存在ですし。ベートーヴェンって元々は結構社交的な人だったらしくて、でも、耳が聴こえなくなるにつれて暴君めいてきて……。そこに関してはふたりの弟はかなり被害者になると思うんですけど、そこでね、それでも“支えていく”っていうところをどう演じられるのか……って、すごい見どころだなぁと思っているんです。実際、おふたりともお兄さんがいらっしゃるそうですね。
崎山・中尾:いますね、はい。
石井:どうですか、べートーヴェンみたいな感じですか?
崎山:うーん……兄とは6歳差なんですが、小学校の頃の兄はガキ大将タイプでしたね。あと反抗期のときはちょっとすごかったんで、そこは結構べートーヴェンっぽさがあったかもしれないです(笑)。
中尾:うちは2歳差ですが、同じです。
石井:では、わりと“暴君”だった……と。
崎山:結構、暴君かな。
中尾:ですね(笑)
石井:(笑)。特に崎山さんくらい歳の差があると、ずいぶん印象が違うでしょうね。
崎山:そうだと思います。僕は兄が成人したときは中学生でしたし、それこそ反抗期時代はまだ小学校低学年だったので、単純に“家族ではあるけど怖くてちょっと近づけない存在”っていう感じでした。兄弟で隣の部屋なんですけど、こっちでちょっと音がすると壁をドンドンってされたり。
石井:おお、べートーヴェンぽいですね。
崎山:そうなんですよ〜(笑)
中尾:うちはそこまでではなかったかなぁ。でも大抵のお兄さんって、弟にはちょっと厳しいっていうイメージはありますね。
石井:ではズバリ聞きたいんですけど、べートーヴェンみたいなお兄ちゃんはどうですか?
崎山:自分の思い出で言うと、子供時代は決して「怖いから嫌い」という気持ちはなくて、「家族だから」って接していたように思いますし、僕が20歳になって初めて一緒にお酒を飲んだときには「兄弟っていいな」と思ったりもしたので……カスパールもそういう気持ちはあったんじゃないかな。やっぱり父親代わりとして育ててもらったことも大きいので、いくら破天荒な兄と言えど、面倒見てもらってるっていうところはすごく感謝してると思います。
中尾:ですね、あの時代の兄弟の関係って今よりも重かっただろうし……。やっぱり弟たちにとって兄は尊敬できる人だったと思います。お父さんの代わりにもなってちゃんと養ってくれて、そういう中で「天才」と言われてる兄に対しての接し方は……だいぶ大変ではあるとは思うんですけど、やっぱり尊敬の気持ちはとても大きいんだろうなって思いながら、僕は演じています。
石井:べートーヴェン自身については手紙だったりと資料が多く残っていますが、弟たちはなかなか(資料が)残っていなくて、人物像が見えてこない部分もあるんじゃないかなとも思います。確か、薬剤師になってたりするんですよね。キャラクター像というのは、やはりご自身で作って持っていくものなんですか?
中尾:事前に考えていくところもありますが、でもやっぱり(べートーヴェン役の)稲垣(吾郎)さんに引っ張られてる部分も大きいですね。「稲垣さんのべートーヴェンに対して、ニコラウスは今どう感じているのか」とかを考えます。だから想像するというよりも、リアルにというか、実際に直接お話しして、ご本人のプライベートの部分なども垣間見ながら「こういうところかっこいいな」「こういう性格なんだ」ということを理解していく中で、自分というか役の距離感、見えてくる弟像みたいなものを感じながら組み立てている部分もたくさんあります。
石井:じゃあ、前もってご自身が思う「弟像」を作り込んで準備するところと、即興だったり、あるいはリハーサルや、むしろ本番が始まってからも変化するところがあったり?
崎山:僕の場合は作品にもよりますけど、作っていく部分と、稽古場で構築したり周囲の方との関わりで変化するところと、今のところ半々ですかね。もちろん本番で変わるであろう余白もありますが、全部が全部変わっていっちゃうと、なんかそれも違う気もしていて。最初に台本を読んだときの印象や史実を見て感じたことなど“自分の中のイメージ”をある程度持ちながら、座組の中でどう対応していくかっていうのが一番いいのかなと思ってます。
>(NEXT)創作中に「ハイになる」瞬間とは――
創作中に「ハイになる」瞬間とは──
石井:僕、今日どうしてもお聞きしてみたかったことがあって。僕は普段、家でひとりで練習して曲を完成させていくんですけど、時々ね、すごくいい演奏ができたときに、自分の中でガッって喜びを感じる、ハイになる瞬間があるんですよ! もちろん、お客さんを前で演奏して、スタンディングオベーションをいただいたときとかもハイになりますが、ひとりで家にいて、一曲完成させたとき、うまく弾けたときもめちゃめちゃハイになる(笑)。役者の方々ってどうなんだろう?と。例えばひとりで台本を読んでるときとかリハーサルとか……どんなときに表現者としての高揚感や喜びを感じますか?
崎山:うわぁ……それはモノにもよりますけど、舞台の場合は、やっぱり初日開けたときが一番ハイになるかなって、僕は思いますね。自分たちの作品が初めてお客さんに触れ、見てもらえる瞬間! あの初日の幕が開く前の空気も好きですし。
石井:幕が開く直前って、どんな感じなんですか?
崎山:ざわざわしてるときもあるし、ちょっと張り詰めた空気のときもあるし、その時々の作品性にもよりますけど、そこからインスピレーションを得るのが好きというか。劇場内の雰囲気自体にすごく“初日感”を感じつついよいよ自分も本番に臨む、みたいなことは結構多いですね。
石井:初日というのはやっぱり特別なものになりがちである。
崎山:そうですね。
石井:中尾さんは?
中尾:稽古の最中に共通認識とかがバチッとはまったときとか、気持ちもグッと上がりますし、ハイになるというか、すっごく楽しいなって思いますね。言われたことを、「これか?」「いや、こういうことか?」と探りながら役者同士が深いところで会話してる感じが、なんか……絶対プライベートじゃできない、感情とかをお互いに話すじゃないですか。そういうところを共感したり、そこから生まれる芝居の深みを感じたり発見したり。今回の白井さんもそうなんですけど、「こういうときって、人ってこう動くよね」という示唆が──
崎山:わかるっ。
石井:……そうか! 演出家の方がその場にいて、その考えを受け取りつつ、俳優が各々で考えてフレキシブルに作っていくっていうのが演劇の基本の形態なんですよね。
中尾:はい。もちろん、演出家の方によってやり方は違いますが、その場その場での雰囲気を見て演出される方が多いと思います。役者もその日の体調とかでも反応って変わるので、日々変わる中で共通認識を持って探り合うんです。
石井:演劇はひとりじゃない。うわ、いいお話聞けました。
崎山:僕からも質問、いいですか? 役者の場合、行間やセリフとセリフの間から読み取るってこともあったりするんですが、演奏家はそれを楽譜から解釈するということですよね? 各々の解釈って、どういったところで一番変わってくるんですか?
石井:仰る通り、楽譜から読み取れることってとっても多いんですけれど、結局のところ、演奏者のエゴが少しは入らないと(演奏に)魅力は出ないなと僕は思っています。例えばべートーヴェンの場合も、(楽譜を)書いた瞬間に作曲終わり、ってわけじゃなかったと思うんです。彼にとって「誰かに演奏されること」までが表現のゴールだったんじゃないかと。だから広い意味で言えば、僕は彼の作品が完成するのを手伝ってるみたいな感覚でいます。コンテンポラリーとして、現代で、その曲を完成させている。だから「べートーヴェン、ありがとうって言ってくれよ」という気持ちなわけです(笑)。
崎山・中尾:おおっ(笑)
石井:あ、いや、冗談ですよ!?(笑)でも、誰かが演奏しないと、彼の作品はただの譜面、ただの紙で終わってしまうってところは痛感しているので、最大限べートーヴェンに敬意を表しつつも、どう深堀っていくかというのは大切にしていますね。楽譜でいう音のない部分っていうのが、いわゆる行間だと思うんですが、それをどのくらいあけるのかは指示されていないわけじゃないですか。
崎山:でも、楽譜って明確な休符などもありますよね。それをどう捉えるかっていうのも、演奏者によって違うわけですか?
石井:そうですね。もうほんとに瞬間的に、コンマ1秒伸ばすだけで色合いは全然変わってきます! クラシックが面白いところは、何となくそれが時代背景から読めていったりもするんですよ。社会情勢や作曲家の残した文章、年齢、その時の体調……研究によって裏打ちし、解釈し、でも最後はピアニストとして、表現者として完成させないといけない。その“最後のひと押し”っていうのが自分なりのエッセンス、それをどこかに入れなくては魅力的なものにはできないと僕は思うんです。
もちろん自分の意見が強くなりすぎると良くないんですけど、でも稀にその意見の強さがバチッとはまる、エゴを最強に出して表現していってカリスマ性を出す音楽家もいて、そういう名演奏は数々あります。だから要は、自分のパーソナリティーに合わせてどう作っていくか。僕自身は、エゴ全開じゃなくて、最後の1滴のところでエゴを混ぜて、どこまで自分の色として変えられるかっていうところが楽しいと感じるタイプだと思っています。
崎山:なるほど〜。興味深いです、とても。
出会いを重ねながら表現者としてい続けられることが一番の目標
石井:いろいろお話伺ってきたんですが、最後、結構大きな質問になるんですけど、おふたりの描く「これから」っていうのも聞いてみたいなと思って。実は僕と崎山さんは同い年らしくて、中尾さんも近しい世代ですよね。それからもうひとつ共通点が……おふたりは高校生のときからお仕事を始めてるんですよね?
崎山:そうですね。僕は大学受験のタイミングで一度辞めて、大学生の頃は遠ざかっていましたけど。
中尾:僕も同じ、高校の頃から。あ、僕は遠ざかってないです(笑)。
崎山:僕ら、暢樹が高校に通ってるときから一緒にお仕事してるんですよ。
中尾:ね。そろそろ出会って10年経つかな、みたいな関係で。
石井:そうだったんですか! じゃあ兄弟役も全く知らない同士よりはずっと作りやすいでしょうね。
中尾:そうですね、初めましてよりは全然やりやすいと思います。
石井:僕も同じように学生時代からピアニストという夢に向かってきているんです。せっかくこうしてお会いしたので、ぜひおふたりに、今後俳優としてなりたい像や目標など、未来についての思いも伺ってみたいなぁと。
中尾:僕は今28歳で、業界に入って10年程経つんですけど、「やらせてもらっている側」から「作る側」に変わってきてる瞬間っていうのが最近、目に見えてあって。10年でいろんな繋がりができて、現場で再会できたり、自然と「これ一緒にやりましょうよ」と言えたりするときに、やっぱり、「楽しいな」って実感します。20代前半まではわからないことだらけでいっぱいいっぱいで、企画とか作品制作の過程とか、もっと言えば、仕事の成立の仕方とか、どうなってるんだ?状態で。でも、好きな監督さんや演出家さん、長くお付き合いしているプロデューサーさんに巡り合って、だんだんと「役者として作り手になっていく」ことができている、というんでしょうか。そうやって出会った方たちと一緒に素敵なものができたらって行動できるようになっている。それが嬉しいんです。この先もそんな仲間たちが増えてって、それで最後まで、死ぬまでこの仕事をやりたいなって思いますね。
石井:仲間と出会ってどんどん冒険していく、みたいな感覚ですね。僕もそれはすごく思います。やっぱり関わる方が増えていくと、お客さまのみならず、作り手側の間でも「喜ばせたい」っていう思いは強くなるし、「楽しんでいきたい」っていう思いが強くなっていきますよね。崎山さんは将来像、もしくは今後の目標、いかがですか?
崎山:そういうのはあまり持たないほうなんですけど……でも、暢樹の話と似てる部分は僕もあるかなぁ。自分にとって仕事ってロールプレイングゲームみたいなところがあって、始めたての頃は「自分の武器って何だろう」とか「人より秀でてるものはどこだろう」みたいなことをひたすら頭で考えていた時期もありました。それも大事なんだけれど、続けていく中では、武器屋に行って武器を手に入れて、いろんな場所でいろんな人と出会って知識や経験や技を手に入れて……みたいな、実体験に基づいた生き方が一番いいよなって思うようになったんです。この仕事はすごく出会いも多く、現場が変われば場所(コミュニティ)も変わります。同じところには居続けない。そういう中で、もちろん演じたい役を浮かべるときもありますけど、それよりも、「続けられる」ってことが一番難しく、大切なことなのかなとすごく思っていますね。だからシンプルに「ずっとこの仕事を続けられたらいいな」が目標ですね。
石井:それは本当そうですね。僕もずっとピアノを弾いて死んでいけたらなって思うので、究極の目標ってやっぱりそこになるっていうか、あらためてそう思いますね。
崎山・中尾:(頷く)
石井:……というところで、そろそろお時間のようです。今日は本当にありがとうございました! 最後に改めて、読んでくださっている方々へメッセージをいただければ。
崎山:石井さんとのお話、貴重な時間でした。楽しかったです。今回4度目の再演ではありますが、過去のキャスト・スタッフの方々の想いや時間を踏襲しつつも、また新しい『No.9』を作っていけたらと思っています。毎公演生演奏とのお芝居にもなりますが、ピアニストの方とのセッション感って、役者と共通する部分もあるんだってことが今日お話しして少し理解できたように思います。なので、明日からの稽古でもそこをもっとより大切に感じ、本番のお芝居も演奏もその時々の『No.9』として楽しんでいけたらいいなと思います。
中尾:まず、今日はすごく楽しい機会をありがとうございました。こうやってピアニストの方としゃべるって、すごいことですよね。表現に対してのいろんな切り口があることを再確認できたというか、芸術……エンターテインメントってやっぱり人の心の奥、人間の根底を表現するじゃないですか。そういうところはやっぱり演奏家も俳優も通ずるものがたくさんあるんだなって、すごく思いました。この先の稽古でもまた一個、深くできそうな予感がしています。
公演は東京のほか久留米・大阪・浜松を回るので、いろんな方に観ていただけるといいなと思います。4回目ですけど、僕らも楽しみながら新しい『No.9』を作っているので、本番、楽しみにしてくれたら嬉しいです。
石井:べートーヴェンの弟たち、本当に難しい役どころだと思いますが、崎山さんと中尾さんがどんなふうに舞台に立つのかさらに楽しみになりましたし、おふたりの役者像というものもちょっと垣間見えたところがあって、わくわくしました。公演を楽しみにしています!
>(NEXT)インタビューを終えて~崎山、ピアノを習う!?
インタビューを終えて~崎山、ピアノを習う!?
石井:今日は本当にお忙しい中、時間を作っていただいてありがとうございました。クラシック業界と役者業界って多分あまり接点がないと思うんですけど、こうして出会えてよかった。
崎山:僕らもすっかり打ち解けてしまいました。今日はありがとうございました。
中尾:そういえば、石井さんが初めてピアノを弾いたのはいくつのときなんですか?
石井:3歳のときです。
崎山:それは親御さんからですか? 自分の意思じゃなく。
石井:僕の場合、姉ふたりが先にピアノをやっていて、母がよく教えてたんです。で、母を独り占めされたくないっていう思いがあって「自分も」と(笑)。あと小さいころって片づけとか、「〇〇やりなさい」ってよく言われるじゃないですか。その逃げ道がピアノだったんで、ずっと練習していました。
崎山:なにかをやれやれ言われる前にピアノ弾いとけば何も言われない、みたいな?
石井:そうです(笑)。
中尾:我が家は兄と妹と僕、兄妹3人全員ピアノをやってたんですけど、僕は嫌いでした、練習。
石井:そうなんですね! そこはね、分かれるところなんですよね。僕の場合は、さっきは逃げ道がピアノだったと言いましたけど、それ以前に、たぶんピアノを弾いているのが純粋に楽しかったんだと思います。今でもピアノを弾くとすごく楽しいので。
中尾:それはすごいです。自分はホントに子供の頃にちょっとしかやっていなくて……今はもう全然なんですけど。
石井:いいじゃないですか! 今からまた始めても充分弾けると思いますよ。
崎山:僕もピアノ、やりたかったな。
石井:あ、じゃあ今からでも。
崎山:いやいや。やっぱり小さい頃からの練習で培われてくるものがあるでしょうから……
石井:でも「1万時間理論」って言って、「1万時間積み重ねればプロになれる」って言われてるんで。
中尾:1万時間って、何年くらいですか??
石井:1日8時間やって、10日で80時間、100日で800時間、1000日で8000時間だから……3年間ずっと毎日8時間やっててもまだ足りないかな。でもちょっと休みながら、3年と少しくらい頑張ればいけます。
崎山:1日8時間、ちょっと想像つかないです……あ、でも舞台の稽古も毎日それくらいやってるのか!
中尾:……ですね。
石井:じゃあやりましょう、8時間。
崎山:頑張れる……かなぁ……(笑)。でも機会があったらピアノ、教えていただきたいです。
石井:もちろんです! もう、勝手にね、1回一緒に飲みたいなとも思っています……! お酒も大好きなので(笑)。それぐらいおふたりの波長がすごく柔らかで心地よく、個人的にも仲良くしたいなと思わせる魅力的な出会いでした。
崎山:わ、嬉しいお言葉。
中尾:お酒、いいですよね。またぜひお会いしましょう!
石井:はい! 良かったら次は僕のチャンネルにも遊びにいらしてくださいね。
聞き手=石井琢磨 文=横澤由香 撮影=山口真由子