【京成杯オータムハンデ】を勝った馬の中から、後の天皇賞馬となる名馬をご紹介!!
かつて「イチロー」とあだ名をつけられた京成杯オータムハンデを勝った名馬とは!?
先週で夏競馬が終わり、今週から秋競馬へと移り変わって行く。
そんな秋競馬の開幕週らしく、重賞が3つも控えている。
土曜の中山で秋華賞トライアルの「紫苑ステークス」。日曜は、中京で秋のスプリントGⅠスプリンターズの優先出走権が与えられる「産経賞セントウルS」。中山で「京成杯オータムハンデ」が予定されている。
そんな3つの重賞の中から、今週は「京成杯オータムハンデ」を勝った名馬を紹介しよう。
その馬の名は、1994年の京成杯オータムハンデを勝った「サクラチトセオー」!!
1990年に誕生したサクラチトセオー。
全盛期の見栄えの割にはデビューする前から体が弱く、負荷の強い調教を出来ずにいた。
それでも、1992年10月のデビュー戦、調教をあまできない状態で1馬身差をつけて勝利を挙げる。
しかし、そこから脚部不安で間を置くことになる。2ヶ月後の「ひいらぎ賞(500万円以下/現1勝クラス)」では、2着入線だったが1着馬の進路妨害があり、繰り上げ優勝となったが、この後も脚部不安が出て長期休養を余儀なくされる。
復帰は翌春でクラシック参戦はかなり厳しいところにあったが、陣営は諦めきれずにいた。
そのため、日本ダービーに参戦すべくトライアル・青葉賞に登録するも口内炎のため出走取消。それでも諦めきれない陣営は、当時はもう一つのトライアル重賞だったGⅡ・NHK杯へ出走し3着を確保しダービーの出走権を得る。
本番のダービーでは、後に「BNW」と言われる3強、ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケットと戦った。最初のコーナーで他馬に接触した影響もあり11着と惨敗する。
その後は、もともと体が強い訳ではないので年内休養することになる。
1994年、5歳(現4歳)と古馬になり条件戦からの復帰。1500万以下(現3勝クラス)に上がった時に潜在能力の高さから格上げ挑戦で重賞「中山記念」に挑戦。持ち前の末脚を発揮して初重賞制覇を成し遂げる。
その後は、OPレースで1勝を挙げて臨んだ宝塚記念では6着と負けるも、秋の天皇賞を目指して「京成杯オータムハンデ」に出走する。ここでの鞍上はずっと主戦を務めて来た小島太騎手が騎乗停止のため、サクラチトセオーの生涯で唯一の別騎手となる的場均が手綱を握り、トップハンデの58㎏をものともせず7年ぶりの日本レコード更新で重賞2勝目を挙げる。
次走は大目標としていた天皇賞(秋)に出走するも6着と敗れる。
その後は、OPレース1着、有馬記念6着と3回連続で勝った後の着順が6着と続き1着→6着という並びが続いたことから、当時活躍していたプロ野球選手「イチロー」というあだ名がついてしまう。
1995年、6歳(現5歳)になって初戦の「アメリカJCC」を勝ち、重賞3勝目を挙げる。
その後4戦するも勝つ事が出来ず、迎えた2度目の天皇賞(秋)。
デビュー以来、弱かった脚部などはすでに解消され本格化し、デビュー以来最高のデキの状態で臨める体制となった。
そして、先行有利の展開でも末脚勝負をするサクラチトセオーじっくり足を溜め、最後の直線で段違いの末脚を見せゴールを駆け抜ける。写真判定でハナ差の勝利が確定する。
その後は、その年の有馬記念3着を最後に引退し種牡馬となり、ラガーレグルスなど重賞馬を輩出するなど活躍し2014年に24歳で亡くなった。
サクラチトセオーのように今後のGⅠを勝利する馬の誕生となるのか?
京成杯オータムハンデの出走は、9月8日の中山競馬場11レース、15時45分予定。