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阪神・淡路大震災30年 平塚JC元理事長 「途方に暮れた」あの日 支援のはじまり振り返る

タウンニュース

平塚市内で行われた各団体の支援をまとめたタウンニュースの記事。「がんばれかんさい」の題字は市内在住の小学1年生のもの(1995年2月2日号より)

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。「戦後最大」とも言われた被害は、遠く離れた平塚にも衝撃を与えた。支援の知識や経験もない中、募金活動や現地で物資の仕分けを行った平塚青年会議所(平塚JC)の37代理事長・高橋昇さんは「第一報をテレビで観て途方に暮れた。鮮明に覚えている」と振り返る。

「まずは募金をやろう」。発災後の21日に急遽開いた臨時理事会で決定すると、震災1週間後の24日から6日間、平塚駅前で街頭募金を行った。当時、平塚JCは会員数130人を超える大所帯。マンパワーはあるものの「自分たちだけでなく、どこか巻き込んでやりたかった」と平塚市役所にも声をかけ、職員を交えた少人数でスタートした。日に日に大きくなる反響に「市民の皆さんの『何かしたい』という気持ちの受け皿になれたのかもと思えた」と高橋さん。2月3日には寄せられた314万円を携えて東京都内の兵庫県事務所へ出向いたという。

「自転車がほしい」という被災地の声を受け、修理などの手を加えた市内の放置自転車を2トンと3トンのトラック2台に積み込み、西宮商工会議所(兵庫県)へ。その他、日本JCの旗振りもあり、平塚JCメンバーらと現地ボランティアにも赴き「避難所となっている体育館で入学式ができるように」と支援物資を仕分ける作業に従事した。「旅館から丹前が届いていたり、到底着られない古着が混ざっていたり。ニーズを聞く大切さを実感した」と話す。

震災翌年から西宮市のサッカーチームの子どもたちを平塚に招待するなど、支援をきっかけにした交流は続いた。高橋さんは「すぐ動ける体制やつながりがあったことが大きい。30年前の学びを今に生かしていきたい」と振り返った。

平塚JCも関わった街頭募金についての弊紙記事(95年2月9日号より)

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