【ミリオンヒッツ1994】EAST END × YURI「DA.YO.NE」と 日本語ラップのリアリティ
リレー連載【ミリオンヒッツ1994】vol.18
DA.YO.NE / EAST END × YURI
作詞:GAKU Mummy-D
作曲:YOGGY
▶ 発売:1994年8月21日
▶ 売上枚数:101.8万枚
日本語ラップの元祖はスネークマンショー?
日本語ラップの元祖はどこにあるのか? という議論はこれまでも数多く交わされてきた。そこにはやはり、佐野元春が1984年にリリースしたアルバム『VISITORS』のオープニングを飾った「COMPLICATION SHAKEDOWN」が挙げられる。もっと遡れば、1981年にリリースされたスネークマンショーのアルバム『スネークマン・ショー』(通称:急いで口で吸え)に収録された「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」の中で小林克也と伊武雅刀がコミカルかつ見事な掛け合いのラップを披露している。
そして、日本語ラップが当たり前のように浸透した現在、その元祖を語る時、これらと同様に議論に挙がるのは吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」だが、こちらは、津軽弁をリズミカルに繋ぎ、スネークマンショー同様にコミカルさを全面に打ち出している。
このコミカルさに違和感はなく、「俺ら東京さ行ぐだ」は、多くの国民に愛されヒットチャートを席巻したわけだが、佐野の「COMPLICATION SHAKEDOWN」には、当時賛否両論が巻き起こった。今でこそ、ラップを革新的に取り入れたロックミュージックとしてその先見の明が語り継がれているが、ヒップホップが日本でまだ定着していない1984年に試みた佐野の革新性はなかなか理解されなかったと同時に、その後もしばらく、日本語でのラップは迎合されない時代が続いた。
1986年にヒップホップ専門レーベルを立ち上げた近田春夫
そんな中、早い時期からその殻を打ち破ろうとしたのが近田春夫だ。1986年にヒップホップ専門レーベル “BPM” を立ち上げ、President BPM名義で日本語ラップの名盤12インチシングル「MASS COMMUNICATION BREAKDOWN」をリリース。同年にセカンドシングル「NASU-KYURI」、翌年には「Hoo!Ei!Ho!」(BPM PRESIDENTS featuring TINNIE PUNX名義)を立て続けにリリースする。近田が提唱した日本語ラップはシニカルな視点を持ちながら、今俯瞰して考えてみると「俺ら東京さ行ぐだ」に通じるコミカルな印象を持ち合わせていた。特に、尾崎紀世彦「また会う日まで」のイントロをサンプリングして、
12時を過ぎたら 踊れないことぐらい(さ)
誰だって そんなことぐらい 知ってるじゃない(さ)
どうしても踊りたいと いうんだったらば(さ)
と、語尾に “さ” にアクセントをつけてラップする「Hoo!Ei!Ho!」は、当時の風営法改定を痛烈に批判するというアティテュードを持ちながらも、コミカルで親しみやすいリリックが、日本語ラップに対する当時の違和感を緩和させたことは確かなことだったし、そこも近田の狙いだったのかもしれない。
東京パフォーマンスドールの市井由理とEAST ENDのコラボレーション
この近田の手法が後々の日本語ラップに大きな影響を及ぼす。それは、今からちょうど30年前の1994年にリリースされ、ミリオンヒットを記録したEAST END × YURIの「DA.YO.NE」も例外ではなかった。
EAST END × YURIは「DA.YO.NE」リリース当時、東京パフォーマンスドールを卒業間近だったヒップホップ好きのアイドル市井由理と、ヒップホップ専門のレーベル『ファイルレコード』に所属していたEAST ENDのコラボレーションだ。引き合わせたのは、シャネルズ〜ラッツ&スターとして一世を風靡したバスボーカル担当の佐藤善雄。佐藤は、1991年にファイルレコードに入社し(現在は取締役社長)、自分たちが大きな影響を受けたドゥーワップと同じ黒人音楽であるヒップホップに大きな可能性を感じ、模索していた。
周知の通り「DA.YO.NE」は “〜だよね” の語尾にアクセントをつけてリズミカルでコミカルな色合いを醸し出す。この親しみやすさが、EAST ENDが作る本格的なリズムトラックと交わることにより、楽曲としての完成度も極めて高いものとなった。リリース当初のチャートアクションは決して活発なものではなかったが、北海道のFM局『NORTH WAVE』のヘビーローテーションによって火がつき、じわじわと日本全国を席巻しながら、結果ミリオンセラーを記録する。そう、日本語ラップの浸透には、コミカルな親しみやすさが不可欠だった。
そして市井由理のラップは、決して本格的とは言えなかったが、感情の起伏をうまく表現し、当時の若者たちのファミレスなどでの会話を再現しているようなリアリティがあった。そこがよかった。
当時の若者のライフスタイルをリアルに浮き彫りにしていた「DA.YO.NE」と「今夜はブギーバック」
「DA.YO.NE」がリリースされた1994年には、小沢健二とスチャダラパーが共演した「今夜はブギー・バック」がリリースされているが、この2曲がヒップホップをメインストリームに持ち込み、お茶の間にもそのスタイルが認知されるようになった。
「DA.YO.NE」にしても「今夜はブギー・バック」にしても、当時の若者の等身大のライフスタイルをリアルに浮き彫りにしていた。「DA.YO.NE」でラップされている世界観は80年代の尾崎豊のように苦悩していたわけでもないし、BOØWYやレベッカのように現状からの打破を掲げたメッセージがあったわけでもない。しかし「DA.YO.NE」のリリックから90年代の若者は今を存分に楽しむという才能を持ち合わせていたことが感じ取れる。そのリアルな表現は日本語ラップ、ヒップホップの可能性を最大限に広げたのだ。