玉置浩二が提供した名曲の数々「玉置浩二の音楽世界」稀代のメロディメーカーがここに!
80年代からさまざまなアーティストに曲を提供している玉置浩二
“玉置浩二の歌って、神だよな” という人は、メチャクチャ多い。2020年の『第71回NHK紅白歌合戦』にソロで24年ぶりに出演して「田園」を歌ったときは、その年のMVPともいえるパフォーマンスを披露。玉置のことをよく知らなかった若い世代にも “なんなの、この人⁉ ヤバくね?” と鮮烈な印象を残した。
だが “作曲家・玉置浩二” となるとどうだろう? ご存じの通り、玉置は1980年代からさまざまなアーティストに曲を提供していて、性格的に一切手は抜かない人なので、ハイレベルな名曲ぞろいである。にもかかわらず、玉置作品は “歌手・玉置浩二” への高評価に比べると、圧倒的に評価が足りていないように思う。彼の歌と同様、聴いていて心が不思議と揺さぶられたり、気分が高揚する曲も多いのに、だ。
たとえば、中森明菜の「サザン・ウインド」(1984年、作詞:来生えつこ)。これ、けっこう複雑な構成の曲だ。曲中に分数コード(C/A、F#/E など)がバンバン出てくるけれど、これも “玉置節” の特徴の1つ。疾走感あふれるメロディもかなり野心的で、トップアイドルに遠慮なく挑戦的な曲を平然と書き下ろすところが実に玉置らしい。だからこそ、音楽的な高みを目指す明菜サイドも玉置に依頼したのだが。
一方、斉藤由貴に書き下ろした「悲しみよこんにちは」(1986年 / 作詞:森雪之丞)は、彼女のポワンとした包み込むような声質に合った、優しく、かつ凜としたメロディが印象的だ。この曲も分数コードが随所に登場する。玉置浩二の書く曲は、単に歌い手に合わせるだけでなく、常に挑戦的な仕掛けをどこかに施している。だから油断がならないのだ。
「新堂本兄弟」、玉置&Kinkiファンの間では伝説になっている回
いったい、この人はどうやって曲を作っているんだろう? ずっと疑問に思っていたけれど、ある日 “ああ、そうか!” と膝を打った。2011年10月、玉置がゲスト出演した『新堂本兄弟』(フジテレビ系)を観ていたときのことだ。
トーク中、作曲術の話になり、Kinki Kids・堂本光一の “(曲が)浮かぶときとか、浮かばないときとかってやっぱりあります?” という質問に、玉置はこう言い切った。“浮かばないときはね… 苦しんでいたときはあったんだけども、毎日できる!曲は。作ろうと思えばね。できるよ。すぐできちゃう!Kinki Kidsにも”
それを聞いた光一が “じゃ、今お願いします” とギターを玉置に手渡し、即興で曲作りが始まった。“マイナーの曲が僕ら多いんで(明るめの曲を)” という光一のリクエストに応え、“♪テレレレ〜レン テレテレレ〜” と英語風にスキャットで歌い出す玉置。私は驚いた。その第一声がもう “名曲” なのだ。後ろにいた槇原敬之が “あ、もうダメだ!” とのけぞったほど。
“A7から、Gに行っちゃう!” “D入れるか!(入れて弾き)D入れたほうがみんなにわかりやすい。だけど、入れないほうがカッコいいよ” なんてやりとりもありつつ、玉置はもう1回頭から弾き直して、随所に細かいアクセントを入れていき、そのままサビに突入。これがまた超絶素敵なメロディで、高見沢俊彦は呆れたように玉置を見つめ、高橋みなみに至っては感動のあまり泣き出したりして。これ、玉置&Kinkiファンの間では伝説の回になっているので、ご記憶の方も多いと思う。
これを観て思ったのは、もちろんすべてそうではないだろうが、玉置浩二というアーティストは基本的に “内面から湧き出て来たものを、そのまま歌にする” 人なんだな、と。温泉で言えば “源泉かけ流し” である。ギターをつま弾きながら(玉置はギターの腕も超一流)感情の赴くままに浮かんだメロディを歌い、それを録音して、譜面に起こす… 聞くところによると、そんな作曲スタイルらしい。時に複雑な構成になるのは、理屈優先で作っていないからだ。聴いていて直接胸に響くというか、不思議な心地良さを感じるのはそのためだろう。
作曲の際に口ずさむ玉置浩二の歌声がバックに聴こえてくるようなアルバム
そんなわけで、“玉置浩二提供作品を集めたコンピレーション盤があったらいいのに” と前々から思っていたけれど、なんと、それがついに実現するという。12月18日リリースの2枚組アルバム『玉置浩二の音楽世界』(日本コロムビア)だ。レーベルの枠を超えて、1983年から2017年まで他アーティストに提供した24曲を収録。作曲の際に口ずさむ彼の歌声がバックに聴こえてくるようなアルバムだ。
ジャケットは、玉置が描いた絵画の写真。家の中にギターが3本。中央に “LOVE” の文字。下の方に鍵盤。いかにも玉置ワールドではないか。またライナーノーツは、玉置の楽曲に詞を提供し「田園」(1996年)の歌詞を共作した音楽プロデューサー・須藤晃氏が執筆。
玉置は祖母が民謡教室の先生だったこともあり、幼少時から民謡を口ずさんでいたという。一方で、歌謡曲やGS(グループサウンズ)にも夢中になり、ジャンルを問わずあらゆる音楽を吸収。自分の中にいったん落とし込んで、アウトプットしていった。さまざまな成分が混じり合った “温泉” が、地中から湧き出すように。
普通、アーティスト系の作曲家は、過去にどんな音楽を聴き、影響を受けてきたかがなんとなくわかったりするが、こと玉置に関してはルーツがまるでわからない。これはかなり稀有なことだと思う。ある意味 “自分がルーツ” なのだ。だって “玉置温泉” の源泉は彼の心の中にあるのだから。
各アーティストへの玉置の思い、そして歌い手の思いが詰まった宝石箱
さて、この『玉置浩二の音楽世界』、本当は収録曲すべてに言及したいところだが、あえて数曲に絞ろう。DISC1の1曲目に収録されている、石川ひとみ「恋」(1983年 / 作詞:岡田冨美子)はサビにかけての情感の高まりが聴きどころで、曲からにじみ出る切なさがたまらない。もっと知られていい佳曲だ。
80年代女性アイドルへの提供曲は、先述の「サザン・ウインド」「悲しみよこんにちは」の他に、松田聖子「ローゼ・ワインより甘く」(1986年 / 作詞:松本隆)も収録。サビの「♪ローゼ・ワインより甘く」のメロディは、同じ年に書いた「悲しみよこんにちは」の 「♪きっと約束よ」と共通するものを感じるが、そこへの持って行き方が違う。斉藤由貴のほうは、しっかり助走をつけてからクライマックスへ。一方、聖子のほうはなだらかな展開から、ポーンとサビへ。そのへんの違いも実に興味深い。
ほかにも、郷ひろみのセルフプロデュースアルバムに寄せた「ESCAPE」(1984年 / 作詞:HENRY HAMAGUCHI=郷自身)、いしだあゆみの隠れた名曲「囁きのリフレイン」(1985年 / 作詞:阿木燿子)、松本隆と組んだ五木ひろし「終着駅」(1992年 / 編曲:萩原健太)、レコード大賞を受賞した香西かおり「無言坂」(1993年 / 作詞:市川睦月=久世光彦)、ジュリーと意気投合して書き下ろした「強いHEART」(1996年 / 作詞:沢田研二)、研ナオコがデビュー45周年記念に曲を依頼。デモテープを聴いて号泣したという「ホームレス」(2015年 / 作詞:玉置浩二)などなど、同じ人間が作曲したとは思えない幅の広さには驚くばかりだ。
先述のKinki Kidsに即興で書いた曲はその後、玉置が形を整え、詞をつけて完成。それが「むくのはね」だ。2013年にKinki Kidsのアルバム『L album』に収録され、今回のアルバムにも収録。こんな名曲が即興で湧いてくるのだから、本当にどうかしている。そしてどのアーティストも、玉置の曲を宝物のように大切に歌っているのは言うまでもない。このアルバムは、各アーティストへの玉置の思い、そして歌い手の思いが詰まった、いわば “宝石箱” なのだ。
玉置作品の中で屈指の大傑作、ビートたけし「嘲笑」
最後に、玉置作品の中で屈指の大傑作が、このアルバムには収録されている。DISC1の掉尾を飾る、ビートたけし「嘲笑」(1993年 / 作詞:北野武)だ。あの伝説の深夜番組『北野ファンクラブ』のエンディングにも長く使われたこの曲、もともとは、ビートたけしの詩集『キッド リターン』(1986年)に収録された1篇の詩「嘲笑」がベースになっている。この詩集を読んだ玉置が「嘲笑」を気に入り、勝手に曲をつけて “できちゃった” とたけしに送った。それを聴いたたけしは原詩になかった2番の歌詞を書いて送り返した、という素敵なエピソードがある。
玉置は北海道旭川市出身で、星がきれいに見える街で育った。だからだろう、彼が作詞した曲には “星” にまつわる曲が多い。“君だけの星になりたい… それが歌の基本” と言う玉置が、星をテーマにしたたけしの詩を読んで、ついギターを手に取ったのはすごくわかる。玉置によって原詩に少し手が加えられ、1番の歌詞はこうなった。
星を見るのが好きだ
夜空をみて 考えるのが
何より楽しい
百年前の人
千年前の人
一万年前の人
百万年前の人
いろんな人が見た星と
ぼくらが今見る星と
ほとんど変わりがない
それがうれしい
『北野ファンクラブ』に玉置が出演、弾き語りでこの曲をセルフカバーしたときのことは今でも強烈に覚えている。童心を忘れない2人が生んだ奇跡の傑作であり、本曲が収録されているだけでもこのアルバムは買う価値がある。玉置浩二は歌っていないが、彼の心の躍動、叫びは、24曲すべてにしっかりと刻み込まれているのだ。