平和島『にはち』。香り立つ上品なツユと自家製麺のそばに、和食料理人のプライドが詰まっていた
2024年9月にオープンした平和島の『にはち』は、かけそばが390円と、イマドキにしては気前のいい立ち食いそば店だ。しかし、その味わいは本格そば店に負けないものになっている。
天ぷらもいいけどツユがすごい
京浜急行電鉄本線の平和島駅の東口の近く、環七通り沿いに『にはち』はある。ここには以前「つばめや」という立ち食いそば店があったのだが、店主の体調不良もあって半年ほどで閉店。『にはち』は2024年の9月に、居抜きでオープンした店なのだ。
看板には大きく「大判えび天かき揚げそば」と書かれていて、これが推しだとはっきりわかる。それならばと、初めて行ったときには当然のように大判えび天かき揚げそばを頼んだのだが、これがとんでもなく大きいのだ。
はなから丼に入り切らないサイズのかき揚げは、別皿に盛られている。その姿をしげしげと眺めながらツユをひと口すすると、これまた驚いた。ダシの香りがふわっと香る、すごく澄んだ味。東京の立ち食いそばのかえしがきいたパンチのあるツユとはぜんぜん違う。この上品なツユにこのかき揚げをのせたらツユが壊れちゃうよなぁ、と思いながら眼前の調味料トレイを見ると、おあつらえむきに岩塩があった。あぁ、これだ。
はしでほぐしたかき揚げに岩塩をパラリとかけてパクリ。カラッと揚がった衣と玉ねぎの甘みが、なんともうまい。立派なサイズのえびもぷりぷりだ。そこにツユをひと口すすり、細くのどごしの良い二八のそばをすすりあげる。かき揚げとそばをセパレートで楽しんだら、3分の1ほどになったかき揚げをツユにドボン。適度な量の油が加わったツユも、コクがあってうまい。まさか平和島の立ち食いそばで、こんなそばが食べられるとは思わなかった。
かき揚げのサイズに目が行ってしまいがちだが、『にはち』の売りはこの澄んだ味わいのツユだろう。聞けば、カツオ、ソウダガツオ、サバに加え、ウルメイワシの煮干しも使っているという。旨味の奥にほのかな甘さがあったが、それがウルメイワシ効果だろうか。けっこう手が込んでいるのだ。
「おいしく安い」に手間を惜しまない
実は店主の三上泰良さんは、ふぐや寿司などの和食を長く作り続けてきた料理人。和食以前も洋食にフレンチにイタリアンと、高校を卒業してからずっと調理の仕事をやってきた。自分で作ることが好き、それを食べてもらうのが好きなのだ。
そんな三上さんが雇われの身を卒業し、60歳になって『にはち』を始めた。「自分が飲食でずっと覚えてきたことが正しいのか、答え合わせをするために」独立して店を持ったのだという。60歳にしての独立。不安はなかったのか聞くと、「ありませんでした。商売が失敗するとは思っていませんでした」という、はっきりした答えが返ってきた。その言葉に料理人としてのプライドを感じた。
あまり見ないタイプのツユも、自分がおいしいと思うものを作ったという。立ち食いそばというスタイルを選んだのも、ワンオペでできるから。自分ひとりの力で店をまわせるからだという。おいしく食べてもらうために天ぷら類も、注文を受けてからの調理。自家製麺で押し出し製麺機を使うというスタイルも、二八のそばを立ち食いそば価格で出すためのもの。いちいちが、“おいしいものを出す”ということに集約されている。これが、三上さんの料理人としての人生の集大成なのだ。
驚きのチキンカツ丼
さて、ツユもうまいが、自家製麺のそばもなかなかのもの。細くのどごしの良い麺なので、冷たいのもいい。ぶっかけの野菜天そばを頼むと、上にのるのはオクラにエリンギ、レンコンカボチャにタマネギ。キリッとしたぶっかけ汁が、野菜の甘さを引き立たせる。水でしっかり締められたそばは喉越し良く、くにっとした食感も楽しい。
『にはち』は天ぷらだけでなく、チキンカツ、トンカツも注文を受けてからパン粉をはたいて揚げる。よくある冷凍品ではないのだ。注文したチキンカツ丼はカツの揚げ具合も良く、肉はやわらか。タレもツユと同様に澄んだ味わいで、スルスルと食べられてしまう。変な言い方だが、高熱を出しているときでも食べられてしまう丼だ。これが豚汁がついて550円。いくらコストを抑えているといっても、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまう。
オープンしてから6カ月。三上さんの始めた「答え合わせ」は、今のところ正解のようだ。ただ、三上さんは今後、夜の営業や弁当販売の拡充など、『にはち』でやりたいことはいろいろあるという。新たな答え合わせに期待したい。
にはち
住所:東京都大田区大森本町2-31-16/営業時間:5:30~15:00/定休日:無/アクセス:京浜急行電鉄本線平和島駅から徒歩3分
取材・撮影・文=本橋隆司
本橋隆司
大衆食ライター
1971年東京生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て2008年にフリーへ。ニュースサイトの編集をしながら、主に立ち食いそば、町パンなど、戦後大衆食の研究、執筆を続けている。