昭和100年企画 半原水源地76年前の探求 寄稿 愛川町 内藤兼次さん
1934年生まれの私は、半原宮本地区の横須賀水道・半原水源地近くで育ちました。国民学校入学の年、41年12月には大東亜戦争が勃発し、45年8月15日に終戦を迎えました。
終戦直前、アメリカ軍の爆撃が激化し、日本中で防空壕が掘られました。半原水源地の出入り口近くにある、若宮神社の石段左隣の土手斜面でも毎日、作業服の兵隊たちがツルハシやスコップで防空壕らしき穴を掘っていました。
兵隊のうちの1人がノミを使い、石の表面に何かを彫っていたのです。4年生だった私は学校から帰ると、その兵隊に話しかけに行くのが日課となりました。結局、何を彫っているのかは教えてもらえませんでしたが、しばらくして兵隊たちがその石を穴に入れ、台座に据え付けました。
石には「昔夢の穴」と刻まれていたと記憶しています。彼らは後世に、自分たちは横須賀から来て愛川で作業していたことを記念に残し、地域住民に思い出して欲しかったのかもしれません。
2021年、私はその石を見つけたいと思い立ちました。土地の持ち主に協力を求めて石の発掘に取り組むと、探し求めていた石が記憶していた場所から現れたのです。
石の表面を濡れた雑巾で拭くと「昔夢之洞」と刻まれていました。76年の時を経て当時の兵隊の魂が文字に宿っているように感じられました。
将来、半原水源地跡地が活用される際には、この石も丁寧に掘り出し、水源地の歴史の一部として多くの人々に知ってもらえたらと思います。