岡田有希子「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」これぞ勝負曲!怒涛の最優秀新人賞ラッシュ
岡田有希子デビュー40周年!7インチシングル・コンプリートBOX 発売記念コラム vol.3
A面:-Dreaming Girl- 恋、はじめまして
作詞:竹内まりや
作曲:竹内まりや
編曲:萩田光雄
B面:気まぐれTeenage Love
作詞:竹内まりや
作曲:竹内まりや
編曲:萩田光雄
ユッコにとっての “勝負曲”「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」
勝負曲がある。
一般には、アスリートが大事な試合の前に、ある曲を聴いてモチベーションを上げたり、受験生が入試の前に気持ちを落ち着かせるために聴く曲を指すことが多い。しかし、当コラムでは、アイドルやミュージシャンが、もう1ステップ上を目指して勝負をかけるためにリリースするシングル曲を、そう呼ぶことにする。
例えば―― かの山口百恵さんの「横須賀ストーリー」がそうだ。それまで大人たちによって “性典ソング” を歌わされたミドルティーンのアイドルが、初めて自我に目覚め、自ら指名した宇崎竜童・阿木燿子夫妻の手によって紡ぎ出された “ソウルソング” を歌い―― アイドルの殻を破った。同曲は彼女の自己最高セールスを記録し、国民的歌手・山口百恵への足掛かりとなる。
また、松田聖子さんの勝負曲は3年目のアタマに出した「赤いスイートピー」だろう。デビュー以来、天性の歌声で「青い珊瑚礁」や「夏の扉」などをヒットさせてきた彼女が、2年目の夏ごろから喉の酷使で段々と声がかすれてきた。そこで “チーム聖子” は “女子大生・OLの教祖” ユーミンに楽曲を依頼し、声に負担をかけないスローバラードを聖子さんに歌わせたところ―― 女性ファンが急増。そして、本人は同曲を機に “キャンディボイス” を習得する。
そこで、岡田有希子である。
デビュー1年目の彼女が、所属するキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)の渡辺有三プロデューサーの発案で、“六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん” なるコンセプトを与えられ、竹内まりやさん作詞・作曲の “学園三部作” をリリースしたのは、ファンなら誰もが知るところ。曲のテーマは一貫して “ティーンエイジ・ラブ” だった。
それは、等身大のシンデレラストーリー。デビュー曲で、クラスで一番目立たない女の子が “憧れ” の彼に土曜の午後のシネマに誘われ、初めてのデイト。続く2枚目のシングルでクラスの仲間たちと遊園地へ。“大好き” な彼の腕につかまり恋人気取り。そして3枚目のシングルで “恋” に目覚めた少女は、大人への階段を上り始める。憧れ → 好き → 恋へと至る “恋の三段活用” である。
そう、学園3部作は、いわばホップ・ステップ・ジャンプ。となれば、必然的に “ジャンプ” に相当する3作目が、ユッコにとっての “勝負曲” になる。1984年9月21日リリースの「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」である。作詞・作曲:竹内まりや、編曲:萩田光雄の座組はデビュー曲と同じ。実際、同曲はまりやさんからデモテープを渡された時点で、キャニオン・レコード内でスタッフ人気が最も高かったという。ゆえに、しかるべきタイミングで使う切り札として、大事にストックされたのである。ちなみにファンは同曲を、親しみを込めてこう呼ぶ――「恋はじ」。
“恋はじ” の最大の見せ場とは?
ママの選ぶドレスは
似合わない年頃よ
いつまでも子供だと 思わないでおいてネ
ピンクのマニキュアさえ
まだまだおあずけなの
少しずつ この胸が ときめいてるのに
一聴して、60年代の欧米ポップスを思わせる懐かしいメロディに、10代の少女のリアリティある心情が綴られた “まりや節” である。前2作で憧れの彼に誘われ、恋に恋した少女は本作で一転、本物の恋に目覚める。そして “もっときれいになりたい” と大人への階段を夢見る。
恋したら 誰だって
きれいになりたい
素敵なレディに 変わる日を夢みてる
そう、「恋はじ」の最大の見せ場は、なんと言ってもこのサビにある。振付けでは、右手を斜めに上げ、左右にステップしながら100%の笑顔で歌う。そしてサビ終わりで「♪夢みてる」と自分の頬にチョンと触れるのも最高だ。耳に残る珠玉のメロディである。もう、このサビのメロディだけで、ユッコのデビュー3部作をまりやさんに頼んだ甲斐があったというもの。
ロケットにしのばせた
写真をみつめながら
今日もまた ため息で
ひとこと “おやすみ”
念願の「ザ・ベストテン」にランクイン
実際、同曲は10月8日のオリコンで最高位の7位にランクイン。ユッコにとって初のベスト10入りとなった。そして念願の『ザ・ベストテン』(TBS系)にも、10月18日、25日と2週続けて10位にランクイン。以前、“今週のスポットライト” に「ファースト・デイト」で出場したことはあったが、正規のランクインは初。18日は絵本のセットで歌い、片耳を出す通称 “片耳ユッコ” のヘアスタイルを披露。25日は同番組の350回記念で岡山からの放送だった。ちなみに、日本テレビの『ザ・トップテン』にも同曲で2週ランクインした。
いや、ゴールデンタイムで「恋はじ」が披露されたのはそれだけじゃない。当時は今と違ってコンテスト形式の音楽祭が乱立した時代。予選まで含めると、毎週のように音楽祭が放送された。ユッコはそこでも秋から年末にかけての賞レースで、多くの “最優秀新人賞” を受賞する。まだ音楽番組で歌う機会の少ない新人アイドルにとって、それは自分を売る、またとない機会だった。
▶︎ 9月29日:ABCヤング歌謡大賞'84新人グランプリ / グランプリ
▶︎ 10月8日:第14回銀座音楽祭 / グランプリ
▶︎ 10月11日:第17回新宿音楽祭 / 金賞
▶︎ 10月30日:第10回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 / 最優秀新人賞
▶︎ 11月20日:第15回日本歌謡大賞 / 優秀放送音楽新人賞
▶︎ 12月18日:第11回FNS歌謡祭 / 最優秀新人賞
▶︎ 12月31日:第26回日本レコード大賞 / 最優秀新人賞
実は、「恋はじ」はこれら賞レースを見据えて用意された意味でも “勝負曲” だった。前シングルからわずか2ヶ月あまりでのリリースがその証左。例えば、大晦日の『日本レコード大賞』の選考期間は、前年11月からその年の10月まで。となれば、通常の3ヶ月のインターバルで10月下旬に「恋はじ」を出していたら、オリコン等のランクインは11月にずれ込み、その評価をしてもらえない。だから9月下旬にリリースされたのだ。
珠玉のコンセプトアルバム「シンデレラ」
思えば、「恋はじ」をリリースした、この9月こそ―― ユッコのアイドル人生において、最も輝いていた時期だったのではないか。まず、9月5日にファーストアルバム『シンデレラ』を発売。当時、ある音楽雑誌で、評論家の方が同盤をすごく褒めていたのを覚えている。それまでアイドルのアルバムが評価されるのは松田聖子さんくらいしか印象がなかったが、購入して聴いてみると、これが予想を上回るクオリティ。全編 “ティーンエイジ・ラブ” で統一された、珠玉のコンセプトアルバムに仕上がっていた。
中でも、アルバム1曲目に収録されたリード曲「さよなら・夏休み」はシングル候補にもなった、竹内まりや作詞・作曲の名曲中の名曲。個人的には「恋はじ」と並ぶ彼女の代表作だと思う。ここで描かれるのは、夏の終わりから来る一抹の寂しさ。彼と過ごした夏の思い出に浸りつつ、日常に戻るクールダウンが綴られている。この後に「恋はじ」がリリースされることを思えば、それは2枚目のシングル「リトル プリンセス」と「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」の間を埋める、いわば2.5枚目のシングルとも。3部作のストーリーを補完する大事なエピソードだ。
アルバム『シンデレラ』はオリコン最高7位にランクイン。新人アイドルのファーストアルバムがベスト10に入るのは快挙で、当時のユッコの喜びようが目に浮かぶ。そして、次に彼女を取り巻く環境に変化が見られるのが、9月半ばあたりである。僕はリアルに覚えているけど、そのころからクラスの中で “岡田有希子” という名前がちらほらと聴かれるようになった。原因は――1本のCMだった。
ヘビーローテーションされたグリコセシルチョコレートのCM
そこは、どこかの高原―― 。“乙女坂” と書かれたバス停の前で、水玉のワンピースに薄手のカーディガンを羽織った少女が1人、佇んでいる。岡田有希子だ。バックにかかるのは「恋はじ」のサビである。場面変わり、回想シーン。避暑地で過ごしたテニスやサイクリングの思い出がフラッシュバック。両シーンとも1人の男性の後ろ姿が見える。再びバス停。バスがやって来る。その時、少女はカメラ目線で何かを持ったまま手を振り、誰かに別れを告げる―― 手元に寄ると『グリコセシルチョコレート』。ラストはチョコを口にするユッコの1ショットとモノローグ。“恋、はじめまして。可愛くなった、グリコセシルチョコレート”。
同CMはかなりヘビーローテーションされたせいか、クラスの誰もが目にしていた。そして―― 岡田有希子が “見つかった” のである。耳馴染みのいいメロディに、青春の甘酸っぱい香りのする映像―― まるでそれは「恋はじ」のプロモーションビデオのようでもあった。ストーリーは見ての通り、少女は避暑地で1人の男性と出会い、恋に落ちる。バス停で見送ったのは、その彼だろう。恐らく避暑地に親戚の叔父と叔母が経営するペンションがあり、少女は毎年夏休みに訪れている。その設定こそ、渡辺有三Pが考案した “六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん” の世界観に他ならない――。
“岡田有希子、可愛いくね?” ―― この時期、そんな言葉がクラスで頻繁に聞かれたのを覚えている。これは当時、僕が肌で感じたリアルな空気感である。これほどまでにお茶の間の心を捉えたCMを作ったのは誰だろうと調べたら―― さもありなん、巨匠・大林宣彦監督だったんですね。この前年、監督は原田知世主演で『時をかける少女』を撮っている。そりゃあ、ユッコも見つかるはず。
この年の9月下旬、岡田有希子は東京と大阪で自身初のコンサート『恋はじめまして』を成功させた。福岡に住む僕は行けなかったけど、明星や平凡などのアイドル誌のレポートを読むと、最後は感動して泣いてしまったけど、大成功だったとある。よかった、よかった。まぁ、セトリ(セットリスト)が名盤『シンデレラ』に、竹内まりやの学園3部作のラインナップと来れば、これが成功しないワケがない。
まさに “神っていた” 1984年9月の岡田有希子
改めておさらいすると―― 1984年9月のユッコは、ファーストアルバム『シンデレラ』を出して、中旬から大林宣彦監督の『グリコセシルチョコレート』の名CMが流れて世間に見つかり、21日には勝負曲の “恋はじ” をリリース。そして月末にかけてファーストコンサート『恋はじめまして』を東阪2大都市で成功させた。今風の言葉で言えば、まさに “神っていた” ひと月である。そして、翌10月以降は、『ザ・ベストテン』のランクインと、怒涛の音楽祭の新人賞ラッシュが続いて行く―― 。
最後に、9月の ”神月間” のエピソードにもう1つだけ加えたい。時に9月29日、岡田有希子は大阪・梅田コマ劇場で、朝日放送が主催する『ABCヤング歌謡大賞'84新人グランプリ』に出場して、見事トップの “グランプリ” を受賞した。司会の桂三枝(現:桂文枝)さんから名前を呼ばれた彼女は満面の笑みを浮かべ、100%の笑顔で受賞曲「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」を歌い切った。賞レースで「恋はじ」が歌われた最初の音楽祭だった。僕は今でも、この時の「恋はじ」が史上最高に可愛く、彼女らしかったと思っている。
できることなら、あの日で時間を止めてあげたい。
幻のラストシングル「花のイマージュ」の初ア
ナログリリース含む、全7インチシングル9枚を収録したコンプリートBOXセット。各ディスクに、別カラーを使用したカラーヴァイナル仕様でリリース!詳細はこちらから。
2024年8月22日発売
品番:PCKA-18
価格:¥19800(税込)
限定生産商品