「母との対話には涙が出てしまう」「“ほんとの愛”の映画」太田隆文監督が闘病体験を映画化『もしも脳梗塞になったなら』
脳梗塞はよく聞く病気だが、詳しく知る人は少ない。それを体験したのが『向日葵の丘 1983年夏』『朝日のあたる家』などで知られる太田隆文監督。「僕の闘病生活が誰かの役に立てば」と、自身の経験を映画化。映画『もしも脳梗塞になったなら』が、12月20日(土)より公開される。このたび、予告編が解禁となった。また、主人公のネット友達・雀役の藤田朋子と主人公の母・秋子役の田中美里からコメントが、脳梗塞経験者のダースレイダー(ラッパー/映画監督)と村松健太郎(映画文筆屋)からは推薦コメントが到着した。
自身の“脳梗塞の闘病体験”を映画化
太田隆文監督は17年間休まず映画作り。そのために脳梗塞。心臓機能は危険値。両目とも半分失明。検査、治療、入院、手術、リハビリの日々を経験し、それを映画でリアルに再現。闘病中は、的外れな助言や嫌がらせの他、悪気はないのに病人を踏みつける人たちもいた。そんな時、家族や友人はどうすべきか?やがて気づいた大切なことを、暗い難病物語にはせず、笑いと感動で描いたノンフィクション映画である。
主人公・大滝隆太郎役には、太田監督が師事した大林宣彦監督の『花筐/HANAGATAMI』で主演した窪塚俊介。隆太郎の妹役で藤井武美、母役で田中美里、隆太郎をネットで応援する友人役で藤田朋子、佐野史郎らが出演する。本作は、9月6日に「ロサンゼルス日本映画祭(JFFLA)」でワールドプレミアを行い、Revival Awardを受賞した。
<コメント>
藤田朋子(雀役)
まだまだリハビリ中の監督は、この映画の事を紹介する一言めに「自分の身にほんとに起こった出来事」の映画だ、と話し始めます。
それは勿論、そう。でももっと私は「ほんとの愛」の映画だ、と紹介したい。病気になり、困った時の「トリセツ」映画ではないです。もちろん、そういう要素を軸に話は進んでいます。「闘病中に頑張って仕上げた」みたいな要素は忘れて欲しいのです。
最悪な状況だと思える時に出会う様々な「愛」が真ん中に在る。
死と闘うシリアスな映画ではありません。かといって爆笑の連続というようなコメディともまた違う。
病気を抱えた人には辛い場面もあるかもしれません。
でもどんな時にも、この世界には「愛が溢れてるんだね」って感じる。
What a wonderful world!
太田監督らしく、こんなくすぐったいタイトルでも良かったんじゃないのかな、って思いました。
そんな「世界」に涙が溢れます。太田監督の真骨頂です。
油断禁物!涙腺崩壊映画制作の第一人者、太田隆文監督作品です。不意打ちで涙が出ちゃいます。
劇団太田隆文みたいなキャストでお送りするこの映画。観て欲しい。劇団員の一人として(笑)次回作にも出たいので、これを最後の作品にしない為にも、是非、足を運んで監督の心の炎を焚き付けて下さいませ!
田中美里(秋子役)
オファーをいただいた時、太田監督ご自身が経験したことを映画にするとお聞きし、
今まで以上に強い気持ちで取り組まれるのだろうなと感じましたし、ぜひ参加したいと思いました。
監督のお母さま役ということで、プレッシャーでもありましたが、そんな大切な役を私に託してくださって、
とても嬉しかったです。実際のお母さまの印象に少しでも近づけたらなと強く思いました。
できるだけ期待に応えられたらと思いました。
息子の身体のことや仕事のことを心配はしながらも、さりげなく寄り添い、
息子の選んだ道を否定しないで応援している感じを意識しました。
幼少期の息子とテレビで映画を観ているシーンがあるのですが、
真顔で夢中に見入っているのが実際のお母さまに近いとお話しされていたので監督のその言葉を参考にしました。
息子役の窪塚俊介さんは、細部にかけて真摯に役に向き合っている姿がとても印象的でした。
納得できるまで相談してくれたり、話し合ってくださるので、嘘のない信頼できる方だと思いました。
そのおかげか、1日という短い撮影でしたが、すぐに母親になることができましたし、
「想い合う」ということが自然にできました。向き合って話すシーンがあるのですが、明るく背中を押してあげたいのに、
窪塚さんの表情を見ていると涙が出そうになってしまい我慢するのが大変でした。
太田監督の『向日葵の丘 1983年・夏』で私が演じたみどりの高校時代役を演じた藤井武美さんと約10年ぶりにお会いしましたが、すっかり素敵な大人な女性になられていて、時が経つのは早いなぁと、、。
兄(窪塚さん)に想いをぶつけるシーンを間近で見ることができたのですが、
今まで溜まっていた気持ちが溢れていくのがすごく伝わってきました。
家族や人との繋がり、どうしても譲れない夢や大切なもの、、思いもよらない事が起こったり、上手くいかない時に
もう少し踏ん張ってみようかなと思える作品です。
ぜひ、劇場で観ていただけたら嬉しいです。
ダースレイダー(ラッパー/映画監督)
僕は2010年6月末に脳梗塞になった。合併症で左目を失明、右目は手術で新生血管(大瀧の心臓の血管にも出来ていた急拵えの血管)を除去したことでかろうじて視力を保つことができた。実は脳梗塞の症状は脳のどの部位が損傷するかによって変わる。つまり脳梗塞にも個性がある。僕の場合は小脳が損傷し、三半規管が機能しなくなった為、バランス感覚を失っていた。1ヶ月半ほどでバランスは回復したが左目は一生見えないままだ。僕は左目に眼帯を装着し、自身の状態を「NO拘束」と呼び替えた。さまざまなものを失ったが故に自由な思考を手に入れられると考えたのだ。一人7役をこなしながら映画を作っていた大瀧は脳梗塞で両目の視力が半分になったことで、むしろ今まで見えていなかったものが見えるようになる。それは人の存在であり、人が織りなす社会の存在だ。この映画は大瀧が脳梗塞を経てNO拘束に至る経緯を描いた感動作だ。やっと見えるようになった母との対話には涙が出てしまう。
村松健太郎(映画文筆屋)
この映画は脳梗塞という病の大変さを描くのではなく、その病とどう付き合うかについての映画だ。脳梗塞は怖い病であり、完治はしない病でもある。一度罹った者にとって、この映画の主人公の抱える事情は凡そ他人事とは思えない。ただ、脳梗塞罹患者の生活の大変な事柄を丁寧に描きつつもその部分を極端に悲観的に描いていないこともまたこの映画がリアルに感じられる。この病に罹った本人や身近な人々は思い当たることばかりだと思う。さらに一歩踏み込んで言えば、どんな人物であっても人生何かしらのアクシデントには遭遇する。そんな時、人はどう動き、何を考えるのか?そんな“もしも”について考えるきっかけにこの映画はなってくれる。
『もしも脳梗塞になったなら』は12月20日(土)より新宿K’s cinemaほかにて全国公開