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青年やなせたかしは、どのように敗戦の日を迎えたのか。実際の昭和20年8月15日と、その後待ち受けていた現実

NHK出版デジタルマガジン

青年やなせたかしは、どのように敗戦の日を迎えたのか。実際の昭和20年8月15日と、その後待ち受けていた現実

 連続テレビ小説「あんぱん」は6月20日放送の回で敗戦を迎えました。実際の昭和20年8月15日、当時26歳のやなせたかしはどのように敗戦を迎えたのでしょうか? ドラマと同じ上海の駐屯地で敗戦を知ったやなせは、一変する所属部隊の様子や自身の心境を著書に残しています。さらに、復員後に待ち受けていた現実とは――
 発売後たちまち大増刷となった『昭和20年8月15日 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか』より、一部を抜粋して公開します。

中川右介『昭和20年8月15日 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか』

あまりにも長い歳月が無駄に過ぎていった

 アンパンマンの作者やなせたかし(二十六歳)は、上海郊外の朱渓鎮(しゅけいちん)で敗戦を迎えた。
 
 やなせは東京田辺製薬(現・田辺三菱製薬)宣伝部で、意匠広告(グラフィックデザイン)の仕事をしていたが、一九四〇年春に召集令状が来た。故郷である高知の連隊に入ったが、小倉へ転属となった。幹部候補生の試験を受け軍曹となり、暗号班に配属された。二年で除隊になるはずだったが一九四一年十二月に太平洋戦争が勃発したので、召集延長となり、一九四三年になると中国の福州(現・福建省福州市)へ向かった。やなせの任務は主に暗号の作成・解読だったが、宣撫工作にも携わり、紙芝居を作って地元民向けに演じたこともあった。

 やがて上海へ移動し、その郊外の朱渓鎮という小さな町に落ち着く。この町は交易が盛んだったため、匪賊や馬賊の襲撃を受けることが多く、戦争末期になると蔣介石の軍隊も襲ってきた。だが日本軍が駐屯するようになったので襲われなくなり、町の人からみれば、やなせたちは守備隊のような存在となった。

ぼくは戦争は大きらい

 生前最後の本となった二〇一三年の『ぼくは戦争は大きらい』に、敗戦時のことが書かれている。朱渓鎮にも日本が厳しいとの情報は届いていた。東京をはじめ大都市が空襲に遭っていることも、アッツ島の玉砕も知っていた。広島と長崎に「特殊爆弾」が落とされて全滅したことも知っていた。

〈玉砕や本土空襲のニュースを知って、ぼくは「こりゃもう負けるな」と内心思っていました。/でも、ぼくらのように生き残っている兵隊は各地にいたわけですから、上のほうではまだまだ戦える、と思っていたようです。「最後の一兵まで戦う」と威勢のいいことを言っていました。〉
 
 やなせの部隊は朱渓鎮で最低三年は籠城して決戦に臨むことになっていたが、二か月で八月十五日を迎えた。
 
〈ぼくらは集合させられ、ラジオを聞かされました。/天皇陛下の声が流れてきましたが、何を言っているのかはまったくわかりません。/ただ「負けたな」ということだけは何となくわかりました。/ほっとしました。やれやれやっと終わったのか、と。〉
 
 一九九五年刊行の自伝『アンパンマンの遺書』では大隊長が「日本は敗けた」と言って、敗戦と分かったとある。そして、
 
〈正直にいってぼくはほっとした。/あまりにも長い歳月が無駄に過ぎていった。もう二度と帰れないと思っていた故国へ帰ることができる。そう思っただけでうれしかった。〉

 十五日のうちに部隊の様子が変わった。〈士官学校出の将校は自信を失ない、昨日まで隊の中心であった好戦的な武闘派はたちまち影がうすくなり、文化的な兵隊が脚光を浴びるようになった。たとえば映画監督、カメラマン、小説家、編集者、画家、役者といった連中がリーダーシップをにぎるようになり、ぼくもいつの間にかそのひとりになっていた。〉

 もっとも『ぼくは戦争は大きらい』では、翌日、武装解除されたが、〈「武器がなくても空手がある」というのでびっくりしました〉とも語っている。

〈沖縄出身者の中に空手ができる兵隊がいましたから、彼らを先生にして、朝から目つぶしや組み手の練習などをまじめにやっていました。/そんなに簡単に上達できるはずはありませんし、銃や大砲で武装した相手に空手で戦えるはずがありません。/負けたと言われてもまだ戦うつもりだったんですね。あれはもう喜劇ですよ。〉

復員後に知った弟の死

 結局、朱渓鎮には半年以上いて、その間には芝居をつくり上演し、歌をたくさん作った。一九四六年三月に、ようやく帰国命令が出た。高知へ帰り、弟が戦死していたことを知った。海軍特攻隊に志願して、バーシー海峡に沈んだという。届いた骨壺には遺骨はなく、一片の木片があるだけだった。

 復員後、やなせは戦友に誘われて廃品回収をしていたが高知新聞に入り、新たに創刊された「月刊高知」の編集部員になると、編集だけでなくカットや連載マンガを描いていた。
 
 そして同社初の女性記者のひとり小松暢(こまつのぶ)と親しくなる。NHKの朝ドラ『あんぱん』のヒロインのモデルとなった女性である。ドラマでは幼馴染みという設定だが、出会ったのは戦後だった。彼女が東京へ行ったので、やなせも一九四七年に東京へ行き、二人は結婚した。やなせは漫画家を目指すが、戦前からの漫画に代わり、手塚治虫によるストーリーマンガが主流になりつつあったので、苦労する。

続きは『昭和20年8月15日 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか』でお楽しみください。「ブギウギ」の笠置シヅ子、「芋たこなんきん」の田辺聖子、「ゲゲゲの女房」の水木しげる、そして26年度後期放送予定「ブラッサム」の宇野千代など、連続テレビ小説のモデルとなった著名人も多数登場します。

本書に登場する文化人(135人)

第一部 今日も明日もペンをとる
第一章 若者たち
三島由紀夫/司馬遼太郎/井上靖/松本清張/水上勉/円地文子/瀬戸内寂聴/大岡昇平/阿川弘之

第二章 文豪たち
川端康成/大佛次郎/菊池寛/林芙美子/宇野千代/宮本百合子/石川達三/太宰治/谷崎潤一郎/永井荷風/横溝正史/海野十三/江戸川乱歩

第二部 国敗れて、映画あり
第三章 東宝
森岩雄/黒澤明/今井正/高峰秀子/志村喬/山本嘉次郎/原節子/山田五十鈴/長谷川一夫/三船敏郎/円谷英二

第四章 松竹
城戸四郎/五所平之助/佐々木康/並木路子/高峰三枝子/田中絹代/上原謙/加山雄三/笠智衆/佐野周二/マキノ正博/木下惠介/小津安二郎

第五章 大映
永田雅一/市川右太衛門/片岡千恵蔵/丸根賛太郎/嵐寛寿郎/阪東妻三郎/伊藤大輔/稲垣浩

第三部 それぞれの幕間
第六章 演劇・音楽
島田正吾/古関裕而/菊田一夫/古川ロッパ/天津乙女/春日野八千代/岩谷時子/越路吹雪/ミヤコ蝶々/森光子/淡谷のり子/笠置シヅ子/服部良一/山口淑子/朝比奈隆

第七章 新劇
中村伸郎/山本安英/木下順二/杉村春子/千田是也/東山千栄子/村瀬幸子/滝沢修/宇野重吉/沢村貞子/丸山定夫/徳川夢声/土方与志

第八章 歌舞伎
初代市川猿翁/六代目尾上菊五郎/七代目尾上梅幸/十七代目中村勘三郎/初代中村吉右衛門/初代松本白鸚/初代中村錦之助/十一代目市川團十郎/二代目尾上松緑/六代目中村歌右衛門/十四代目守田勘彌/初代水谷八重子/二代目中村鴈治郎/坂田藤十郎/十三代目片岡仁左衛門/四代目中村雀右衛門

第四部 遅れてきた少年たち
第九章 未来の音楽家、映画人たち
小澤征爾/岩城宏之/芥川也寸志/武満徹/吉田喜重/篠田正浩/大島渚/大林宣彦/深作欣二/高倉健/岡田茉莉子/有馬稲子/岸惠子/美空ひばり

第十章 未来のマンガ家たち
手塚治虫/藤子不二雄Ⓐ/楳図かずお/さいとう・たかを/石ノ森章太郎/松本零士/わたなべまさこ/赤塚不二夫/ちばてつや/白土三平/水木しげる/やなせたかし

第十一章 未来の作家たち
大江健三郎/石原慎太郎/井上ひさし/五木寛之/野坂昭如/星新一/小松左京/筒井康隆/田辺聖子/阿久悠/黒柳徹子

中川右介

1960年生まれ。作家、編集者。
早稲田大学第二文学部卒業。出版社アルファベータ代表取締役編集長(~2014年)として、音楽家や文学者の評伝などを編集・発行。自らもクラシック音楽、歌舞伎、映画、マンガ、野球など多様な分野で旺盛な執筆活動を続ける。著書に『クラシック音楽の歴史』(角川ソフィア文庫)、『冷戦とクラシック』(NHK出版新書)、『昭和45年11月25日』(幻冬舎新書)、『江戸川乱歩と横溝正史』(集英社文庫)、『オーナーたちのプロ野球史』(朝日文庫)など。

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